今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何か考察するブログ

カフェイン・オーバードズに至る、アジア大陸お茶飲み周遊記

 

  

韓国サウナ、チムジルバンの岩盤の憂鬱

僕は飛び起きた。なんだか体がやたらと熱いのである。背中がひりひりするくらい熱いのである。全身に粒状の汗が浮いている。頭がくらくらする。あたりを見回すと、空間はひっそりと薄暗く、なにかの中規模施設のようであった。なんなんだここはと重い頭で記憶を辿っていくと、韓国まで飛行機ではるばる飛んできて、しゃっくりのように不規則な寒風が全身に鋭く吹き付ける早朝二月のソウル市内に降り立って、ふらふらと、チムジルバンなる韓国のサウナ施設に飛び込んだことを思い出した。喉がカラカラだった。

 

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遡ること数時間、成田を発ちソウルは仁川空港に到着した。体は疲労困憊と言って差し支えない状態であった。熱があって体がだるいとかいうことではなく、そして、もっと単純に早朝のLCC疲れということでもなく、ここ最近の人生的疲労とでも呼ぶようなものでもあった。それは傍から見れば滑稽極まりないタイプの、十分間隔でニヒル風の乾いたため息がフッと出続けてしまうようなモノクロームの人生的疲労なのであった。

 

それならば、飛行機に乗らず、家でじっとしていればいいのではないかという至極真っ当かつ穏当な意見もありうるのだろう。しかし、人間とは不思議なもので、百メートル動くのは体が鉛のように重く死ぬほどだるいのに、千キロ動くことにはやぶさかではないというようなことがあるのである。本件は、まさにその典型的ケースなのである。人間の感覚というのは著しく相対的である。

 

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そんなこんなで快調に飛行機で千キロ移動した後、あまりの気怠さにもう動けないと、韓国サウナに突入し、すぐぽっかぽかの岩盤浴装置に体を横たえたのだ。

 

2月上旬だったので日本でも韓国でもコロナの感染者数は30人程度で、ソウルにおいてはほとんど感染者が出ていないような状態だったのだけれど、コロナの影響なのか、サウナは閑散としていて、静かだった。気がつけば純然たる泥のように眠っていて、起きると、知らぬ天井の下、岩盤浴のテキメンな効果で、体が汗でびしょびしょになっていたのである。そうだ、旅行をしようと家を出たのだった、あ、いたたたたと硬い岩盤の上で硬直した体を伸ばす。

 

もう、どこにも行かずにずっとここでだらだらしていよう。岩盤浴をしていよう。僕は焼ける背中をさすりながらそう思った。隣では、うら若き男女が岩盤の上で体をじっとりと絡めあい眠っていた。薄暗がりに肌がやたらと浮き立って見えた。目の前で起きている事象の確認を経て、しばしの黙考ののち、僕はいそいそと塩サウナへと移っていった。ここはやはり僕のいるべきところではないのかもしれないと思ったのだ。三時間かけてサウナとシャワーでだらだらと体を目覚めさせ、街に出ることにした。

 

ソウルの雑居ビルの喫茶店では、Nujabesが鳴り響いていた

 

サウナ効果により体から水分が限りなく抜け去っていったので、とりあえず何かを飲みたい気分だった。GoogleMapでcafeと検索をして、なんとなくあたりをつけて店に入った。印刷工場の横にある典型的な雑居ビルの中にあった。

 

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こんなところに喫茶店があるのかとやや不信を抱えながらドアを開けると、僕は途端に動きを奪われてしまった。正しく雑居的なビルの出で立ちからは全く想像できない空間が目の前に広がっていた。コンクリート打ちっぱなしのシンプル空間に大きくシックなシャンデリアが不気味な存在感を放ちぶら下がっている。なんと静謐で美しいのだろう……

 

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アイスティーとチーズケーキを注文して席に着く。僕は呆然としていた。偶然入った異国の地の喫茶店がこんなに素晴らしいことがあるなんて。カーテンごしに光が差込み、風ですこし裾が揺れている。客も数人で、忙しなさがないのもよい。この喫茶店のためにソウルに来てもいいと思うくらいになんとも居心地が良いのだ。

 

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僕はのけぞって背筋をぎゅっと伸ばしたりして、ゆっくりとアイスティーを待った。無機質な空間とポップなカーテンの組み合わせがいいのですね。

 

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なんだかきいたことがある音楽が流れているなと耳を澄ましていると、喫茶店のBGMがNujabesであることに気がついた。日本でもこんなにNujabesの合う喫茶店があるだろうか、いやないはずである。店長さんと思われるキリっとした女性にこれNujabesですよね?と英語で聞くとYesと答えてニコニコ笑っていた。とにかく全てが完璧だ。
 

 

かくして理想的喫茶店チーズケーキの出現はいつも突然

チーズケーキというのは、喫茶店の必須メニューである。喫茶店というのは飲料によって評価されるものであると同時にチーズケーキによっても明瞭に評価されるべきものなのである。

 

この韓国モダン喫茶店のチーズケーキはもう本当に最高なのであった。慎ましやかでありつつも甘やかな味わい、しっとりとした食感、軽すぎず重すぎない食べ心地、たっぷりと乗ったデコポン風のぷりぷり柑橘類が味を華やかにする。甘いだけのチーズケーキというのはよくない。それは媚びなのである。チーズケーキたるもの毅然とした態度でいてもらわねば困るのである。そういった点でこのチーズケーキは気高さを感じさせるのがよい。ほとんど満点と言えるチーズケーキだった。

 

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皿も装飾が美しい。チーズケーキを食べてはアイスティーをきゅーっと飲む。喫茶店というのはやはりこれだなと思う。サウナで水分が抜けた体になんとも心地よい。砂が水を音をたてて吸収していく時のような調子で、体に水分が行き渡っていく。

 

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僕はこのなんとも魅力的な打ちっぱなしコンクリ空間で、鳴り響くNujabesに耳を傾けつつ、抜群の美味しさのつややかでこぽんチーズケーキを食し、からっからの体にアイスティーを流し込み続けた。茶は癒しだ、人体構成の根元栄養だ。人間なんてほとんど水分なのだから。そうだ、この旅行、手当たり次第、茶を飲んでいくことにしよう、そう決意したのだ。

 

ソウル激情うどん通りのくるくるパーマおばちゃん

二月上旬、吹きさらしのソウルにやって来て、サウナで三時間、喫茶店で二時間をすごし、特に観光をするでもなく時は気まぐれに過ぎていった。喫茶店療法によって人生的疲労に緩和の兆しが現れていることなどから、せっかくだし、少しは観光地的なところに行くかと思い立ち、南大門市場へ向かった。

 

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昔、カルグクスという韓国うどんがうまいらしいと聞いたことがあった。僕は最近うどんがかなり好きで、ラーメンよりも実は全体的にうどんに真実があるのではないかと思ったりしていて、そのうちカルグクスなるものを食べたいものだなあと思っていたのである。

 

南大門市場の中にはカルグクス通りなるストリートがあり、韓国うどんの店がその居を争うようにして立ち並んでいるというのである。それはすなわち行かなくてはならないことを意味しているのだ。

 

韓国うどん通りは、地元のおっちゃんおばちゃんが詰めかけていて、にぎやかな雰囲気だ。この通りはなかなか激情的な通りであり、一歩足を踏み入れると、くるくるパーマおばちゃんがカウンターの向こうから「あ〜こっち、こっち、いいから、とにかく黙ってこの席に着くの分かる?うどん、ビビンバ、そう、何も考えなくていいからここ座るの」といった感じで、凄まじい勢いで勧誘をしてくるのである。そのおばちゃんたちの迫力たるや、上位の大阪のおばちゃんに匹敵といったかんじで、ちょっとなかなかのものなのである。

 

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僕はおばちゃん達の激情的勧誘を決死の面持ちで掻い潜り、店選びのため、一度端から端まで歩いてみた。端まで歩いてわかったことは、ハングルも分かるわけでもなく、ほとんど同じような業態なので、どこの店で食べても大して変わらないのではないかという事であった。

 

やや、控えめに「勧誘されて大変そうね、まあ、ここらへんで落ち着いたらどうや」というような鷹揚な態度のおばちゃんが一人いたので、そこのカウンターに座ることにした。勧誘というのはされればされるほど心が離れてしまったりする難儀な特性を持つものである。着席したのは南海食堂という店のようだ。

 

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おばちゃんは麺をタンタンタンタンと小気味よく切る。僕は山盛りの野菜をぼんやり眺める。おばちゃんは、ほとんど無表情で努めて事務的にさながら全自動機械のように麺を切り終えると、湯の中に麺を豪快に落としいれた。すぐに茹で上がり、かくも一瞬でカルグクスが出来上がった。

 

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淡い塩味の香りが蒸気とともに立ち上がってくる。韓国式の鉄の箸を握り、虚心坦懐でスープを飲む。韓国ノリと油揚げの香りがスープに溶け込んでいて穏やかな味わいだ。あわせて麺を口に放り込むとぷりぷりでよい甘味がある。醬が全体をいいかんじに締めている。これはおいしい。日本人は好きな人が多い味なのではないかと思う。飲み会終わりに上気する体でさっさっと食べたりしたら最高だろうなと思った。

 

なんと、カルグクスだけなのかと思いきや、副菜として(それにしては尋常ならざる量なのだが)麦のビビンバ、冷麺、キムチ、味噌汁がついてきた。おばちゃんは「何やってるの、とりあえず冷麺から食べものなのよ」的な指示をしてきた。伸びるからなのだろうか、それとも韓国にも食べる順序があるのだろうか……食をめぐる文化というのは深甚なのである。

 

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 言われるがまま冷麺を食べる。冷麺は専門店で食べる方が圧倒的に美味しいな……という感じだったのだけど、麦のビビンバはなかなか美味しかった。米とは違って豆を食べているような食感が強い。喧騒を背に、詰め込まれた人いきれのカウンターで、ぐるぐるにビビンバを混ぜ合わせかっかっとかきこみ、カルグクスの汁に心を奪われていると、アジアの食文化というのはやはりそれぞれ近しいものだなあと思う。

 

サウナでたくさん寝て、喫茶店でぼーっとNujabesを聞き、うまいものを食べて、徐々に人生的疲労が和らいできているような気がした。正直、サウナも喫茶店も食事も、どれも日本でできることである。特別なことをしなくったって、気の向くままにぶらぶらする旅行だって楽しいものなのである。

 

泥酔サマルカンド警察官「おれに心の友はいないのかもしれない」

真夜中に仁川空港を飛び立って、広大に広がる暗がりのシルクロードを眼下に、タシュケント経由でサマルカンドへ向かった。爆睡であった。一瞬のうちにサマルカンドまであと30分になっていた。飛行機の隣には屈強なウズベク人が座っていた。警察官をしているのだと彼は言った。

 

「お前は日本人なのか」泥酔警察官は英語で訪ねてきた。

 

「そうそう。旅行でサマルカンドに向かっているんだ」

 

「そうか、おれの地元、楽しんでくれよな。俺はいま、40時間起きていて、そして泥酔しているんだ。全てがかなりぼんやりしている」

 

やや怪しい呂律で彼は言った。ウズベクイスラムでも酒に寛容な国なのだなあと思った。

 

「俺はNARUTOが好きだ」

 

「おお、昔よく読んでいたよ。NARUTOは日本でも人気だよ」

 

NARUTOっていうのは日本語でどういう意味なんだ」

 

「食べ物で、ヌードルの上によくのっているね」

 

「食べ物なのか!いつか日本に行きたいよ。おれはインターネットで日本について調べるのが好きなんだ」

 

飛行機の窓から外をみると、夜が終わり、徐々に世界が青く色づき始めていた。

 

「君には友達はいるのか」サマルカンド警察官は言った。

 

「自分ではいると思っているけど……」

 

「そうか、それはいいことだ。俺は真の意味で友達がいるのか最近悩んでいるんだ」

 

そう言って、泥酔警察官は眠りに落ちた。

 

癇癪の果て、サマルカンドの朝食は

 泥酔サマルカンド警察官は「おれに任せておけ、お前を宿まで送って行ってやる」と言って、タクシーに乗り込み、たしかに僕を宿まで送ってくれた。空港のタクシーはとにかくぼったくりだらけだと聞いていたので警察官が同乗してくれるというのは大変に心強かった。

 

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問題があるとすれば、朝早かったので宿の門が空いておらず、警官が開けろ!!と騒いで騒動を起こしてしまったことだけである……泥酔警察官は20分に渡って開けろ、開けろ!門を叩き続けた。やっと出てきた宿の主の女性は大変ご立腹のようであった。なんなんだあの無礼な人間は!これだから警察は嫌いなんだ!と女性は僕に英語でブチキレていた。旅行とは何が起こるか分からないものである……

 

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宿の主が「まあいろいろあったけど朝ごはん食べていきな」と食事する部屋に呼んでくれた。

 

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席について、朝食がテーブルに並ぶと、僕は簡単に色めきたった。なんという充実した朝ごはんなのだろうと……ソウルでしこりのように残っていた人生的疲労にも雪解けが訪れた気がした。

 

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赤々とした威勢のよいアプリコットのジャムをパンにのせる。もうたまらなく甘酸っぱく、果物の味がしっかりと主張をおこない、パンとの組み合わせもよく、なんともいえなく充足した気分になる。あったかいパンの上で、ジャムが朝の冷気を吸って、ひやっとしているのもなんだか心地よかった。人生の本質は朝ごはんにあったのか!?と普段朝ごはんをあまり食べない僕は20代も終わりに近づき、朝ごはんの価値についてあらためて考える必要があるのではないかなどと真剣に思うのだった。単純な人間なのである。

 

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続いてメロンのジャムをのせる。 果肉の柔らかさが残っていて食感がよい。ジャムを作って生きていきたいという謎の欲望が湧いてくる。宿の主に「今日はいい天気ですね」というと「サマルカンドは青空がきれいなことで有名なんですよ」と教えてくれる。主の怒りも冷めてきたのか、髪を撫でつけ、身づくろいをしながら穏やかな表情で答えてくれた。自分が東京はどんな街なのですかと外国の人から聞かれたらなんと答えればよいのだろう。

 

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「 グリーンティーでいいですか」と聞かれもちろんですと言うと、なにやらやたらと立派な茶器で茶を注いでくれる。

 

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 サマルカンドの朝は寒い。中央アジアの乾燥した空気の朝だ。茶から立ち上る湯気の行方を目で追う。茶をすする。体が中心から温まっていくのを感じる。何倍もおかわりしてしまう。茶か。やはり茶なのだなと悟る。サマルカンドの朝は、悟りが多い朝なのである。

 

ウズベキスタンで茶器を買って帰ろう。そう思った。

 

レギスタン広場の装飾は、我が魂に及び

 

ちょっと散歩してきますと主に言って、宿を出る。まだ8時前だ。宿のすぐそばにメドレセという神学校が並んでいるレギスタン広場があったので行ってみることにした。朝のサマルカンド は寒い。10分ほどでついた。

 

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仕切りで中に入れないようになっていたので、ぼーっと立っていると、警備員がやってきて「まだ朝だからオープンしてないんだけど、どうせあとでチケット買うなら、中に入って見ていていいよ」と言った。ウズベキスタンといえばもともとソ連だったわけだけど、なんと非官僚的、柔軟対応なのだろうと僕は驚いた。ウズベキスタンはこれは間違いなくいい国に違いないと僕は確信した。

 

お言葉に甘えて、まだ誰もいない早朝のレギスタン広場の中に入っていく。かつかつと誰もいないレギスタン広場に靴音が小さく響く。雄大な青空の下、サマルカンドの歴史を独り占めしている気分になる。

 

メドレセの下までやってきて、なんと細密で美しいのだろうと僕は息を飲んだ。

 

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すごい…宇宙だ……と思った。めちゃくちゃに精巧だ。全体をみても美しく、細部を見ても美しい。朝日が装飾にうつり、色をうつろわせる。僕は誰もいないレギスタン広場で立ち尽くし、あっけにとられていた。宗教建築には強大な力がある。色々なことがどうでもよくなっていくような気がした。浜で波が引いていくかのように、本当に気分がめっきり変わったのである。美しいものの力はすごい。


ブハラのチャイハネのなかに溶け込んでいくのか孤独は

サマルカンドを一通り観光し一泊したあと、電車に乗って、ウズベキスタンのブハラという街にやってきた。ウズベキスタンの西方にある古都である。(サマルカンドについて詳しく書くと1万字ほど増えてしまうので、時間があれば別で書きたい)

 

ブハラはサマルカンドよりも砂の街という印象が強い。シルクロード文明の息吹を感じさせる。舗装されてない路地がたくさんあって楽しい。

 

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中心地まで歩いていくと、むちゃくちゃにでかい要塞があった。そして、見てのとおりびっくりするくらい人がいないのである。ウズベキスタンは夏が観光シーズンらしく、冬は本当に観光客が少ないのだ。

 

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さて、茶を飲む場所でも探すかとGoogleを開いた。なんでもウズベキスタンは、チャイハネと呼ばれる喫茶店のようなものがあるらしい。シルクロード文化圏と言うのはやはり、香辛料、お茶、といった文化が根強いのだろう。

 

ウルグ・ベク・マドラサの裏手にチャイハネがあるらしいので行ってみることにした。

 

そして逐一美しいマドラサ

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扉を開くと、店内には誰もおらず、物音ひとつしない静けさが広がっていた。エクスキューズミーと申し訳なさげに声を発してみると、30秒ほどして奥の方から店員さんがやってきた。店員さんも裏で休んでいるのだから、ウズベキスタンの冬は本当にオフシーズンなのだなと思う。

 

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ウズベキスタンの主要な茶菓子がついてくるセージのティーセットをたのむ。

 

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誰もいない店内を見上ぐ。日の光が屋根の隙間からこぼれていてなんとも幻想的な感じがした。天井が高く開放的で、日本の喫茶店とは大分ちがう感じだなあと思った。

 

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ティーセットはすぐにやってきた。薄く透き通る緑色のセージは、口に含むと爽やかな香りが鼻に抜けて大変美味しかった。昨日のサマルカンド もそうだったけれど、ウズベキスタンと言うのはお茶を甘くしない文化圏なのだろうか。

 

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レーズンがやたらとうまい。ウズベキスタンではレーズンがいたる所で売っている。そして正しくうまい。そとはカリッと乾いているけれど、噛むと果物の味がしっかり残った濃厚な味がする。

 

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ブハラはシルクロードの主要な交易拠点として栄えた街であるらしい。いろいろな土地からやってきた交易商たちが、砂漠のなかにぽつんと浮かぶ街でこうして茶を飲みながら交遊を深めたのだろうかと思うと、こうして茶を飲むのもなかなか意味深いものであるような気がしてくる。大いなる違いは、今、圧倒的に一人で茶を飲んでいると言うことである。

 

一人旅というのは四日もたってくるとなかなかそこそこ孤独を感じてくるものである。街中が活気づいていればまた印象も違うのかもしれない。話し相手がいないどころか、そもそも人自体がちらほらとしかいないのである。セージを飲んでも一人。茶菓子を食べても一人。かちゃかちゃと茶器が擦れる音が響いていた。

 

なぜ茶は茶で、チャイはチャイで、ティーティーなのか、イスタンブールで考え中

ウズベキスタンを後にして、イスタンブールへとやってきた。日本を出て五日目、怒涛の移動である。この頃になると、二三日目の一時的な一人旅の孤独感は薄まってきて、むしろ、トラベラーズハイとでもいうような謎の高揚感が体を襲っていた。さながらガガーリンのような勇敢さを持って僕は歩みを進めていた。今回の旅行は情緒の上げ下げが忙しいのだ。

 

我、ここにいたりてはどこまでも行き、神羅万象有象無象のあらゆる物を目にし、食し、経験し!!それこそが旅なのだ!!という欲動が体を突き動かすのである。旅立ち時の人生的疲労もどこへやらである。やはり人生的疲労の解消においては環境を変えどこかへ出かけてみることが大事なのだと思う。

 

ご存知の方も多いのではないかと思うが、トルコというと、チャイと呼ばれるお茶文化が盛大に花開いている国なのである。街のあらゆるところで老若男女が集い、時にひそひそ、時にガヤガヤとお茶を楽しんでいるのである。5トルコリラ=80円くらい?でチャイが売られている。

 

こういうやつだ。なんとも可愛らしいではないか。潔い片手サイズなのもよい。

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イスタンブールの街角で、美しく透き通るトルコチャイ前にを僕はふと考えた。茶とかチャイとかティーだとかこの呼び名は間違いなく同一の由来がありそうだ。この差異というのは一体いかにしてうまれてきたのだろうか、と。

 

全部チャでよかったのではないのか。いったいなぜことほど左様に微妙に変化し世界に広まっているのか。どこを発祥にして、いかなる経路をへて、名前が変わっていったのか。僕は空港で手に入れたやたらと高い20ドルのSimカードを駆使し、Googleに聞いてみることにした。すると以下のようなエッセイにたどり着いた。

 

History of the word "tea": How the word "tea" spread over land and sea — Quartz

 

 ちょっとした例外を除くと、茶は二通りの呼び方がある。すなわち、ちゃ系とてぃー系である。これはどちらも中国を起源としているのだけど、その差異がいかにして生じたかというと、以下のような理由なのだという。

 

The words that sound like “cha” spread across land, along the Silk Road. The “tea”-like phrasings spread over water, by Dutch traders bringing the novel leaves back to Europe.

 

 ちゃ系の音と言うのはシルクロードをベースに、土地伝いに広がっていき、てぃー系というのは、水づいたいに海運とかで広がっていったというのである。そしてチャイというのはシルクロードを経て、ペルシャあたりで呼ばれるようになったということだ。日本と韓国は、西方へ広がっていく前に中国からきてるのでそのままチャと呼ばれているのだという。(僕の英語力は貧弱なので、お暇な人は原文を読んでください)

 

in the coastal province of Fujian, the character is pronounced te.

 

ちなみにてぃーというのは、中国の沿岸部にある福建省で茶の発音がteだったため、それが海をへて広がっていったということらしい。

 

僕はイスタンブールの街角で、一人、なるほど〜と呟いていた。シルクロード大航海時代をめぐる、茶の大いなる歴史を知ってしまったのだ。と同時に、中国という国が世界に及ぼした影響の強大さを思い知ったのだった。

 

灰色の空から舞い落ちてきたのは排外主義

 

ひとり、スマホを見ながら無限に感心して、そうか、やはり茶の文化的意義、射程の広さを感じるためにも、茶を飲まねばならないなあと思い歩いていると、突然ぼとっと音がした。

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なんだ、なんだと、下をみると、そこには、なぞの肉片が落ちていた……

 

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 写真だと大きさが良くわからないが、だいたい20センチくらいである。僕は茶への無限の感心モードから突然現実に引き戻された。やや、この肉片はなんだ。これはあれか、つまり、コロナウイルスを持ってきたアジア人であるところのそこのお前、ここからサレ!的な肉片なのか!

 

なんということだ。石を投げられると言うのであればまだ想定の範囲内である。キリストの逸話よろしく、折々、人類は石は投げつける生命体なのだ。ところが肉片を投げつけられたとなれば話は別である!?しかも、スーパでは売っていないようなレベルの大きさなのである。さすがに想定の範囲外だぞ、と一人混乱していると、トルコの青年が僕に近寄ってきた。

 

お〜お前はアンラッキーだと言った感じで上を指差した。不機嫌な調子で彼の指差す方をみると、枯れ木に無愛想なカラス的鳥類が人を食ったような態度でそこに止まっていた。トルコ人は、あいつがやったんだよといった感じのジェスチャーをした。そう、トルコの無愛想鳥類は、いきなり、僕に骨張った謎の肉片を放り投げてきたのである。そう、トルコは油断も隙もない国なのである。

 

とにもかくにも、トルコチャイを巡って

トルコ、とりわけイスタンブールというのは非常に油断ならない所なのである。イスタンブールの一番の中心地、アヤソフィアの周辺には、善良な雰囲気をまとった日本語ペラペラトルコ人が大量に発生しており、こちらが日本人であることを視認するやいなや、すみやかに横にやってきて、やあ、マイフレンドといった表情筋で、日本人ですか、案内しましょうかとくるのである。

 

日本語も喋れていい人じゃないか!と付いていったら最後、脱出不能の部屋に連れて行かれて、高額の絨毯を買わされたり、謎のキャバクラ的施設に連れて行かれて巨額を請求されたりするらしいのである。

 

話がずれたが、トルコといえば、つまりはチャイなのである。トラベラーズハイに突入し、無限かつ無用のやる気に満ちた僕は、手当たり次第にチャイを飲むことを決めた。ここに書かれるのはその記録である。

 

まず、ホテルでチャイを。

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僕はわりと甘いのが好きなので角砂糖を二つ落として飲んだ。チャイ、美味しい。トルコのチャイのいい所はこの謎のフォルムのグラスである。こぢんまりとしていて、潔さを感じさせ、そしてとにかく熱いのである。手に持つと速やかに熱いのだ。しかしそれがいいような気がする。アツっとか言いながら、右左手を変え、一口サイズのチャイをちびちび飲むというのが、なんとも風情があっていいのである。

 

目線の先にはおびただしいトルコランプがつられている。ランプの形もひとつひとつ個性的である。楽しい国だなと思う。

 

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ホテルを出て、グランドバザールへ。

 

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グランドバザールでは、店員さんたちが、接客をしながらチャイを嗜んでいる姿が散見された。働いていることと休んでいることの境界が極めて曖昧である。どこからかチャイをたくさん持ったチャイ配達おじさんがやって来ては、早足で各店にチャイを配給していく。その小走り感たるや、なんだか運動会で時々見る、お玉にピンポン球入れて走る競争のようでちょっと面白いのである。

 

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さっきホテルで2杯飲んだばかりではあるが、グランドバザールにおけるチャイ配達システムに気を動かされ、とりあえずチャイを飲むかと店を探すことにした。

 

なんにせよグランドバザールを歩くのは楽しい。入り組んでいて、道の先に何があるのかよくわからないのが冒険心を掻き立てる。

 

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カフェを見つけたので入ってみる。調子にのって二杯飲む。

 

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 店を出ると、子猫がいた。そう、イスタンブールはチャイの街であると共に、猫の街でもあるのだ。

 

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金を守る猫。 

 

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家電量販店の猫

 

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ちょっとローカルな感じの店に。 

 

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ぼーっとチャイを飲んでいるおっちゃん達を、ぼーっと見ながらチャイをすする。

 

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二日間、僕は、チャイを飲み続けた。

 

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トルコチャイのオーバードーズで瀕死 

それは突然のことであった。

 

僕はレストランで、少し早めの夕食をとっていた。

 

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もちろんチャイとともに。
 

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チキンを二口くらい食べたところで異変に気がついた。なんだか体がずんと重いのだ。物理的に重いというのに加えて、急激に心象風景が灰色になっていくのも感じた。僕はフォークを口に運びきれずに、しばしの間、食べる人とでも名づけられるべき銅像と化したのである。

 

三分ほど一点を凝視し続けていた。自分の感覚が自分のものではないような感覚が続いた。この感じ、なんだか身に覚えがある気がするぞと記憶を辿っていくと、カフェインを大量摂取した時になる、気分の沈下現象であることに気がついた。この現象、数年に一度訪れるのだが、所詮は数年に一回なので、すっかり忘れた頃に青天の霹靂的に僕の体を襲うのである。

 

すっかり食欲もなくなり、チャイも飲む気が起こらない。街に降り注ぐ雨の音だけが耳を刺激する。しまった、これはしまったぞ。体がだるすぎる。ぽとっと何かが落ちる音がして、机の下をみると財布が床に落ちてしまっていた。気怠い体をせいやと動かし、机の下に体を潜らせ財布を拾う。

 

その時だった。背中がなんとなく熱いなと思った。僕の体はテーブルクロスを引きずっており、チャイが僕の背中に降り注いでいた。チャイはセーターの上を滑り落ちて、僕の靴をびしょびしょに濡らした。

 

そりゃこんな端に置いていれば落ちるのも当然である。

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僕は、慢心していた。日本を発つ時、きっとどこかの国で雨が降り、靴の中に雨水が浸水してくるのだろうと思った。グチョグチョになった靴ほど旅行の気力を減退させるものはないのだ。すなわち、旅行において最も重要な事前準備は防水スプレーを靴にかけまくることなのだ。なんて聡明で注意深い人間なのだ自分は、と旅行出発前の玄関で意気揚々と防水スプレーを靴に向けて噴射していたのである。

 

ところがどっこいである。チャイは、そんな僕の事前戦略を嘲笑うかのように、見事に靴をグチョグチョにしたのである。防水スプレーなんていうのは所詮ちょっと水たまりを踏んだ時に水がしみこみませんよ程度の物である。液体が注ぎ込まれればなす術などはないのである。

 

体も精神も、もう完全に消沈し、全体的に敗北が決定づけられようとしていた。僕は、彼女にこの全面降伏的敗北状況をLINEで報告した。すぐLINEが返ってきた。

 

「乾かないお茶はない」

 

止まない雨はない、あけない冬はない。そして乾かないお茶はないのである。僕は笑ってしまった。カフェインオーバードーズでやられた精神に幾ばくかの光がさした。少しだけ元気を取り戻した。敗北からはじめよう。そう、お茶はいずれ乾くのだ。チャイに染まったグチョグチョ靴で重い体を引きずり、店を出た。

 

美しき街、イスタンブール

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イスタンブールでは礼拝の時を告げるアザールが時折町中に響きわたる。現実が一瞬静止するような気がする。僕の状態とは全く独立してイスタンブールは美しい。

 

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イスタンブールを発つフライトは夜中だったため、空港に到着していなくてはならない時間まであと6時間ほどあった。しかし、この焦土と化した体と精神を持ってして、寒さに耐えながら時間を過ごすことに限界を感じ、最後にアヤソフィアを見て、とっとと空港に行ってしまうことにした。

 

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アヤソフィアを楽しむためのたった一つの冴えない方法

 

アヤソフィアをみるためには十五分ほど並ぶ必要があった。ただでさえ気温は低く、足は冷たかった。なんとも辛いことだなあと思いながら、雨降りしきる路上で、じっと入場を待った。

 

ティッシュをつめて足踏みなどをすることによって、徐々に体温を上げ、かつ靴を乾かしていくことにした。日本語ペラペラ詐欺師たちが、俺が案内するよと話しかけてくる。僕は眉ひとつ動かさず、冷徹な面持ちで一切を無視である。他人にかまっているリソースなど全くないのである。

 

詐欺師たちは「お兄さん、つめたいねー」と言って去っていった。

 

足元から広がる寒さと戦い、苦難の十五分をなんとかしのぎ、通路を抜けて大きなホールに出る。そこには、比類ない荘厳な空間が広がっていた。

 

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カフェインオーバードーズでやられた精神にその美しさは染み込んできた。足の冷たさも一瞬遠のいていくようであった。イスラム教とキリスト教という異なった宗教の交差点として現世に残ったモスク。めちゃくちゃにパワフルである。結局、こういう宗教装置というのは自分が辛ければ辛いほど、より美しく見える物なのかもしれないと思った。

 

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イスタンブールにおける羽田−成田問題はカフェインによって回避された

想定よりも4時間も早く、空港に到着した。カフェインオーバードーズにやられて精神が沈没状態だったからである。本当は、トルコの有名なサウナで体を温めて、疲れを癒してから空港へと思っていたのだけど、サウナにいく元気も完全に消滅していた。チェックインのカウンターだけとっとと確認しておくかと、あたりをウロウロする。

 

あれ、と思った。ない、どこにもないのである。チェックインカウンターがないのである。手に汗がじわっと浮かんで来た。ロビーを行き来すること二回、チェックインカウンターを知らせる電光掲示板を隅から隅まで見ること三回、やはりどこにも、僕の乗る予定のフライトのカウンターの表示がないのである。これはもしかして大変不味いことになったのかもしれないと、スマホでEチケットを調べてみる。

 

そう、出発の空港はなんとイスタンブールの別の空港だったのである。羽田発なのに成田にきてしまった状態に陥ってしまったのだ。旅行中に遭遇しがちなトラブルトップ3には入るであろう典型的やらかしである。スタッフを捕まえて、ここの空港に行きたいのだというと、ちょうどよい時間帯に、別の空港行きのバスが出ることを教えてくれた。

 

カフェインオーバードーズで消沈した結果、やたらと早く空港についていたため、奇跡的に別空港へと移動する時間の余裕があったのだ。安心して、体が弛緩していくのを感じた。走ったのでこめかみに汗が浮かんでいた。バスに乗り込む。満員のバスは、やたらと暖房が効いていて、靴は急速に乾いていった。しかも、紅茶の抗菌的作用なのか、生乾き的嫌な匂いは全くなく、むしろ靴から紅茶の爽やかな匂いが香っていた。そう、乾かないお茶はないのであった。雨が伝う窓ガラスからイスタンブールの景色を見る。きっと、また来るぞ。今度はゆっくりと、と滑稽な来訪者は思った。

 

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アラブ首長国連邦における虚無の6時間

乗り継ぎのアラブ首長国連邦で、アイスティーを飲む。信じられないくらい甘い。砂糖の飽和水溶液で、氷がガムシロップとかそういうレベルである。人間の飲み物じゃない。良質なお茶を摂取し続けてきたので、こんなのはダメです!と怒りがこみ上げる。

 

空港で一人で6時間待ちはなかなかきつい。何もすることがない。眠気もない。アイスティーは信じられないほどまずい。飛行機でよく寝たことでカフェインオーバードーズ寛解した。

 

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一人旅はカトマンズで終わる

カトマンズに到着した。ついに友人が合流することとなり、一人旅が終わった。同時に、寒さに凍える旅も終わった。

 

パタン旧王宮へ。ネパールはアジアはアジアでも、今までの国とはだいぶ趣きの違う国である。

 

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仏像がたくさん展示されており、ネパールのヒンドゥー仏教文化を感じる。広場近くのホテルの屋上にあるカフェに入ってみる。カトマンズの一体が見渡せる。日本を出て九日ほどがたっていた。トルコよりは日本に近寄ってきてはいるのだが、心理的に随分と遠くまで来たものだという感慨があった。

 

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茶を飲みながら、今まであった出来事を滝のように話す。人間、一週間喋る機会がないと、会話欲求がかなり溜まるものなのだな……と思う。あまりにも当たり前のことすぎて、改めて書くのも恥ずかしいことであるけれど、お茶というのは一人で飲むよりも誰かと飲んだ方がよりよく感じられるのものなのだ…… 

 

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カトマンズの日式純喫茶でくつろぐネパールのおっちゃんに無限の共感を


カトマンズに来るにあたり、一軒行きたい喫茶店を事前に探していた。カフェではない、喫茶店なのである。カトマンズにも喫茶店があるのだ。その名もちくさ。

 

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看板もパンクでよい。

 

Tired of Nescafe? REAL COFFEE!

 

喧嘩売りまくりである。すこしビビりながら店に入る。

 

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 この店、完全に日式の喫茶店なのである。いったいなぜ、カトマンズのど真ん中に、時空が歪んだかのような喫茶空間があるのだろうか。見てくれこのカウンターと椅子を。名古屋のちょっと郊外のあたりにぽつんと営業30年といった感じがするではないか。しかし、日本人がカウンターに立っているかというとそういうわけではなく、普通に現地のネパールの人が働いていて、客も基本的に地元のネパールのおっちゃん達なのだ。

 

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1998年開業のようである。20年を超える歴史があるらしい。ちくさモーニングセットなるものがあったので注文してみる。威勢のいい剃り込みの入った髪型の、ちょっと強面のお兄さんがにこりともせず”了解”的な視線をくれる。なかなかハードボイルドな喫茶店である。

 

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 「イスタンブールってチャイが有名なんだけどさ、気合入れて飲んでたら、飲みすぎて気持ち悪くなっちゃって死にそうだったんだよ」

 

「え、お茶頼んで大丈夫なの」

 

「今は落ち着いてるから大丈夫だと思う。背中から紅茶が降ってきてそれはもう大変だったんだよ……」

 

「背中から?よくわからないけど大変だったんだね…」

 

「でも、気持ち悪くなったおかげで、飛行機を逃さずにすんだんだよね」

 

「ほうほう…?よくわからないけどよかったね……」

 

とかなんとか堰き止められていた会話欲が一方的炸裂していると、モーニングセットはやってきた。なんとも正しいモーニングである。

 

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いったなぜ、こんないかにも日本の純喫茶的な喫茶店がこのカトマンズのど真ん中にあるのだろうかと思念しながらミルクティーを飲む。美味しい。普段あまりミルクティーを飲むことがないのだけど、改めて飲むと美味しいものである。パンにバターを塗って、オムレツ風の卵をのせて食べる。優しい、なんともやさしい朝食だ。カウンターではコーヒーが錬成されており、豊かな香りが立ち上がっていた。地元のおっちゃん達が集まって談笑している。日本とほとんど同じ光景である。

 

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「日本でも近所にあったら来たいレベルだね」

 

僕は暖かなミルクティーをすすりながら言った。

 

「ほんとだね。これは良い喫茶店だね。明日も来ようか」

 

友人も目を細めてコーヒーを飲み、この店を気に入っているようであった。

 

カトマンズと歌舞伎町の近似性

ちくさを出て、ダルバール広場へ向かう。カトマンズの街並みは絵に描いたような混沌で本当に楽しい。街からエネルギーが迸っている感じがする。言語も様々の看板が道にはみ出し、バイクがいかにも体に悪そうなガスを残して走り抜けていく。看板の密集がちょっと歌舞伎町っぽい。

 

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小さなマーケットが街のいたる所に散らばっている。ネパールの人々は一心不乱に購買活動に勤しんでいる。しかし、なんとなくその雰囲気は気だるげである。

 

 

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ラッシー・ドリンク・ラバーズ・オンリー

 

どこもかしこも道は人とバイクで混雑している。ウーパイ!ウーパイ!とリキシャと呼ばれる自転車みたいな乗り物に乗った男たちが、俺がお前を目的地まで運んでやるぞと中国語で価格交渉をしてくる。ネパールの人々はあまりコロナを恐れていないようだ。

 

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ひしめく寺を尻目に、僕はなにやら楽しげな店があるのを見逃さなかった。ポップな店構えだなあと覗いてみると、どうやらラッシー屋であるようだった。

 

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「ラッシーあるじゃん!飲んでみる?」と聞くと友人は目を際立たせ「実はおれ、何よりもラッシーが好きなんだ」と答えた。

 

「お腹壊さないかな……まあもう日本帰るだけだしな」などと僕はやや日和ながらラッシーを買った。

 

ラッシーは金属製の壺に入っていた。

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ラッシーは日本で見るものよりトロッとしていた。ラッシーの上にはレーズンとナッツが散らばっていた。見るからにうまそうだ。

 

一瞬、ここでもしお腹を壊し体調が悪化したら、日本の入国審査で引っかかり、コロナ疑惑帰国者という今最も警戒される者として、経過観察の名の下、謎のサナトリウム的閉鎖空間での二週間生活を余儀なくされ、会社にも行けず、挙げ句の果てには、もうお前などいらない的な宣告が会社から下されたりはしないだろうか……と頭が勝手にシミュレーションをおこなう。

 

しばしラッシーを眺める。まあ死なばもろともだな(何がもろともなのか……)と思いながらラッシーを飲んだ。

 

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ムム!僕は神経を舌に集中させた。うまい!うまいのである!日本のインドカレー屋で食べるラッシーとは全然違う味がした。とろっとしたクリームのような舌ざわりで濃厚な甘さがあった。口の中でナッツの香ばしい香りと、レーズンの甘酸っぱさが追いかけてきて、渾然一体の幸福な味がするのである。

 

これで入国出来なくなるのであれば、それは運命として受け入れよう……カトマンズの路上で、僕はラッシーを片手にしみじみと思ったのだった。

 

緑のラッシーをガブ飲み、東京の夏はラッシーを待っている!

 

ちょっと歩いたところにもう一軒ラッシーやがあったのではしごする。鮮やかなオレンジパーカーのイケメンがとろとろラッシーを軽やかな手際で注いでくれる。僕はじっと提供を待つ。

 

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 こちらの店のラッシーはやや緑がかっている。壺に入った緑の液体をみていると、なんだかじゃがいものビシソワーズかのようである。

 

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やはりラッシーにはナッツが散りばめられる。ラッシーを受け取り、一息に飲んでいく。こちらの方がさらにとろみがあるような気がする。大変に美味しい。甘さ、酸味、そしてナッツの香り。絶妙である。目下、日本ではタピオカが世間を席巻している。そこかしこ、ネコも杓子もタピオカドリンクである。僕は思った。ラッシーだ、次はラッシーなのではないか、と。うだるような夏の東京に、路上スタンドラッシーバーがあったなら、一夏の甘酸っぱいラッシードリンク、それはほとんどオアシス的効果を持つのではないかと!

 

東京の夏はラッシーを待っている!

 

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「めちゃくちゃラッシー美味しいね」と何よりもラッシーが好きという友人は言った。

 

「日本で飲むのと全然違うんだね。ラッシー観念のパラダイムシフトだわ……これは本場のインドでラッシーを飲まなくてはならない気がしてきたぞ……」

 

「次はインドか……」

 

「ネパールまできたらインドもすぐそこだ……」

 

ネパールの雑踏は怪しい華やぎで、詐欺師がティーカを輝かせている

ひとしきり観光を済ませ、ホテルに戻ることにした。カトマンズは街を縫うようにして細い抜け道が通っていて、歩いているのが楽しい。喧騒の中を歩く。きっと何かを売りつけたいのだろう、日本語がペラペラの片岡鶴太朗的細身男性が近づいてくる。おでこには赤々とティーカが輝いている。無表情なのに、表情筋を必死に吊り上げて笑顔のようなものを作っている。

 

「今日は祭りだから君たちにもティーカをつけてあげよう」と、鶴太郎は言う。いやいや、大丈夫ですと言うも、鶴太郎は僕たちのおでこに真っ赤なティーカを塗りたくった。俺たちはフレンドだ、今から俺の店に来いと、見るからに怪しさしかない店の中に連れ込まれそうになった。これあげるからもう行かなくちゃと札を渡す。僕たちものの五分で八百円ほどが奪われた。鶴太郎はお金をとったら速やかに雑踏へ消えていった。

 

イスタンブールでは的確にヤバいやつを避けてきたが油断したところで、金を巻き挙げられてしまったのである。

 

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ミルクティー裏千家野晒し流

裏千家とはなんなのか。よくわからないが秘教っぽくてカッコいい。必殺技的でもあり、神秘主義的なニュアンスもある。暗愁の路地を抜けると、そこはまさに、秘教的ミルクティー屋が、世俗の奔流のただなかに鎮座していたのである。

 

「あそこ、行ってみない……」と僕が言うと友人はかくなる上はどうにでもなれと言った表情で「行くか……」と答えた。

 

おなかのぼんと突き出た、まさにミルクティーを愛して生きたことが容易に想像される体型のおやじがドシっと座っていた。おやじは僕たちになど1ミリも興味がなさそうな態度で、金を受け取ると、一口ガスコンロに火を入れた。

 

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 遠目でもなんか鍋が黒い気がするなと思ったのだけれど、近づいてみると、鍋は想像の三倍ほど黒々としており、再び帰国困難民になるのではないかという懸念が頭をよぎった。

 

ミルクティーは普通に考えると煮沸されているわけであるから、あくまで科学的観点に立脚するのであれば、ミルクティーは安全であるはずだ、長年営業を続けているということは、この店の鍋がたとえどれほど黒かろうと、ある程度衛生的であるはずだというきまぐれロジックを頭の中で作り上げることで、僕は自らを安心させることにした。

 

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小さなカップにミルクティーが少しずつ注がれていく。ほのかに紅茶の香りが漂っている。 今回の旅行では本当によく茶を飲んだな……と思いながらミルクティーを待った。

 

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店番をしていたやんちゃそうな少年がにやりと笑いながらミルクティーを手渡してくれる。僕たちは、ミルクティー屋の目の前の広場の縁石に座ってミルクティーを飲むことにした。広場では、若者たちが、やはりたむろってはミルクティーを飲んでいる様子だった。広場全体がちょっとしたカフェスペースのようである。一口サイズのワンコミルクティーをこうして、広場で野晒しで飲むというのはなかなかよい気がする。

 

ミルクティーというのは一般的に、テーブルと椅子でもって飲むものというような観念があるが、ガヤガヤした街角で縁石に腰掛けつつ街の雰囲気を茶菓子にごくごくとミルクティーをやるというのはこれはなんだかとても素晴らしいことのように思うのだ

 

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ミルクティーを飲む。甘くてカルダモンのような香りがした。美味しかった。胃腸の心配は無用であるように思われた。友人の額にはティーカが輝いていた。少し笑ってしまいそうになったが、よく考えたら自分の額にもついているのだった。夜になると少し肌寒いため、ミルクティーが胃の中にたまり体を温めてくれる。そうか、野外で酒を飲むというのはなかなか楽しいことであるが、野外で地べたでミルクティー、これもなかなかよいものであるなあと思った。

 

ネパールで最もうまいと言われたプリンは

 

この旅行にくる前、カトマンズに行ったことがあるという友人から、ネパールで一番うまいプリンがあるカフェというのを教えてもらっていた。その名も Snowman cafeである。広場のすぐ近くにあるようだったので、行ってみることにした。

 

Snowman cafeは結構昔かららしく、壁やテーブルなどがいい感じに年季が入っていた。

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プリン、アンド、ミルクティープリーズと若い兄ちゃんに告げる。こりもせずにミルクティーを頼んだ。店内はネパールの若者たちでいっぱいだった。相席制のようでテーブルを挟んで僕たちの前には同い年くらいのネパール青年が気怠そうな表情でなぜか肩を組みながらやはりプリンを食べていた。肩を組みながらプリン……食べにくくないのだろうか……もう何もかも終わってしまったかのように気怠げな雰囲気の青年たちは、プリンの最後の一口まで肩を組んでいた。肩組みの青年たちは、ひっそりとプリンを食べるとすぐに店を出て行ってしまった。

 

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「これはなかなかいい雰囲気だね」と僕は写真を撮りながら言った。

 

「そうだね、ネパールで一番なんでしょ?」と友人は言った。

 

「そうらしいんだよ。ネパールのプリンてどんな味なんだろうな。おいしいのかな。でも、けっこうネパールで食べるものどれも美味しいものが多かったよね」

 

「たしかに、昨日食べたカレーもおいしかったしね」

 

プリンが来た。

 

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なんと、これは、立派に立っているではないか。その健気なプリンは、日本の純喫茶的プリンに印象が近く、手作りしましたからね!といった感じの艶感で、僕は非常に好ましいと思った。スプーンをプリンに差し込む。少し固めな気がする。それも非常に好ましいことだと思った。

 

口に運ぶ。は、これは、日本の典型的純喫茶プリンである!本郷の麦という喫茶店のプリンに極めて近い味がする!!と瞬時に思った。そう、このプリンは麦のプリン同様すこしだけ酢のが入っているのである。凝ったハイソな作りではないか……おいしいぞ……とかなんとかプリン批評をしていると、あたりが突然真っ暗になった。

 

なにもかも終わりに近づいて、停電の夜

プリンは停電の中、黒々とした物体と化していた。

 

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どうやら停電したようだった。街頭はついているようだったので、単にブレーカーが落ちただけなのか?と思ったのだけど、まったく復旧する気配もなく他の店も明かりが消えているようだったので、やはり、停電しているのかもしれないと思った。

 

ネパールの若者たちは慣れた調子で、特に何事もなかったかのようにワイワイと喋り続けていた。街灯の明かりが窓からこぼれてきて、みずみずしい夜の色気のようなものを感じた。

 

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タバコがぽっと暗がりの中で赤く光っていた。

 

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「停電したね」と僕はミルクティーをすすりながら言った。

 

「うけるね」

 

「いやほんとに」

 

僕たちは真っ暗なカフェの片隅で真っ黒なプリンを前に小さく笑った。

 

「喫茶店とかならいいけど、病院とかは大丈夫なのかね」友人もプリンをうまい、うまいといいながら食べた。

 

「まあきっとそういうところは大丈夫なようになってるんだろうね」

 

僕は、ふと、旅行の始まりに澱のようにたまっていた人生的疲労が体から完全に抜け落ちているのに気がついた。人間が変わるには3つの方法しかない。時間配分を変える、住む場所を変える、付き合う人を変えるとかいう大前研一の話を思い出した。旅行が気持ちを切り替える良い手段であることの説明ではないかと思った。人間、何かを変えたければ物理的に変えるのが一番なのである。

 

「もう帰らなくちゃいけないのか〜」ネパールから合流した友人は名残惜しそうに言った。

 

「そうだね」僕は実はそろそろ日本に帰りたい気分になっていた。

 

ネパールの若者たちの会話は楽しそうに続いていく。あたりは一向に真っ暗なままである。舗装の甘い道を駆け抜けるバイクの音が店の外から聞こえてくる。

 

甘くすこし酸っぱいプリンを口に運んで、友人とついさっき出会った巧妙な詐欺師の悪口で盛り上がる。あいつは本当にサイテー、ゴクアクヒドーであった、制裁が降るべきである!まんまと引っかかってやったのだから、多少話のネタにさせてくれてもよいだろう。八百円しか取られていないのだけど。