不思議な形をしたホテルです。
前日、意識を失うほど酒を飲んだため、朝起きると、頭に鈍い痛みがあった。食欲自体はあったので、宿泊先のホテルグッディの食堂へ向かった。
ジャンクな卵かけご飯を食べる。卵黄のツヤと卵白のとろみがこれでもか!!と鮮度の良さを訴えかけてくる。二日酔いの僕には眩しいくらいであった。
卵かけご飯というのは単純明快がゆえの力強さがある。眺めていると、結局これが一番美味しいのでは?という気がしてくる。それは錯覚なのかもしれない。しかし、錯覚も主観的には現実なのである。炊きたてのやわらかな白米をうっすら甘みのある卵が包んでいる。酔いが完全にさめていないのか、ぼーっとしながらつるつると黄金の米粒たちをながしこんでいく。ああ、なんという、口腔内幸福度の高さよ!
それはそれとして、以下は、岐阜に来たからには、喫茶文化を体験せねばならない。そうに違いないと強迫的かつ拙速的に意気込み、手当たり次第、目に入る喫茶店に入りまくった、その記録である。
神社の前には人が詰め掛けていた。僕の個人的な狂乱の横で、厳かに大垣祭りが始まろうとしていた。
花萌ゆる、喫茶森永
一軒目、ひっそりとした佇まいの喫茶森永。暑い暑いと言いながらドアを開ける。
ひんやりとした空気がこぼれ出てきた。すこし暗めの店内。各机にキリッとハリのある花が飾られている。これだけ元気の良い花をそれぞれの机に置いておくと言うのもなかなかコストがかかるだろうになあと思う。花のある生活と言うのは、いいものだなあと、手狭な6畳1Rに住んでいる僕はしみじみと思った。
柔らかな日差しが差し込んできている。花も旺盛であって赤白黄色と色とりどりに咲き誇っている。
バラが目一杯に詰められた席に座る。男二人である。不似合いなような気もする。
ソーダ水のモーニングセットを頼む。値段は忘れてしまったけれどとても安かった。岐阜および大垣の喫茶店と言うのは、とにかくすこぶるやすい。だいたい400円以下で、飲み物、トースト、ゆで卵、そしてそしてのお菓子、または果物といった調子である。
それはもう、これでもこれでもこれでもか!といったくらいの圧倒的おもてなしなのである。これに慣れてしまったら、東京で珈琲など飲めなくなってしまうのでは!?というくらいに大変安いのだ。
ふかふかのトーストがやってくる。バターがジュワーと染み込んでいる。焼きたてのトーストなんていうのは普遍的美味しさだ。何も筆を尽くす必要もなく、ただただ当たり前に美味しかった。
ソーダ水をすすりながら、据え付けられているテレビから流れるNHKのドキュメント72時間をながめる。 鴨川の辺りで大学生がカップラーメンを食べたり、老人たちが何をするでもなくベンチで川を眺めていたりする。よい街にはよい川が必要だ。
苺を口に放り込む。酸味がキュッと広がって、甘みが後からそれをやわらげていく。時間がゆったりと凪いだような気がした。なんて豊かな朝なのだ……
部屋を飾ろう、コーヒーを飲もう、花を飾ってくれよ、いつもの部屋に…というエレファントカシマシの悲しみの果ての歌詞が頭の中にこだまする。男が花をいつくしみ、何がわるいのだ!宮本浩次が言うのだから、部屋には花を飾って然るべきなのだ!
喫茶森永を後にする。
大垣市は本当に水がきれい。
60年続く喫茶店、ナポリ
なんでなのかはよくわからないのだけど、大垣市の飲食店の看板にはよく黄色のパトランプのようなものが光っている。営業中の印なのだろうか…
別アングル。あまりにも渋いので、たくさん写真を撮ってしまう。
”ただいま香り高いコーヒーをたてて居ります お気軽にどうぞ”
COFFEE JOURNEY
静かな店内だ。老人がひとり、新聞を読みながら、ひっそり珈琲をすすっている。
やすい!オーレを頼んでみる。
もちろん、自動的に、卵とトーストがついてくる。350円で!
店員の女性が、つぶやくような調子で、この店は60年やってるんですよと言った。へえすごいですね、と相槌をうつと、大垣はいいところですからね、ゆっくりしていってくださいね、とおだやかな口調で答えた。
ベレー帽がよく似合う女性だった。
喫茶森永も、このナポリもそうだけれど、大垣の喫茶店はかわいらしい店が多い。内装やら食器やらの良さよ。戦後、岐阜は繊維産業が栄えて、休み時間に工員として働いていた人々がよく喫茶店に通うようになったというのが喫茶文化の始まりのひとつであるらしい。女工さんがたくさん通って作り上げた文化なのだろうか。
廃喫茶
たまに廃墟になった喫茶店を見かける。
昼ごはん、大垣中華園
もはや、喫茶店ではない。昼ごはんを食べた。渋いにもほどがある。渋いを通り越し、歴史的建築物の様相である。看板も手書きである。
昭和初期の雰囲気がそのまま残っているような店内。注文をして、チャーハンを待っていると、地元のおじさんが、大垣祭りの寄付のようなものを募りにきた。扇子を覆いかぶせて、こそっとやり取りする。おおっぴらに受け渡すのははしたないというようなことらしい。
テレビの音だけ聞いている。外から軕をひきずる音が聞こえてくる。暑いなあ。夏だなあ。じゅーっという音とともに良い匂いが漂ってくる。
赤い机が映える。五目チャーハン。
モーニグをふたセット食べた後なので正直あまりお腹が空いていない。実家の味を思わせる、街中華的チャーハンだった。
大垣は街並みもすばらしい。
喫茶スタイン
モーニング2回に、チャーハンを食べ、お腹はパンパンに膨れ上がっていた。しかし、僕たちは、とにかく手当たり次第に喫茶店に入ることにしていたので、喫茶店を見つけてしまったら入るしかなかった。
「ほんとに、行きますか?」
僕は訪ねた。
「どうする?」
先輩も迷っていた。
「とりあえず前まで行ってみます?」
「じゃあ入ろう、お茶はもういいかもしれないけれど、せめて空気だけでも空いに行こうじゃないか」
手書き風のフォントがいとあわれであります。
入ったからには空気だけ吸うのも失礼なので、きちんとアイスティーを飲み干す。もはや無言で時は過ぎていった。
店内は採光がよく、健康的な明るさがあった。子供達が、わーぎゃーと騒いでいた。喫茶店に元気があると、街にも元気があるような気がしてくる。
水がきれい。
大垣市内は軕が練り歩きまくっていた。
イタリアンパーラーりぼん
なんともかわいらしい店構えだ。
夜にはネオンがともるのだろうか。
やはり黄色のパトランプが付いている。いったいこれはなんなのだろう…
調べてみるとこんな記事があった。開店していることを知らせる岐阜特有の文化であるらしい。たしかに、遠くからでも光っているのがすぐわかる。
「黄色の回転灯」なぜ岐阜の喫茶店のシンボルに?:岐阜:中日新聞(CHUNICHI Web)
「大垣の店ってのは、UCCがおおいからコーヒーはだいたい同じ味がしますね」と加藤が鋭いことを言う。
残念なことに僕はあまりコーヒーの味がわからない。
僕は大変あだち充の漫画が好きなのだけど、このりぼんはかぎりなくあだち充の世界的である気がする。ひょこっと幼馴染とか部活の仲間が入ってきそうではないか!
内装がいちいちかわいらしい。もうとりあえず、空気を吸えればいいのではないのか状態なのだけれど、入ったからには注文をするのだ。
口角の角度が絶妙なペンギンコップで水を飲む。トーストは厚切りのほわほわで大変美味しい。ゆで卵をいったい何個たべたのだろう……
喫茶古城
廃墟となった喫茶店。その名も古城。渋い。大垣城のすぐ近くのお城路という横丁の入り口にある。すばらしい雰囲気だ。
かすれゆくフォント。過ぎゆく時間を思わせる。
たくさんの素晴らしき喫茶店をありがとう。さよなら、大垣!!