今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何かについて考察するブログ

シドニーのシェアハウスでリトアニア人、メキシコ人、インド人、韓国人と暮らした編

内見に付き合ってくれたのは、30歳くらいのリトアニア人であった。彼は出稼ぎでオーストラリアに来ている様子で、日々、道路工事の仕事をしていた。オーストラリアの給与は高く、時給3000円もらえるんだ、だからはるばるここまで働きに来ているんだと言いう話を聞かせてくれた。彼は、身長185センチのイケメンでブロンドヘアーを前方へたなびかせていた。それはさながら花輪君のようだった。

 

花輪君に似たリトアニア人はさわやかでモデル然とした外見であったが、その甘いマスクからは想像できないほど神経質な男であった。ある夜、僕が夜中に爪を切っていたら、鬼の形相で近寄ってきた。

 

「おい、きくち、爪が散らばったらどうするんだ。」

 

僕としてはまあ落ちたら拾えばいい的な適当さだったのだが、彼にはそれが耐えられなかったらしく、ベランダに出て切れと言われた。他の同居人たちも彼がいないところで爪を切っているようだった。みんな彼の神経質さの網目を潜り抜けるようにして怠惰な自分を表出させていた。


シェアハウス近くのこじゃれた港
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しかし、彼がいたおかげでシェアハウスはホコリひとつ落ちていない清潔さが保たれていた。それはさながら病院のようであった。シェアハウスなどというのはだいたい、抜け落ちた髪の毛が集積したり、使用済み食器が山積したり簡単に退廃するものである。しかし、超神経質な風紀委員花輪さんのおかげでシェアハウスの住環境は極めてよい状態に保たれていたのである。

 

花輪さんには敵がいた。インド人のスラジさんである。彼も同じく30歳そこそこで、ネスレで働いている大変なエリートであった。半年後に美人さんと結婚する予定であるらしかった。スラジさんはインド人であった。僕はそれまでインド人の人とは深くかかわることがなかったので、知らなかったのだが、インド人は本当にカレーを毎日食べるのである。

 

日本式のカレーであれば、まあ許容範囲内だったのかもしれない。しかし、スラジさんのつくるカレーは超本格的で、広々としたオープンキッチンからは毎日深甚なスパイスのにおいが漏れ出てきた。僕は何やら異国情緒を感じられて、それを毎日のルーティーンとして楽しめたのだけれど、神経質な花輪さんはそうではなかった。

 

「オーシット、その臭いものは何なんだ、人間の食べるものじゃない。一刻も早く料理をやめろ」

 

エリートスラジさんは毅然とした態度で「カレーを作って何が悪い。インド人の伝統料理を馬鹿にするな」とけんもほろろにカレーを混ぜ続けた。その高学歴的鷹揚さがまた気に障ったのか、花輪さんは「シーット」とか「ファーック」とかそんなスラングをとめどなくくちから流しだしていた。インド・リトアニア戦争は毎日のように続いたが、基本的には花輪さんが苛立ちをこらえきれずバタンと音を立ててドアを閉め家を出ていくのが常であった。

 

エリートスラジさんにも敵がいた。メキシコ人のジェイさんであった。彼は小人病を患っていたようで子供のような背丈であった。「病気のせいでメキシコにいたときはよくいじめられたけど、オーストラリアに来てからは本当に何も悪いことを言われないんだ。だから僕はオーストラリアが好きなんだ」という話を酔っている時に何回か聞いた。メキシカンらしく酒好きで陽気でよく笑う付き合いやすい人だだったのだが、ジェイさんには大きな問題があった。彼は風呂に全然入らないのである。

 

不幸にもエリートスラジさんは部屋割り的にノーバス・ジェイさんの近くのベッドで寝なくてはならなかった。悪臭にたえられず、頻繁にインド・メキシコ戦争は勃発した。

 

「オーシット、臭い臭すぎる。一体何回シャワーを浴びろといえばわかるんだ。今すぐにバスルームへいけ」

 

「入る、入る、入るっていってんだろ」

 

こんなやり取りを何回見ただろう。3回に1回はジェイさんが折れ、シャワーを浴びた。バスルームまででっかいスピーカーを持っていき、テクノを大音量でかけ、「え~~~~~~~~~~~~~~~~い」と奇声を上げながらシャワーを浴びていた。そんなに楽しげなのだから毎日シャワーを浴びてくれればいいのにとおもった。そして、テクノの大音量を聞きつけては神経質な花輪さんは静かには入れないのかと激怒していた。

 

リトアニア・メキシコ・インド戦争。これはもはや世界大戦である。においというのはかくも人を分断するものなのである。日本人の僕は永世中立国として3か月を過ごすこととなった。あまりにもうるさい時はベランダに出て中華街を眺めた。近くに小さな教会があり、時々カーンカーンとかわいい音を響かせるのが楽しかった。

 

永世中立国の僕には同盟関係の国があった。シェアハウスには女性の入居者もいたのである。韓国人が2名、インド人が1名であった。彼女たちは世界大戦を冷ややかな目で眺めており、喧噪に巻き込まれたり巻き込まれなかったりしていた僕のことをいろいろと気にかけてよく話しかけてくれた。

 

一人目の韓国人のお姉さんはソウルでイラストレーターをしていたところストレスでやっていけなくなり、休暇がてらシドニーに脱出してきたと言っていた。31歳で太った友近さんのような容姿をしていた。食べるのが大好きで、バイト先のレストランで余ったご飯を持って帰ってきてむしゃむしゃと豪快な食事をしていた。明るく、愉快ないいお姉さんだった。

 

もう一人のお姉さんは、29歳で清水富美加風の美人さんでシドニーの語学学校に通っていた。名はクララさんと言った。クリスチャンらしくイングリッシュネームを持っていた。クララさんという名前に負けず劣らずとても愛らしい人となりをしていた。いつもニコニコしていて、僕にも大そうやさしくしてくれた。

 

「きくちさん、お寿司つくったから、一緒に食べましょ」などと言ってきたりして、よく一緒に夕飯を食べた。韓国風の手巻き寿司は本当においしかった。こんな美人さんにご飯を作ってもらえたことは、世界戦争の中の一抹の輝かしい僥倖であった。ダイエットをしているのか少し食べたら箸をおいて、頬杖をついてニコニコとテレビを見るのが常だった。なんと神々しい光景か。つかのまの新婚生活を疑似体験することができた。クララさんの作った餃子の味を終生忘れることはないだろう。単純な人間なので、シドニーで会った何人かの韓国人の影響で、僕は韓国を生涯嫌いになることはないような気がした。

 

 インド人の女性はアーシャといった。大学でMBAを取得するコースに通っている学生だった。確か同い年くらいだったように思う。勉強に熱心なのかと思いきや、恋煩いをしているらしく、スマホをつけては消しつけては消しを繰り返し「ホウ……」と外国風のため息を雪崩のようにこぼしていた。MBAをとらなくてはならないのにまったく勉強に手が付かなくなっているようだった。彼女は花輪さんに敵対しており、エリートスラジさんとインド共同戦線を張っていた。部屋の隅でときどき集まっては何事かを話しているようだった。

 

恋煩いのせいなのか何なのかは不明なのだが、アーシャは僕がそのシェアハウスに住み始めて2か月くらいで忽然と家に帰ってこなくなってしまった。少し心配だったのだが、そのあとすぐ日本に帰ってしまったのでどうなったのかは分からない。彼女の恋が幸せな結末を迎えたことを祈るばかりである。

 

 シェアハウスでの生活は波乱万丈だった。友近さんはよくバイト先のレストランからあまったワインを持って帰ってきてくれた。僕と、友近さんと天使・クララさん、恋煩いのラヴァニャはよくワインを飲んで、トランプなんかをしたり映画を見たりした。男子校に育った僕からすると突如女子高に放り込まれたようで、とても不思議な気分であった。真横ではいつでもやむことのない世界戦争がつづいていた。いやあ、楽しいな、文化の違いなど関係ないのだといったコスモポリズムと、分かり合えやしないことを分かり合うのだといった諦念が同時に醸成されていった3か月であった。

 

バックグラウンドも何も共有しないものたちが集まって、様々な軋轢を生みながらも、なんとなくみんな寂しくて、お互い身を寄せ合って生活をしていた。オーストラリアではみんなマイノリティなのだ。大陸が違うレベルで離れた場所で生まれ、何の因果かある時期一瞬だけシドニーの一室を共有することになった同世代の7人。誰がそのあとどうなったのかも全くわからないけれど、それぞれがどこかで気の合う人たちに囲まれながら、それぞれの文化を慈しみ、愉快に暮らしていたらいいなと思う。