プロローグ
チェーンスモーカー山田が扉に手をかけた。
「なんか、緊張するな……」ぼくは、年に数回ほどしか訪れないような緊張を感じていた。
入り口を抜けると、抗菌的な空間があった。煌々と輝る明るい照明、塵ひとつ落ちていない掃除の行き届いたピカピカの床。右手には大川隆法総裁の書籍販売コーナー、目の前にはちょっとしたお守りのようなものなどがおいてあった。左手にある受付のお姉さんに声をかけられた。
「中継のご観覧ですか?」
「はい、信者ではないのですが大丈夫ですか?」加藤は率先して答えた。こういう時に頼りになる男である。
「大丈夫ですよ、お友達からの紹介か何かですか?」
「だいたいそんな感じです。」
「では、こちらからお入りください」 受付横の通路の先が祈祷室のような空間となっているようだった。
チェーンスモーカー山田が扉を開けた。扉の先には、また、扉があった。非常に重たい扉であった。
宗教的な調度品が数点どんと鎮座していた。金色に輝いている。少し肌寒いくらい空調が効いていた。
一般公開されていて、だれでも参拝できるらしい
shoja.jp
多くの信者の方たちは、東京ドームへ赴いているらしく、東京正新館の祈祷室はがらんとしていた。僕たち4人は部屋の真ん中の席に座った。大きなスクリーンには、事前の説明が流れていた。
受付のお姉さんにもらったちらしを見る。なんと、大川隆法総裁の後援会の前に、巷をにぎわせた千眼美子のライブがあるらしい。
公式HP
ryuho-okawa.org
「これは楽しみですね」ホホホのオネットはチラシに目を落としていた。
「人類の選択か。すごいテーマですね。」広告マン加藤は2台のスマホを両手でいじっていた。クライアントから大量にかかってきている電話を切っているらしかった。資本主義の最前線で戦うのは大変に違いない。
画面が切り替わり、スクリーンは東京ドームを映した。さわやかな美男美女が二人で、前口上を述べた。
しばらくすると、千眼美子がステージに上がってきた。一斉にともる会場の青いペンライト。今年度の幸福の科学の映画「さらば青春、されど青春」の主題歌「眠れぬ夜を超えて」という曲を歌うらしい。
すこし、びっくりしたのが、このパフォーマンスが思いのほかすばらしかったことである。声にはハリがあって、少しYUKIをほうふつとさせる、独特の声色もポップな曲調にすばらしくあっていた。そして、彼女のたたずまいには何か少し真に迫ったところがあった。出家事件はスキャンダラスに取り上げられていたが、きっと、彼女が生きるのがつらくて、信仰によって救われたのは、また一つの事実なのだろう。
パフォーマンスが終わるといよいよ、総裁の講演である。しかし、ここでこの記事は突然終わりを迎えなくてはならない。なぜかというと、講演内容を教団の許可なく触れ回ることは絶対禁止と何回も事前の注意があったからである。
それに加えて、僕はその講演の開始10分で意識がもうろうとしてきて、深い眠りに落ち込んでしまったので、そもそも内容をほとんど把握していないのである。
会場には、幾人か涙をこぼしている人もいた。僕たちは、会場を後にした。
「しかし、形而上学的な部分を除けば、割と普通に政治の話と人生訓が多かったですね」加藤はまたクライアントから連絡が来ているのか、スマホをいじりながらつぶやいた。
「たしかに、そうですね。思ってた感じとは違いましたね」チェーンスモーカー山田は記念に東京正新館の写真をとっていた。
「やっぱり、東大法学部卒ともなると、リベラルなことを話すんだなあ」ほとんど寝ていたにもかかわらず、僕がそんなことを言うと、オネットはやはりホッホッホッと笑った。
この、え、意外と普通に聞ける話だなという講演力こそ、幸福の科学が大きな教団になった力なのだろうなと思った。
「明日、健康診断だから21時以降は何も飲み食いするなって言われてるんだよね」
「きくちさん、大丈夫です。21時まであと30分もあります」加藤はにやりとした笑みを向けた。
「そうか……30分あれば3杯くらい飲めるということだな。いくか…」
というわけで、帰り道、中華を食べることになった。アジア系の店員のお兄さんに「ここの北京ダックはおいしいんですか?」と聞くと、5秒ほど考えて「うーん」とうなった。
なんと正直な店員さんだろうか。「なるほど、では何がおいしいですか」と聞くと、はにかみ屋の店員は照れ笑いを浮かべながら、これとメニューを指さした。
やってきた、豚肉の味噌炒めを春巻きの皮のようなもので包んで食べる料理は、少し味がぼんやりとしていたが、おいしいといえばおいしいような気がした。気の持ちようが重要なのである。
そして本当に、僕は30分で3杯酒を飲んだ。無事に健康診断に臨むことができる。と思いきや、結局22時30分まで酒を飲んでしまったのであった。
チンタオビールはほこらしげに黄金色に輝いていた。