「あなたがおむつを履いていた頃にはね、もう働いてたの」
ママさんは言った。実の母ではない。キャバレーで働いているママと呼ばれるタイプの店員さんのことである。
僕の「いつから働かれてるんですか」というやや不躾な質問に、怪しげな笑みを浮かべ、そう答えたのである。
そもそも、ママさんという呼称はスナックなどでもちいるものであって、キャバレーではママさんと呼ばないのだろうか。ホステスさんと呼ぶのだろうか……ママさん=ホステスなのだろうか…… キャバレーの闇の中、目下、正解が不明なのだが、オーラは端的にママさんだったので、いったんママさんといかせてもらう。
「ずっと、この店で働いてるんですか?」
僕はなんとなく姿勢を正して聞いた。
「そうね、店を一回たたむ前から、この店一筋なんです」
ママさんは、これまた怪しげなビンに入った琥珀色のウイスキーをグラスにたらし入れて、一口サイズの水割りを作って机から去っていった。水割りはキャバレーの色とりどり方々の光を吸い込み机の上にちょんと立っていた。僕は、ママさんの作った水割りをこくこくと飲んで、ソファに身を沈めた。
酒田のキャバレーにいた。昨日は酒田でひとりだったのだけど、今日は、大学の後輩が合流して二人で酒田を歩き回っていた。労働者になってしまうと、ぴったり時間を合わせることも難しくなってきて、旅行も現地集合現地解散になりがちである。
日本最北のキャバレー白ばら。最盛期は、それこそ店の前に人が列をなし待っていたこともあったらしい。時代の変化、経済の縮退などとともにだんだんと客が減っていき、2015年12月、57年の歴史に幕を閉じることとなった。
しかし、これはもしかしてもったいないことなのでは?と思った地元の有志が、キャバレーを昭和の文化遺産として残して行こうと立ち上がり、クラウドファンディングで資金を集めて、ふたたび、こうして営業を再開したという経緯なのだそうだ。
日本最北のキャバレー、なにやら引力のあるフレーズである。日本海から吹き付ける風、降りしきる雪、道脇にぼやんと光る店明かり。商人文化の息づく街、酒田の粋がもしやそこにあるのではないか、失われゆく戦後日本の大衆文化を是非この目に焼き付けておかねばならぬのではないか!と後輩と二人ややビビりながらやってきたのだ。しかし、実態は、そもそもキャバレーとはなんなのかもややよくわかっていない状態で、大変かしこまった感じで戸を開いたのだ。
イベントスペースとしても貸し出されているらしく、廊下には、成人たちのカラオケ大会!という張り紙があったりした。酒田の若者はキャバレーでカラオケ大会をするのか…地元密着である。
「昔さ、そういえば……いや、なんでもないや」
「え、なになに」
「はは、まあ飲んで飲んで」
なんてことがこのキャバレーで繰り広げられるのであろうか。成人であったのも今は昔である。
店内は昭和かつ南国の不思議な雰囲気で満ちていた。無用にも盛大にかがやくネオンが人を惑わせるかのようである。水割りを飲む。慣れない雰囲気にキョロキョロと周りを見る。天井が高いなあと思う。
天井には、はらはら回るミラーボールが据付けてある。故郷にキャバレーがあるわけでもなければ、ショー文化に縁があるわけでもないのに、なぜかふしぎな郷愁のようなものを感じる。なぞの帰ってきた感があるのだ。ひとの精神はキャバレーに帰っていくものなのだろうか……
「昔は白ばらはどんな感じだったんですか」
ふたたび現れたママさんに聞いてみる。
「昔はショーとかもやっていて凄かったんですよ。ステージの裏に控室があってね」
「景気がいい時代は凄かったんですね。働いていた人も多かったんですか?」
「最盛期はそれはたくさんいたんいましたよ」
そういって、ママさんは手慣れた手つきで水割りを作る。氷がグラスに触れてカランカランと音がなる。僕がおむつを履いていた頃からと言うのだから、きっとこの水割りを飲んだ人も、この世界にごまんといるのだろうなあ。
さっと水割りの入ったグラスを僕と後輩の前に置き、ママはちょっと真面目な顔で、私、ケンブリッジを出てるんですよ、ふふ、と笑った。
僕も合わせてふふと笑った。ママさんは、ナックルボールのような冗談を放ち、他のテーブルへと去っていった。
しばらく二人で静かに飲んでいると、「カラオケ歌えますよ」とあらたなママさんがデンモクを持ってきてくれた。
「ステージで歌うのは、なかなか勇気が入りますね……」
僕は端的に言えばびびっていた。
「最初はそう言うけれど、来る人皆さん楽しく歌っていきますよ」
「では、ちょっとお手本を……」
「私は歌ったことないんです……」
「じゃあ、田中くん、歌ってみたらどう……」
「いやですよ、きくちさん、先に歌ってくださいよ……」
「……」
「……」
「じゃあ、歌うか……」
白いばら、水割り、ネオンをうつし光るデンモク。
キャバレーのステージで歌う曲の正解とはなんなのだろうか…僕は皆目検討もつかなかった。演歌なのか…いや、キャバレーというのは西洋から入ってきたショー文化的な文脈があることを考えると、むしろ古めの洋楽か……そんなことは何も考えずに、時勢におもねり星野源か。いや流石に星野源という感じではないか……?デンモクの前で僕はフリーズした。
「他の人はここにきてどんな曲を歌うんですか」
「なんでも歌っていきますよ。HipHopを歌う人だっていますからね」
「なるほど……なんでもいいんですね…」
最近、井上陽水にはまっているので、「氷の世界」から、帰れない二人を歌うことにした。陽水であれば、この空間に負けない気がしたし、キャバレーで歌う帰れない二人というのはなんとも叙情的なのではないか、などとも思ったのである。
ホールには、僕たちの他に、やはり東京からキャバレーをみにきたというお客さんがいた。そして、近所のスナックが停電したらしく、そこのお客さんが流れ着いていたりもして思ったよりもたくさん人がいた。恥ずかしいことだなあと思いつつも、こんなところで歌うことももう一生ないだろうと思いなおし、ネオンの煌くステージへ向かった。
"僕は君を"と言いかけた時
街の灯が消えました
もう星は帰ろうとしている
帰れない二人を残して
ステージの上から、ホールは思ったよりも暗く見えた。お客さんたちは、酒を飲んだり、話し込んだり、なんとなく耳を傾けてくれたりしていた。ミラーボールの光がキャバレーの中を蠢いていた。陽水モードに入っている僕には、それはなんだか少し、星のように見えたりもした。
いいじゃないですか〜と田中は言って、さっきの嫌がったそぶりはなんだったのか、自発的にデンモクで曲を入れると、ステージへ向かっていった。後輩田中はむかし合唱をやっていたらしく、やたらと歌が上手かった。実は歌いたがりなのである。ならば最初に歌えばよいのに!
田中は一青窈のハナミズキを歌った。田中の合唱唱法的歌声はキャバレーに広く響いた。僕は、席に座り、歌に合わせてボンゴを叩いた。コン、コンと小さな音がなった。
白ばらのマスターがステージに上がっていくのが見えた。マスターはラグビー選手のようなガタイをしており、見るからに歌がうまそうだった。マイクをちょいと調整すると、マスターは、(おそらく)フランス語の歌をほとんどオペラ歌手のような声量と声艶で歌い始めた。光のこもるキャバレーいっぱいに歌声は響いた。
おむつ発言のママさんがどこからか戻ってきた。
「マスターすごい歌うまいですね…」
「マスターは、昔、外国で絵を描いたりしていたらしくてね、それでけっこう外国の言葉とかも喋れるんですよ」
「たしかに、発音がすごくきれいですね」
後輩の田中が言った。
「ときどき、ああやって歌ってるんですよ」
キャバレーの人々は皆、色濃かった。ほとんどオペラの絶唱があまりにすばらしかったので、ステージから降りてきたマスターと握手をした。大きな体躯から繰り出される力強い握手だった。
話題も収束して、いわゆる天使が通った状態で黙りこくって水割りを飲んでいると、ステージの下に60歳すぎくらいにみえる男性がふらふらっとあらわれた。腕を肩の高さにあげて、キャバレーにかかる音楽に合わせ、一人踊り始めた。相手はいなかったのだけど、社交ダンスのようなステップだった。
「踊ってるのは、昔のお客さんかもしれないですね。ときどき昔のお客さんが来てくれるんですよね」
「へえ、いいですね。懐かしいんですかね。昔の思い出の場所なのかもしれないですね」
いない相手をリードするように、男性は踊っていた。街の魅力というのはこうした不可視になっている思い出の集積なのだなあと思った。急速に酒田の夜が更けていっているような気がした。席を立った。近くにいたお客さんが、君の歌なかなか良かったよと声をかけてくれた。マスターと二人のママが出口まできて手を降ってくれた。後輩と二人、なんだかいい体験だったなあと呟きながら、水割りであいまいになった体を転がすようしてに、寒くなり損ねた冬の長閑さの中を、ふらふら宿へと戻っていった。