今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何かについて考察するブログ

オザケンこと小沢健二さんが19年ぶりにシングルを発売したようなので感想をかいた。流動体についてという曲らしいです

ハイボールを3杯飲んだ。そして風呂に入った、夢心地の中にある文章であることを事前にお伝えしておく……

 

むかしから、音楽をやっている人にはふたパターンのタイプがあるのではないかと思っている。ひとつは、音がなっていることが楽しい人、もう一つは、何か伝えたいことがある人である。かつてフリッパーズ・ギターというバンドがいた。小山田圭吾と、小沢健二というメンバーが二人でやっていたバンドだ。

 

このやたらとざっくりとした私的な二分法に当てはめると、小山田圭吾は音がなっていることが楽しい人だ。フリッパーズ・ギターというバンドが解散したのちに、小山田圭吾が始めたコーネリアスというバンドの音を聞けば一目瞭然だと思う。歌詞はどんどん消えていき、最近の曲は記号的で、幾何学的で、リズム豊かな楽曲であふれている。

 

翻って小沢健二はというと、

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翌年、王舟っていうバンド、流行る!!Thailandかっこいい!

オタクという生命体は、おれ、アレ流行る前から好きだったんだぜと言い張るのが好きである。新海誠が流行れば、おれは「ほしのこえ」から見てたからねとか、「この世界の片隅に」が流行れば、「夕凪の街 桜の国」のことをきいてもないのに語りだしたりする。圧倒的に鬱陶しくかつこざかしい存在である。

 

私も例外に漏れることはない。いまだに、ポリリズムが出る前から、Perfumeを聞いていたことを自慢したりする。最近でいえば、SuchmosがCMで流れだして、ほら、流行るって言ったでしょ!!と、会社の食堂で、同僚にしたり顔を向けたりする。こんなことでいかなる自尊心が満たされうるのか不明であるが、しかし、もはやこれは業のような何かである。

 

何はともあれ、オタクというのは基本的に不可避的にそういうものなのである。それで、なにが言いたいかといえば、

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続・天理教の祈りと、公務員の告白 夏休みに宗教都市天理を観光してきた

というわけで、天理市へ向かうことにしたわたしは、電車に乗り込んだ。奈良線で奈良まで行って万葉まほろばなる路線へと乗り換える。万葉まほろば。洒落た名前である。まほろばとは、すばらしい場所といった意味なわけだが、万葉まほろば線に乗って、天理市へと向かうというのは、ちょっとした西遊記的紀行ブンガク感がいいななどと思っていた。

  

そんな、まほろばこと天理を不敬にも寝過ごしており損ね、やれやれと折り返しようやく天理駅へと到着した。人はまばらで、こぎれいな中規模の駅といった印象だ。

 

改札を出ると垂れ幕がお出ましした。

 

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なんと偶然ふらっとやってきた、今日この日は、天気教の青年会総会が行われる日だったのだ。よく見れば、天理いう文字が白抜きで入ったハッピを来た若い人たちがそこかしこにいる。みんなてきぱきと機敏よく垂れ幕や広告などの片づけをしていた。そう、残念なことに、青年総会は午前中で終わってしまったようなのだった。

 

とりあえず、天理教の本殿を見てみたいと思い、商店街を歩いていくことにした。

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それなりに人通りがあり、日本中の商店街がシャッターだらけになっていることを考えると、活気があるといってもいいくらいの様子だ。

 

たくさんの天理ハッピを来た若い男女が楽しそうに話している。ああ、~さん!てな調子で会話が発生していて、どうやら、顔見知りが多いようである。宗教都市ともなると、かなり親密かつ閉じられたコミュニティが形成されているのかもしれない。

 

しかし、みんな仲がよさそうだ。町全体が一つの前提を共有していると、居心地がいいのだろうなあと思う。小学校から大学まで、そして働き出してからもずっとこの町の中で生きているという人が結構たくさんいるのだろう。

 

仏具店などを見たりしつつ商店街を歩いていく。

 

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中学校の時、友達が天理教徒で、ああ、あの大きな太鼓あったなあとおもいだす。青年総会ともなれば、彼ももしかするとこの町に来て天理ハッピに身を包んでいるかもしれない。

 

あることに気が付いた。天理市の商店街は、気前がいいということである。

 

まず、赤本がただで配られている。

 

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受験生はただで勉強し放題だ。

 

そして、歩いているとこんな看板に遭遇した。

 

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現金つかみどりである。居酒屋で、枝豆のつかみどりということであれば、聞いたことがある。しかし、天理市の商店街は現金のつかみどりなのだ。なんと心躍るイベントだろう。どうしたら参加できるのだろうと、周りをうろちょろしてみるも、RPGのように何かイベントが発生して、参加件を得られる分けでもない。天理ハッピに囲まれていつまでも、私服で一人歩いているのも気が引けるのでそそくさと立ち去ることにした。

 

商店街を抜けると、とにかくでかくて、やたらと圧迫感がある宗教建築が姿を現した。なにせ、日本中探してもここくらいにしかないのではなかろうかという意匠の建築物である。

 

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 千と千尋の神隠しの湯屋を思わせる色と屋根の形をしている。ぐぐってみたところによると、将来的には、この湯屋的建築物で、天理教の神殿をぐるっと取り囲むことになっているらしい。現在でも、この建築物はかなり長く連なっており、湯屋湯屋しいオーラを存分に放っている。

 

 そして歩くこと数分いよいよ天理教の本部が姿を現した。

 

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どーん

 

 

 

 

 

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端的に言って荘厳だった。小石が整然と敷き詰められている。ごみはおろか、落ち葉ひとつ落ちていない。京都からのこのことやってきて、神社仏閣には目が慣れていると思ったが、それでも、おおと思わされるものがあった。

 

 

午前で終わったようだが、本日は、天理教青年総会の日である。写真には写っていないが、とにかく若い人がたくさんいた。神殿に入っていくと、150平方メートルくらいのただっぴろい空間になっていた。外光は入ってくるのだが 電気なのどはついておらず、とにかく薄暗い。神殿の中央には広さ10平方メートルくらいの窪みがあり、祭殿のような場所となっていた。そこには誰もおらず、そのくぼみを取り囲むようにして、おそらく偉いのだろうとおもわれる4人の僧侶が、なにやら鬼気迫る表情で、祈りをささげていた。

 

薄暗い、神殿で、そのくぼみと僧侶たちを取り囲むようにして、何百人もの天理ハッピの若い人たちが、お経を唱え、一人アルプス一万尺のようなことをしながら祈っている。一通り、唱え終わると、三つ指をつくようにして頭を下げる。そしてまた、アルプス一万尺のようなことをしながら、お経を唱えるのである。イスラム教徒が祈っているあの姿を思い浮かべてもらえば。それがけっこう近いのではないかと思う。

 

こう書いてしまうと滑稽なように思われるかもしれないが、その光景たるや凄まじい迫力なのだ。日本にいると、宗教的な現場を見るなんていうのは、大そう世俗化された葬式くらいのものであろう。しかし、この天理教の神殿には、まさに、生きている宗教が凄まじい熱量をもってうごめいているのである。

 

ひとまず、私も、正座して、気分だけでもまじってみることにした。隣には制服姿の女子高生がいた。真剣かつ精悍な顔つきでお経を唱えていた。よく通るきれいな声のお経というのはなかなかつややかに感じたりするものだ。花も恥じらう年頃の女子高生は、一体何を思ってお経を唱えるのだろう。テレビも見ず、携帯もいじらず、ここにきて真剣に祈っているんだなあと思うと、とても不思議な気持ちがした。気高くて美しい光景に思えた。

 

帰りがけに廊下を歩いていると、天理ハッピの若い人たちが、これまたお経を唱えながら、一所懸命に床を雑巾で磨いていた。よそ者の私がそこを通ると、威勢のいい声で、こんにちはと皆挨拶してくる。3メートルに一人くらいの距離感で床をふいているので、のべつまくなしに挨拶をされる。

 

「こんにちは」

 

「あ、はい」

 

「こんにちは」

 

「ああ、すみません」

 

「こんにちは」

 

「どうも、どうも」

 

かるく王にでもなった気分であった。

 

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こんなかんじの廊下を若い人たちがお経を唱えながら、みんなで床拭きしていた。

 

普段、東京でくらし働いていると、生産性なるものを多少なりとも意識してなければならない。ところがこの世界には、ちょっと隣をみれば、生産性何のそので、一心不乱に、漠たる何かを信じ、祈っている人がいるのである。それも結構大規模に。

 

電車にかたかた揺られ、京都に戻って来た。京都で働く田島という友人と、夜、会う約束をしていた。彼は、中学の友人だったのだが、現在は京都で公務員をしていた。小さな串カツやで酒を飲み、酔った勢いで、鴨川で飲もうぜなんて言う話になった。

 

田島と鴨川まで歩いていると、彼はこういった。

 

「俺、公務員じゃん。だからさ、信号無視とかできないわけ」

 

「え、なんで」

 

「市民の模範となるような生活をしなくちゃいけないでしょ。それが公務員だから」

 

今時、こんな公共心にあふれた公務員がいるのだろうか。そして何か間違った方向にマジメすぎるのではないだろうか。真面目モハン公務員は続けた。

 

「だから飲酒運転も言語道断だから、酔ったら、それがたとえ自転車であっても、押して歩かなきゃいけないわけ」

 

「そっか。モハン的市民というのは大変なんだね」などとわたしは言った。

 

そうやって自転車を押して歩き、鴨川についた。それはとても寒かった。京都は寒い。川沿いなどもっと寒いのである。

 

コンビニで買ったハイボールをぷしゅっとあけ、ぐびぐびと飲んだ。よもやま話などに花を咲かせた。しばらくすると、真面目モハン公務員は神妙な面持ちで言った。

 

「そういえばさ、俺結婚するんだわ」

 

「え、田島が!?同級生でもかなりはやいほうじゃん」

 

「けっこう長いこと付き合ってたからねえ。そろそろかなあと思って」

 

「そうかあ、めでたいねえ」

 

「ありがとう。なんかね、歳をとったなあとか。人生は早いなあとかそんなことを思うよね」

 

マリッジブルーなのか何なのか少し寂しそうな表情を浮かべた。

 

「ほんとだね……」

 

分別じみたことをなにか言おうとしたけれど口からは何も出てこなかった。

 

彼は大文字山のほうを見て、あそこのてっぺんでプロポーズしたんだよと言った。風はぴゅーぴゅー吹いていて寒かった。底の浅い鴨川の水面は飴色の街灯を反射してポコポコと揺れていた。真面目モハン公務員の横顔が遠く近く感じられた京都の夜であった。

 

 

資本主義・グローバルエリート・天理教の祈り 夏休みが取れたから京都にいってきた

有休がとれたので、京都に行くことにした。なぜ、京都か。夜行バスが激安だったからである。なんと1900円。ファミチキ10個ほどの価格である。ああ、悲しきかな、ありがたきかな低価格競争。LCCしかり、交通機関の値下がり競争には驚かされるばかりである。学生の頃であれば、間違いなく、1900円の夜行バスを使っていただろう。しかし、もう、私は、リッパな労働者である。勇んで3600円のバスのチケットをネットで購入した。

 

夜行バスほど人の体力を奪っていくものもない。体力の回復を図るのが睡眠であるはずなのに、起きると疲れているのである。すべての予想通り、朝6時30分に京都駅前につくと体はジェットコースターに5回乗り、10キロ歩いて、1時間正座で座らされたような疲労感で横溢していた。駅前にそびえたつ、京都タワーなど見やっては、朝っぱらから、ため息がこぼれた。

 

吉野家に入って朝食をとりながら検討をおこなう。京都で、何をしよう。もう、京都に来るのも4~5回目である。主要な神社仏閣などすでに行ってしまっている。なんとなく、安いし行ってみるかとふらふらやってきたはよいものの、実際に来てみれば、行きたいところも特にないのである。

 

吉野家の、味噌をお湯で溶かしただけとしか思えない、本当の意味でミソスープというべき武骨なみそ汁を飲んでいると、神託が降りてきな。”お前は金閣寺に行ったことがないぞ”そんな有名なところにいったことがないなどあるのだろうか。しかし、他に当てがあるでもなし、では行ってみようということで、武骨みそ汁を飲み干し店を出て、駅前でレンタル自転車を借りることにした。

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京都は寒い。春は馬車に乗ってくるらしいが、冬は夜行バスに乗ってやってくるのだろうか。件の夜行バスに殺られ、生まれたての小鹿のどとく貧弱になってしまった足腰に鞭を打ち、鴨川で鴨を眺めたり、本願寺を横目で流し見たりしつつ、寄り道しながらせっせと坂を上り、1時間半。

 

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金閣寺は姿を現した。しかし、金閣寺を見た、その瞬間、あ、金閣寺来たことあったわという、厳然たる事実に私は立ち尽くした。

 

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群れをなす修学旅行の浮かれ女子高生たちに囲まれ、ひとまず挙措を正してみる。うーむ、何をしようか。一人で来たのでしゃべる相手もいない。暇つぶしに京都駅に着いた時に撮った京都タワーの写真をFBにあげる。するとすぐタイ人の友人からメッセージが飛んできた。

 

「へーい、きくち!おれも来月京都いくぜ!」

 

「そうなんだ!京都はいいところだよ~」

 

「ここに泊まるんだ、この辺はどんなところ?」

 

リンクが送られてきたので、開いてみる。

 

 

 

 

一泊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

である。

 

 

私が、4000円の安ホテルに泊まっている間に、同い年のタイ人の彼は伝統と趣を感じさせる 4万円/ の洒落旅館に泊まるのである。これがグローバリゼーションか…と戦慄いた。タイでラジオDJもやってるらしい、英語ペラペラ外資系金融マンと、トウキョーの片隅に生息するしがないサラリーマンでは、所得など比べるべくもないのだけど。

 

彼と出会ったのはオーストラリアの語学学校であった。その頃の彼といえば、ひ弱でヒョロヒョロな人懐っこい男だったのだが、いつの間にかフェイスブックに自分の隆々たる筋肉を映した写真を上げるようになり、気が付けば、ムキムキラジオDJグローバルエリートになっていたのである。

 

そんな、英語ペラペララジオDJ外資系金融タイ人の友人が、来月きくちも京都一緒に回ろうぜとメッセ―ジを送ってくる。

 

君が旅館代持ってくれるならばやぶさかでない、などというというしみったれた言葉を、心の片隅に幾ばくか残っていたプライドによってしまいこみ、休みが取れたらね。と返信する。

 

世界の現実をまざまざと見せつけられた私は、京都はもういいやという気になり。

 

電車に飛び乗った。そうだ、天理へ行こう。一度行ってみたかった宗教都市へ行こうではないか。

 

つづく(つづかない)

川上弘美の「真鶴」を読んで真鶴市観光をしてきた。どかどか聖地巡礼の旅

川上弘美という作家がいる。ついこの間、泉鏡花賞をとって話題になったようだ。代表作の一つが「真鶴」という小説である。

 

主人公は、失踪してしまった夫の日記帳に書いてあった「真鶴」という言葉に駆り立てられ、東京と、真鶴の間をいったり来たりする。ざっくりいうとそれだけの小説である。ちなみに、夫の名は礼といって、0つまりゼロで不在である。存在しないこと、存在すること。そういったことについて言葉をつづるというのはどういった行為なのか、とかそんなことがテーマになっている小説である。

 

と、まあ、ありきたりな感想を書いてみた。私自身が、川上弘美のよい読者かというと、全くそんなことはなく、数ある著作の中で、読んだことあるのは、この真鶴だけで、かといって、この本に痛く感銘を受けたとかそういうわけでもない。

 

ただ、文学研究科の院生の先輩と、旅行に行くためのひとつの口実としてこの真鶴という本が用いられただけのはなしである。好きな子と遊ぶために、映画に興味があるふりをしたりするみたいなアレである。

 

先輩とは意味もなく、集まりっては飲んでいたので、いつぞやの話である。 

 

川上弘美にかこつけて、真鶴に行くなどどうでしょう。」

 

「いいね、行こう」

 

「何がありますかね」

 

先輩はウィスキーを傾けて言った。

 

「たぶん、何もないんじゃない」

 

「いや、行けば、何かあるでしょう」

 

「そう…」

 

その場にいた、文学部の後輩の強制連行も決まり、真鶴へのお出かけは決行されることとなった。

 

東京は池袋より、電車で揺られること、2時間、真鶴駅に到着した。わたしと先輩は一緒の電車で、チェーンスモーカーの後輩は先について煙草をもくもくと吸っていた。

 

 

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何とも渋い。 

 

この半島が鶴に見えることから、真鶴という名前になったらしい。

 

 

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「これはたしかに鶴だわ」と先輩は言う。

 

「え、どこがですか」

 

「え、どうみても鶴でしょ」

 

「え、」

 

人によって、この形が鶴に見えたり見えなかったりするようである。わたしは、いまだに、何が鶴なのか、かけらも理解することはできない。しかし、何百年と使われてきた地名である。これはきっと鶴なのだ。

 

この真鶴には、鶴ともう一つ有名なものがある。鰺である。秋晴れの青い空、坂道を登ったり下りたりしながら、駅から徒歩数分のところにある、みなと食堂という定食屋へ向かった。なんと、長蛇の列。真鶴では有名な店らしい。

 

なかなか、順番は回ってこない。後輩は店先でうまそうにぷかぷかと煙草を吸っている。

 

いよいよ、列が減り、席に座り、注文をした。鰺の定食である。これがおそろしくうまかった。鰺の旬がいつなのかは、寡聞にしてよくしらないのだけど、油がたくさん載っていて、口の中がとろけそうだった。フライなど、さくさくふわふわでじゅわじゅわなのだ。

 

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腹を満たした我々は、チェックインをすますべく、入船という旅館へと向かった。小説の中では、たしか砂という民宿に泊まるのだけど、そんな民宿は存在していない。もちろんフィクションなので当たり前なのだが残念である。

 

真鶴はユーミンの悲しいほどお天気が脳内再生されそうな雰囲気の街だ。道は港までの緩やかな下り坂で、潮風がゆったりと吹き上がってくる。観光地化もあまりされていなく、日々の生活がにじみ出ている感じがすきである。

 

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旅館につき、ドアを押し開ける。受付には誰もおらず、用事があるものは、ここに電話しろというメモが台の上に残されていた。内線番号を叩くと、おじさんが出た。気さくな声で。いまから、美人な女将が向かうからちょっと待っててと。

 

なるほど、深津絵里似の、きれいに着付けた着物姿の色白の女将が、ちょこちょこ小走りにやってきて、「すみませんね、お待たせしてしまって、ささ、こちらへ。今日は、どちらからお越しになったんですか」

 

「いやまあ、ちょっと、東京のほうからね、はは」

 

「そうですか、手狭なところですがどうぞごゆっくりなさってください」とやさしい微笑みを投げかけてくるのだ。

 

3分ほどそんな妄想にふけっていると、女将が現れた。耳にピアスを10個ほどつけ、パンク趣味な服で身を包んだ女将が。

 

確かに、かわいいのかもしれない、がしかし…女将の概念からあまりにもはなれていないだろうか。もちろん、 勝手に妄想していたのはこっちである。やや納得いかずも、まあ、これはこれで、面白くてよいではないかと思いつつ、予約してたきくちですと告げると、パンク女将はこう言った。

 

「私たち、どこかで会ってますよね」

 

もちろん、あったことはない。

 

神妙な面持ちで、どこかで見たことあるような気がするんだけどな、なんて言ってくる。

 

後輩が近寄ってくる。

 

「あの人ちょっとやばくないですか…」

 

パンク趣味ではあきたらず、第六感働く系女将だったようである。ちなみに歳は30前半くらいだろうと思われる。こんな片田舎で、いかような曲折を経てあの濃いキャラクターは生み出されたのだろうか。

 

広間を横切り、女将に部屋まで案内される。

 

「真鶴はね、お魚がおいしいですからね」

 

「それはすばらしい」とわたしが言うと

 

テトラポッドを挟んで向こう側の岸のに酔いっていうお店があって、そこに行くとおいしい煮つけが食べられて、飲み食いしても3000円いかないよ」

 

「それはよい。きくちくん、今日はそこにしよう」 

 

「はい、まちがいないですね」

 

女将はスパンコールばりのピアスたちを燦然と輝かせながらにやり笑みをうかべ、ああ、布団干しっぱなしだったと慌ただしくどこかへ消えていった。少しほこりくさい畳張りの部屋で、秋だというのにガンガンクーラーをかけて、 日差しの差し込む窓辺に、寝っ転がった。

 

「これからどうしましょう」と後輩が言う。

 

「そうねえ、まずは、日本酒を買いに行くか」

 

先輩は大学院のストレスを酒で発散させるのが日課となっているらしい。

 

でも、その酔いって店行くんですよねと私が聞くと

 

「ばかだな。部屋で二次会するに決まってるだろ」

 

「先輩は夜更かししない人間だからどうせすぐ寝るじゃないですか」

 

「きくちくん、ちょっとだまってて」

 

先輩は、こいつはいかにも不遜なやつだという視線をこちらに向けて、じゃいこっかとつぶやいた。

 

疲れたので終わり。