今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何かについて考察するブログ

蠢く労働者たちののアフターファイブ、金曜夜の旅~川崎工場地帯編

これから以下の文章は珍妙奇怪な人間に囲まれてしまった、きわめてまともな人間のモノローグのようなものである。珍妙奇怪な人間とはわたしの友人であり、きわめてまともな人間とは私のことである。

 

「友人が変」という語りにはいささかのうすら寒さが漂う。多くのそういった話は、たいてい恐ろしくつまらないからである。これからだらだらと書かれる話も例外に漏れることなく、非常につまらない話である可能性は捨てきれないが、とにかく、なにか、書いてしまいたい気分になったのである。

 

金曜日、アフターファイブ、ドライブをすることになった。何やら、今年就職することになった後輩が働き出して1週間で大変落ち込んでいるらしいとのことで、息抜きがてらどこかに出かけようということになったのである。以前から、時々、暇を持て余した友人たちで集っては、金曜夜にドライブをしていた。「アフターファイブに社会を睥睨しながら歩む会」通称「五睥会」である。ちなみに、今勝手になんとなくつけただけの呼称である。家の近くに止めてある、友人連中とシェアしている中古の古いベンツ(40万円)(10万キロ走行)を走らせて、集合場所の図書館の前に停車した。

 

 

待っても、だれもやってこない。何をやっているのだろうと後輩に電話をかけるも、連絡がつかない。10分ほど手持無沙汰に待っていると電話がかかってきた。10分ほどでつきます、と。そもそもすでに10分遅れているわけであるが、それについての謝罪はない、そして、さらに10分遅れるというのである。

 

この不遜な後輩はオネットといった。もちろん本名ではなく便宜的な仮名である。ツイッターの登録名がオネットなので、とりあえずここでもオネットということにする。

 

彼は、地蔵のような印象を与える寡黙な男であった。何かを問いかけても、二つくらいの休符をおかないと返事が返ってこない。友人たち何人かで集まれば、積極的に話に加わるわけでもなく、隅のほうでひっそりとホッホッホと不気味に笑っている、そんなやつであった。低温を響かせてホッホッホと笑うのである。

 

ホホホのオネットは電話越しに言った。「めんどくさいのでさっききくちさんがかけてきた電話には出ませんでした」

 

もはや、知り合って数年。彼に普通のふるまいを期待するなどということなど見果てぬ夢でしかなことは理解しても、ここまで社会性が失われていると彼がいかにして日常を送っているのか不安になってくる。

 

その電話を切ってしばらくするともう一人の友人がやってきた。

 

彼は中西と言った。ロシア思想の研究をして、修士号を修めたあと、就職がうまくいかずにフリーターになった。研究を通じ血肉と化した左派思想と、就職活動という荒波によって少しばかりゆがめられた精神が複雑に絡み合った、意図せざる結果として、常に社会の対偶に押しやられているような男であった。彼も遅れてきたのだが、ホホホのオネットに集合場所を知らされていなかったので特に咎はない。

 

車の中でふたりで、彼はあまりにもやばいやつであるという話でひとしきり盛り上がっていると、その男は悪びれる様子もなくのそのそと歩いてきた。結果30分遅れであった。

 

ドアを開けた。開口一番「今日はどこへいくんですか」と彼は言った。

 

わたしは自分の愚かさを想った。わたしは彼が30分も遅れてきたことについて謝罪の一つも述べるのではないかという期待をしていたのである。彼に期待をすることがいかに非生産的なことであるかを改めて、深く、日本海溝よりも深く理解する結果となった。

 

プレミアムフライデーなるものが世間に浸透したのかどうかは不明であるが、人であふれた華やぐ新宿を通り過ぎ、品川を抜けた。我々は川崎を目指した。なぜ、川崎に行くことになったかというと、夜の工場地帯は徘徊するのに適しているのではないかとの目論見と、西洋気取りの街でステーキの一つでもたべれば、けだるい労働者の1週間が清算されるのではないかと思われたからである。

 

古いベンツはカーステレオからカサカサと謎の音を発していた。週二日バイトしている、フリーターの中西は間を埋めるように「君は本当に暇そうだよね」といった。

 

私は、確かに暇人なのかもしれないが、何もフリーターにそんなこと言われる筋合いはないのではないかと思い、そんな旨の返事をすると、「僕は君とは違って勉強が忙しいんだよ」と答えた。

 

オネットはホッホッホと笑った。

 

車は町の光を後景へと吹き飛ばしながら進んだ。

 

「君は、最近おちこんでいるのかい」中西が助手席から後部座席へ問いかけた。

 

ホホホのオネットはいつものように2休符分の間をおいて、「そうですね、僕の想定した教師の姿というのは、進学校における教師なのであって、原稿用紙にどうやって句読点を打つかというようなことすらしらない相手に対峙する教師ではなかったのです」

 

「授業で教えたことを、その後の人生に役立ててもらえるような生徒に対して教育をしたかったのです」

 

「僕からしてみたら、働けるということ自体がうらやましいけどねえ。就職活動は戦争だよ。資本主義というシステムの中で繰り広げられる、戦争なのだよ。僕だってはたらきたいけど、面接が通らないんだよ」

 

中西は、学部、修士ともに就職活動に失敗した。彼はそれを構造の問題であるといった。資本主義というシステムが僕を排斥するのであると。中西は、学部生の頃、就活への鬱屈から日ごと、K〇連とリ〇〇〇トは〇〇〇〇で〇〇〇ってやるとぼやいていた。イスラム国が誕生したしばらく後、鬱屈をため込んだ北大の学生が、イスラム国に加わろうとして逮捕されたというニュースがメディアに取り上げられていた頃でもあった。間違った行動を起こさないで本当によかったと思うばかりである。

 

川崎のステーキハウスに到着した。ぎとぎとしたあぶらっこい座席に着き注文すると 「加藤さんが合流したがってます」とオネットの低音ボイスが響いた。加藤という男は長動症の患者であった。長動症とは長距離移動症候群の略称で、1万人に1人程度発症が観測される病である。とはいっても、私がかってに作った病なので汎用性はない。

 

彼は常に移動している。夜、突然、福島第一原発へ行くと言いだし、5時間車を運転したりなんてことは日常茶飯事で、驚くべくは、月に2~3回というような 頻度で、土日を使ってふらふらアジアへ出ていき、観光地化されていない聞いたこともないような田舎をうろうろしているのである。

 

私が以前タイへと旅行した時に、どこかのスーパーの前で撮った写真をツイッターにあげたら、~通りのどこですよねとリプライがとんできた。なんの変哲もないスーパーなのである。一緒に韓国へ行ったときは、妙な興奮顔で、どこどこの橋の下のマンホールはこんな形状をしているなどと、それは楽しそうにソウルのマンホールへの偏愛語っていた。おそらく長動症の彼の中では、ちょっと千葉に行くいうことと、アジアのどこかの片田舎でコーヒーを飲むということはほとんど等価なのである。

 

日高屋を居抜きで改装しましたといった趣のカウンターでなかなか来ないステーキを待ちながら水を何杯かのんだ。ホホホのオネットはおもむろに財布のようなものをカウンターに置いた。私はその財布的なものをしげしげと見つめた。それはおそらく財布なのである。しかし、あまりにもぼろぼろとなり、ほとんど形状をとどめておらず、おおむねそれは布の塊といった趣なのである。

 

布の塊であるところの財布らしきものには銀色のマジックで手書きのナンバーがふってあった。どうやらそれは電話番号であるようだった。とにかく、その塊は異様な雰囲気を放っており、突っ込んでくれと言わんばかりのギラギラとした存在感を放っていたので、私は思わず彼に問いかけた。

 

「それ、財布?」

 

こんな奇怪は質問があるだろうか。財布なんて言うものは通常財布でしかないはずであり、それ、財布なんていう質問は成り立たない類のものであるように思われる。その奇怪な質問に「そうですね」とだけ答えた。

 

「その数字は電話番号なの」と問いかけると「はい、なくすと困るので」と朴訥に答えた。

 

「いくらなんでもぼろすぎない」

 

彼は、二休符分の間を挟んで答えた。「ぼくは、便利なものが嫌いなんですよ。携帯もずっとガラケーでしょ。便利なものにとらわれて生きたくないのです」

 

その布の塊こと財布的なものは端的な彼の思想の表れであるように思われた。 

 

つづくかもしれない。

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