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近代化の契機がないと中西は言った。

インターホンを押す。しばらくすると、ドアが開いた。生暖かい空気が流れ出てきた。迎え入れてくれた男の名は中西といった。ニ年ほどの付き合いになる友人だ。トレードマークのくたびれた黄色いチェックのジャージ。驚嘆すべきはずの奇っ怪な彼の服装にも、いつからか慣れてしまった。

「なんだ、菊池くんか。まあ入りたまえ」

まだ日が照っている時間にも関わらず、一寸の光すら拒むようにカーテンはぴっちりと閉められ、部屋は真っ暗だった。足を踏みいれると、何かを蹴飛ばしたような感覚があった。どうやら、それはだれかの足のようで、よく目を凝らすと、床に男がふたり雑魚寝していた。

「誰がいるの?」

「加藤と、前田だよ。こいつらは完璧に頭がおかしい。のこのこと人の家に上がり込んで何をするかと思えば、何をするでもなく、もう2時間は寝続けているんだ。」

床で寝ている二人は大学の後輩だ。人が入ってきた音に気がつく様子のかけらもない。晩秋の少し寒くなった部屋で、毛布に包まり泥のように眠っている。

中西は横暴な訪問客達によって部屋の端に寄せられた座椅子に腰掛けた。多動症の彼は、無意味に手を上下左右に振りながらしゃべる。

「こいつらには効率という概念が無いのか?まさにアジア的停滞がこの東京の片隅の、この小さな部屋に現前している。ぼくはもう嫌なんだ。就活がうまくいかないのも、院試がうまくいかないのも、こいつらに関わってしまったせいなんだ。」

早口でまくしたてようとする。しかし、舌は彼の速度についてくることができず、言葉は空転してまっくらな部屋に消えた。

荒い鼻息が吹き出す。

「大体、君は何をしに来たんだ。ひまなのか?」

「近くまで来たから寄った」

彼の家は、大学から近いために、ひまな学生たちが集う淀みの空間と化していた。それは、社会から切り離された、アジールでもあり、他方ではまごうことなくゴミだめであった。

「君は断りもないく人の家にやってきて頭がおかしいのか?そろそろ礼節という概念を学んだらどうなんだ……」

「こいつらも、恥を知らないのか。まったくどうかんがえても頭がおかしい。」

彼の脳には、あらゆる入力に対して、頭がおかしいと返す関数が入っているのかもしれない。繰り返される”頭がおかしいのか?”それはもうメトロノームさながらの正確さで、私の眠気を誘った。

「ああ、近代化の契機がない」

中西はつぶやいた。神楽坂の一室。近代から遠く離れて、私の大学生活は半ばを過ぎようとしていた。