これのつづき
そこそこの味のやや冷めているステーキを食べ終えたころ、加藤がやってきた。
加藤はわたしの友人の中ではめずらしく、きらびやかな世界で働いている広告マンであった。仕事は常に忙しいようで、何か集まりがあれば、大抵遅れてやってきた。ステーキハウスについた時も時刻は21時を回っていた。
加藤もステーキを注文し、ものの10分ほどで250グラムを平らげた。店を出て車に乗り込む。「けっこう渋いベンツですね」と加藤は言う。そういえばアウディはどうしたのと尋ねる。彼は驚くべきことに20歳からアウディを所有していたのである。
「あれは廃車になりました。大学生のバンに突っ込まれて潰れてしまったんですよ」こともなげに言った。
「え、そんなことがあったの。大丈夫だったの!?」
「60キロで突っ込まれましたからね。車は潰れたんですけど体は大丈夫でした。バンのほうがなんだったらむしろ吹き飛んでいきましたよ」
「ていうかそもそもなんでそんな若いころからアウディをもってたの」
「あれ、金払って、ゆずってもらったんですよね。僕は20歳くらいが一番金もってましたから。」
広告マンの給料は世間一般、標準的な視線から見ればけっこうな給与なのではないかと思われる。いかにして、彼は20歳で世間の標準のそのまた上の上ほどの銭をえていたのだろうか、謎が多い男なのである。
工場地帯のある千鳥町の方面へ車を走らせていると、加藤が「あ、このへんで止めてください」と言い出した。
じゃ、僕はこの辺で失礼します、と言い彼は車から降りた、合流して、わずか1時間ほどの出来事である。長動症の彼は、ステーキを食べちょっと会話をするためだけに、わざわざ川崎までやってきたのである。1時間のために会いに来てくれるのだからありがたいことなのでが、彼の行動力は驚嘆の一言である。
「なになに、これから用事でもあるの」と聞くと「渋谷で24時から飲み会でして…」と冗談のようなことをいった。ひょろっとしていて体力がありそうなタイプにはとても見えない彼は、疲れというものを知らないのだろうか。
中西が何か思い出したような顔で加藤を呼び止める。
「君、そういえばこの間のタクシー代払ってないでしょ」
「あ、そうでしたっけ」
「そうだよ、まあ、それについてはもういいよ」中西は鷹揚な声色でいった。
20歳にしてアウディに乗り、広告マンとして少なからぬ給与を得ている男は、フリーターにタクシー代をおごられることになったようであった。オネットが後部座席でホッホッホッと笑った。手をふり踵を返し加藤は渋谷へと帰っていった。
車通りの少なくなった道を、制限速度でせっせと走った。 節約のため高速の下をただただ走った。橋を越え、いくつかのちらつく信号を超えると、花王の工場が見えてきた。中西が「なぜ僕は池袋にすんでいるのだろう、出会い喫茶が僕を呼んでいるのだろうか」などと神経質そうに首をカクカクさせながらひとりごちた。オネットはホッホッホッとわらった。大きな何かが、莫大なエネルギーで動かされているかようなコーという轟音がした。気が付けばまわりは工場だらけになっていた。
それらすべてが何かの大きなひとつの回路であり電気信号がとびかっているかのようだった。車から眺めるその光景は、スペースマウンテンのようで、昼間働いているあの世界と本当に同一線上なのだろうか、なんていうことを思った。
車を停め散歩することにした。ここまで来たのだから、近くで見るしかないのである。夜目に鮮やかな工場灯たちは、科学や人類の進歩を誇らしげに語っているようであった。
「圧倒的なパワーだ… なんか、働いているのだむなしくなるよ」とわたしがいうと、中西は「なるほどねえ、生産手段が資本家に占有されているとはこのことだね」と正しく左翼的なことを言った。
「いくらなんでも左翼すぎるって」というわたしの突っ込みを尻目に、中西はなにかの歌を歌いだした。道路のど真ん中でである。聞いたことのない歌であった。午前0時、工場地帯の路上に歌声は響いた。
「それなんの歌」
「メーデーの歌だよ」
彼の顔は誇らしげであった。
中島みゆきの有名な曲の1節が浮かんできた。
「闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう」
オネットは珍しく目に見えるほどに楽しそうな様子だった。
「今日はよい息抜きになりました、連れ出してくれてありがとうございました」
じゃあ帰ろうかと車に戻ってエンジンをかける。BGMは爆音のきゃりーぱみゅぱみゅ。私たちはドライブをするといったらきゃりーぱみゅぱみゅをよくかけた。低いベースがぼんぼんぼんと横隔膜に響き、無機質なかわいい言葉達が車内にあふれた。
だいぶ遅い時間になってしまったので、帰りは高速に乗った。首都高は蛇行した。トンネルは橙にひかっており、社内へ排気ガスを運んだ。すっかり電気が落ちてきてしまった東京の夜景をみて中西はつぶやいた。
「僕は東京が嫌いだ。東京は疲れるんだ。」
眠くなってきて返事をするのも億劫になってきていた。
彼は続けざまに言った。
「僕は東京が好きだ。」
「え、ちょっとまって、どういうこと。分裂症なの…?」
「そりゃ分裂症にもなるさ、構造が僕を抑圧するんだから。毎日が戦争なんだよ」
最&高 すべて飲み込む
最&高 になりたいの
きゃりーぱみゅぱみゅの無意味な歌詞に元気づけられているような、小ばかにされているような。そんな夜だった。