朝食のサンドイッチ
上野駅8時2分発の電車に乗り込んだ。鈍行列車でかたこととおだやかな振動に揺られながら福島に向かった。がらがらの車内にぽつねんと据え付けられたボックス席に腰をかけた。朝の空気を閉じ込めた車内は爽快さを感じさせた。
「鈍行はやばいですね、いわきまで何時間ですか?3時間半ですよ」僕は恐ろしい移動距離にすこしだけぼやいてみた。
「このボックス席、狭すぎるよなあ。とんでもない狭さだ」格闘技をやっていたため比較的立派な体躯を持つ先輩は、たしかに非常に窮屈そうであった。
「中国だってこんなに狭くなかったですよね」オネットは申し訳なさという概念がないのかボックス席のはざまにバインと足を広げて座っていた。
「福島に行って何をするんですかねえ」加藤は旅の始まりに、根本的な疑義を呈してきた
だれも、回答を持ちえず、問いは宙に消えた。電車は力強く進んでいた。
ほとんどだれも載っていない電車の中で、男が四人、激狭のボックス席にぎゅうぎゅうになって座っているのは、喜劇的かつ悲劇的であった。
現教師のオネットと、昔、非常勤講師として学校で教鞭をとっていたことのある、先輩は教師あるあるのようなことについて話していた。アクティブラーニングを好む教師というのは鬱陶しい傾向があるらしく、そういった人たちをアクティブラーナーと呼び、対抗の灯を燃やしていた。
「だいたい、知識もない生徒たちに議論させても、大した意味なんてないんだよ」先輩は語気強めで言った。
「ほんとですよね」誠その通りといったおももちでオネットは相槌をうった。
「俺は社会を教えてたけど、結局社会でアクティブラーニングやるって言ったら、こういう見方もある、こういう見方もある、社会というのは多面的な見方がありますね。くらいのことしかないからな。多面的なものの見方はだいじだから、そりゃ一回くらいやってもいいけどさ、そんなこと毎回毎回やってたってしょうがないでしょ」
「アクティブラーナーというのは本当に困ったものです」
二人は意気投合し、気炎を吐いていた。
僕と加藤は教師は大変なんだなあとサラリーマンため息をついたのだった。
「電車というのは偉大ですね、こうしている間にもまっすぐ前進していくのですから」加藤は、深そうな、全く深くなさそうなことを言った。
「そうだね、信号とかないしね」僕はこれまたまったく深くない返事をして、水をごくごくと飲んだ。
ひとしきり気炎を吐き切ったオネットは、じゃ、ねるんでと言い残し、裏のシートへと移っていった。
「牛久か~大仏があるところだよね」僕ははやくも電車に飽きてきていた。
「そうですね、あと牛久といえば、電気ブランを作っている神谷バーの経営者の身内がワインを作っていてそれがうまいです」加藤は日本のありとあらゆる地域に通暁していた。
「よくそんなこと知ってるね……」
「神立、ちなみにここはどんなところなの? 」
「ここは、日立の工場がたくさんあるところですね」
「お、土浦まで来たね」
「土浦は最近イオンモールができて、駅前がさびれてるんですよね。最近の地方都市というのは、モールが土地の安いところにできることで、駅前がさびれてきてるのが特徴です」
「なるほど、勉強になるわ」
「いや、君は本当にすごい、日本だったら、ほとんどあらゆるところに行ってるんじゃないか?ちなみにいわきは何回くらい行ってるの?」先輩は尋ねた。
「いや、そんなに行ってないですよ、30回くらいじゃないですか?」
「え!?30回!?何しに30回もいわきにいってるわけ??」ぼくは驚嘆した。
「それは僕にもわからないですね」僕は、加藤が移動しているのではなく、移動という概念が加藤なのではないだろうか、意味不明の転倒について検討した。
「常磐線というのは、やたらと性能がよくてですね、関東のほかの電車ですと……」加藤のむだにすごい無料の観光案内は無限に続いていった。
先輩はがさごそとカバンをほじくり始めた。紙の束をとりだし、ひとたばずつ、ぼくと加藤に渡した。
「これ、論文が学会誌に載ることになって、試刷が余ったからあげるよ」
先輩は、修士の頃から、論文を量産している非常に優秀な人文系の研究者であった。
「じゃ、おれも寝るわ」先輩も寝てしまった。
福島は、予想よりもはるかにずっと遠いところにあった。
つづく(かもしれない)