今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何か考察するブログ

会計は偽札で。愛媛の果ての港町で銭湯に泊まる。至高のバッテラを食べる。

別府からすすけたフェリーに乗り込んだ。フェリーとはいいものである。凪いだ海の上に浮かんでいると、11月のほのかな気づまりもなんのその、とたんに穏やかな気持ちになる。日も暮れかかった頃、八幡浜まであと少しとというところまでやってきた。八幡浜は別府の向いの愛媛である。つまり愛媛の西側の果てのようなところである。

 

なぜ別府から愛媛の果てにやってきたのかと言うと、それは端的に、交通費を浮かすためであった。交通費を浮かす?フェリーに乗ってなに言ってるんだこいつという声がどこからともなく聞こえてくるようである。

 

大分空港から東京へ帰る飛行機より松山空港からの飛行機の方が1万円以上安かったので、経費節約のため、わざわざフェリーに乗って、こうして愛媛へとやってきたのである。

 

フェリーに向かって地元の小学生が手を降ってくれているのが見える。フェリーのガラスが汚ないだけなのだが、いい感じにぼやけていてセピア風の写真となり謎の感傷を呼ぶ。賃労働者たちが、そろそろ退社時刻かな、う〜ん、疲れた、うん?これを?今日までに?今日?なんていう不毛な押し問答を繰り広げている間に、小学生たちは灯台の下に集まって、夕刻、ゆっくりと港へ入ってくるフェリーを眺めているのである。

 

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無海の地埼玉で育った僕は、なんと贅沢な小学生たちなのだと、やや無分別な怒りを蓄えていた。しかし、そんなちっぽけな感情などはどうでもよくなってしまくくらい、海はやはりよいものである。人間は悲しみにくれると北へ向かう派というのが根強いという噂も聞くが、こうして海を見ると、人の悲しみは海に放り捨てるべきであるように思われる。そしてそれはとりわけ穏やかな内海、瀬戸内海こそが最適な場所なのではないか、僕はフェリーにおける人文学的雑魚寝の末、悲しみの行末をそう結論づけたのである。

 

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別府では旧遊郭建築の宿なるところに宿泊をした。その遊郭建築で愛媛ではどこに泊まろうと夜中にググっていると、八幡浜に泊まれる銭湯があるというので、これはなかなか興味深そうではないかと思い、銭湯に宿泊予約をしていた。大正4年創業の大正湯という銭湯で100年を超える歴史がある。銭湯ファンの間ではわりと有名なのだという。

 

数千円のため遠回りして帰るというのもなんとも馬鹿らしいことのようにも思えたけれど、こうして謎の泊まれる銭湯を見つけることが出来たりするので、遠回りも捨てたものではない。旅行の楽しさというものは、意図せざる帰結として訪れるものなのである。

 

商店街を歩いていく。

 

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商店街を抜け、5分ほど歩くと銭湯が見えた。なんともレトロな出立で、どこかの博物館のなかにあるジオラマのようである。入り口には”ゆ”と書かれたのれんが風にゆらいでいる。時間ががここで行きなずんでいるかのようだ。大正湯、なんとも正々堂々とした名前である。

 

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ふと気になった。平成も30年を超える歴史があるわけである。過ぎ去りし平成は、後世に何を残すのであろうか。僕の頭にはファミリーマートのジングルが鳴り響いた。

 

帝京平成大学のここがすごい/

\国家試験合格者数全国有数/

 

何はともあれ大正湯は厳かな佇まいでこの町に100年もの間、公衆衛生を提供し続けてきたのである。すばらしいことである。

 

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のれんをくぐると、番台があり奥には男女で別れた浴場がある典型的な銭湯構造をしていた。床の木の擦れ具合が深い歴史を感じさせる。銭湯独特の匂いがする。僕はジャケットを脱いでつつましやかな気持ちで銭湯宿に上がり込んだ。

 

(帰りがけにとった朝の写真)

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「ああ、ええと、宿泊の人ですか、ええと、それじゃあ、少しまっててね」と番台に座っていた老女が夫に電話をかけた。しばらくして現れた夫であるところの老夫は、足が痛いのか膝をさすりながら、荷物を起きに部屋まで案内してくれた。リフォームしているらしく階段はとても綺麗だった。新木のいい香りがする。

 

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渡り廊下を歩くと、ぎこ、ぎこと音がする。座敷童でもいそうな雰囲気である。窓を開けると銭湯の前の通りが見おろせた。なんだかちょっと、文豪が執筆するのに籠ったりする宿のような趣がある。

 

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部屋は相部屋だったのだけど、宿泊者が他にいなかったので、このやたらと広い部屋を独り占めだった。普段6畳ワンルームの独居蟄居生活を送っていると、広い部屋の耐性を失ってしまう。なんだか広過ぎて落ち着かないのである。

 

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「すごい広いですね」

 

「今日は宿泊客が他にいないからね。布団もなんだったら二つ使ってもいいからね。そこのタンスに入ってるから。テレビも見放題ですからね」

 

テレビは通常見放題なのではないかと思いながら渡されたリモコンを受け取った。

 

「銭湯は何回入ってもいいんですか」

 

「大丈夫ですよ」老夫は木管楽器ような暖かな声で答えた。

 

机の上には銭湯セットが用意されていた。タオルが三枚あるから三回は行けるな、と思った。

 

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パンフレット。

 

 

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部屋も広いし、銭湯も入れて、2500円である。これは当たりだったと言うしかないな……香港の最安値に近い宿に泊まったら、水しか出ないシャワーのついた4畳ほどの刑務所ライクなコンクリ部屋に二段ベッドが置かれていて、そこにはくっきりとした鼻だちで髭をもっさりはやしたドバイ人のおっちゃんがいて、親しげに話しかけてきたと思えば、非同意的臀部タッチをされるなどの淫猥ハラスメントを受けたことなどを思い出した。安い宿を適当に予約しては痛い目をみてきた僕は、勝利を確信したのであった。

 

「この後はどうするんですか」と老夫尋ねた。

 

「そうですね、風呂にぱっと浸かって、ご飯でも食べに行こうと思ってるんですけど」

 

「はいはい、そうですか。ところで、君は偽札持ってるの?」と老夫は冗談なのかなんなのか判別つかない表情で言った。

 

突飛な質問に僕はやや不信な顔で答えた。「残念なことに持ってないです……偽札ですか」

 

こうして書いてみるとなんとも凡庸真っ只中の返答である。もう少しなんとかならなかったのだろうか……

 

「はは、持ってるなら使ってくれていいよと思ってね。うちの母さんは欲深いから、いっぱい取られないようにね」

 

なんとも洒脱の極北なじいさんである。僕は「準備しておけばよかったですね」などと相変わらず1ミリも面白くない回答をしてお茶をにごした。会話の才能が後天的に取得可能であることを祈るばかりである。

 

「あ、写真いっぱい撮っていってね。浴場の中も撮っていいから」

 

老夫は深いしわをさらに深めてニカっと笑い、去っていった。かっこよく歳をとりたいものである。

 

早速、銭湯に入ることにした。脱衣所で服を脱いでいると老夫がやってきた。入浴の諸注意を告げにきてくれたようだった。

  

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「このロッカーとかめちゃくちゃいいですね。木製なんですね」

 

「これはもうすごく古いものだよ」

 

「鍵がオシドリなんですね。かわいい……」

 

「古いだけが取り柄だからね」

 

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なんと年季の入った体重計だろうか。

 

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いざ浴場へ!

 

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浴場にはマウントフジが高々と描かれている。なぜ銭湯には富士山なのだろうか。湯船も洗い場も清潔で大変心地よい。

 

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ケロリンが積まれている。


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湯煙の中、僕はこんなことを思い出していた。友人が、近所の銭湯に行こうとしたら、常連のサウナ占拠うるさ型老人に目をつけられ、怒鳴り怒鳴られの、銭湯ポジショニング抗争に発展したのだという。なんとも不毛な抗争である。

 

銭湯には不可視の積年の磁場が形成されていたりするものなのである。大正湯はどうやらその点、平和そうであった。皆が静かに湯を楽しんでいるようであった。銭湯くらい平和であって欲しいものである。

 

ひと風呂浴びてさっぱりしたので、何か夕飯を食べなくてはならないと思い大正湯を出た。温まった頬に冬の空気が心地よい。灯りの落ちた商店街を歩いていく。夜なので多くの店はシャッターは降りているものの、休業状態というかんじでもなく昼間は活気があるのだろうなと思った。

 

商店街に元気がある街は独特の文化が生き残っている可能性が高い。つまりそれは個性的な飲食店が存在してる可能性があるということでもある。

 

僕は個性的かつ本質的飲食店を探すべく、界隈を徘徊することにした。商店街通りを途中で、右に折れ、ふたたび右に折れたところで、街頭の間隔が広くなった。明かりが減り望洋とした夜空が開けている。薄暗い道を歩いていくと、板張りに小さなランプの掲げられた渋い店構えの寿司屋が現れた。寿司か…… 一人旅でふらっと寿司屋に入るというのもなんだか大人の旅行という感じでなかなか良いのではないか。そろそろ20代も終わりである、こうした店で食べてみるのもいいではないかと僕の心はひそやかに蠕動した。

 

そ知らぬ街の店の戸を開けるというのは緊張するものである。一瞬少したじろいだ後、一見お断りオーラを放つ店の戸を、恐る恐るあけると、いかにも常連客的なのんべんだらりオーラを放った中肉中背中年男性がカウンターに一人沈殿していた。そしてこれまた絵に描いたように職人気質なおっちゃんが寡黙に寿司を握っていた。

 

「もうすぐ閉店なんだよ。お任せでも大丈夫?」やや尖ったような声に聞こえたが、拒否されているようではなかった。

 

「大丈夫です。おねがいします」

 

「はい、じゃあ、これどうぞ」

 

黄色く透き通ったなにかが机に置かれた。

 

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「これ、ガリですか?」

 

「そうそう、自家製で自分で漬けてるんだよ。うまいよ」

 

ほうほう、とおもいながら透明度の高いガリを口に運ぶと、生姜のつんとした感じがなく、なんとも甘やかで華やかな味わいがした。人生で食べてきたあらゆるガリのの中で一番美味しいガリだった。本質的寿司屋なのかもしれないと思ってのれんを潜ったら、寿司にたどり着く前にガリがそもそも本質的だったのである。

 

ガリばかりどんどん口に放り込んでしまう。

 

「甘めの軽い酢で、いろいろ工夫してつけてるんですよ」

 

最初の寡黙な印象とは異なり、藪から棒に店に入った僕を大将は比較的寛大な態度で迎えてくれた。

 

寿司も抜群にうまかった。トロの甘さたるや、ちょっとしたバターのお菓子のようである。

 

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「タコをね、丁寧にね水抜きしてるんですよ。ええ、どうです、うまいでしょ」大将はタコにこだわりがあるらしく、滔々とタコの下処理について話してくれた。醤油をつけないでもいけますよというので食べてみると、たしかにタコのしっかりした身本来の味を確認することができた。

 

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「どれもおいしいです。ふらっと入ったんですけど、大正解でした。」

 

「どこの人なの」

 

「東京から来ました」

 

「ああ、そうなの。うちは時々東京からもお客さんが来てくれるよ。バッテラ食べる?」

 

「バッテラですか……ぜひください」

 

「うちのバッテラはね、バッテラの認識が変わるよ」大将は自信を持って言った。

 

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バッテラはつやつやと輝いていた。すぐに分かった、これはおいしいやつだ、と。サバの上を薄い昆布、大葉が覆い、ゴマが振りかけられている。見るに美しい。口に放り込むと、サバは甘めの薄い酢でしめられていて、優しく、しかし、しっかりとしたサバの味わいだった。ゴマと大葉の香りもとてもよい。口の中で混ざり合っていき、味も香りもほとんど完璧と言っていい幸福さがあった。たしかに、これは、バッテラ概念のパラダイムシフトが訪れたと言っても過言ではなかった。今まで食べたバッテラは別の食べ物であるのかもしれない……と思った。バッテラは急速に胃へと放り込まれていった。

 

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 「めちゃくちゃ美味しいですね。正直、こんな美味しいとは思いませんでした」

 

「うちのバッテラはね、コメの量も考えてて、通常より少し少なめなんだよ。あと薄い酢を使ってるから、身が白くなってないだろ」

 

「これ飲んだ後のしめに食べたら最高ですね……」

 

「もっと早い時間に来てくれたら、ほかにもいろいろうまいもの出せたんだけどね。うちはね、巻き寿司とキムチもうまいんだよ。キムチは自家製でね」

 

「巻き寿司……たまらないですね……絶対また来ます。むしろ、この店に来るためだけに八幡浜に来るかもしれません」

 

名残惜しくも閉店ということで、店を出た。

 

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外気に触れて少し冷えた体を温めに銭湯へ戻った。豊かにたゆたう湯を浴びながら、八幡浜の素晴らしさに思いをはせた。なんとなくやってきて、なんとなく入った寿司屋が最高で、たらふくバッテラを食べ、ビールを流し込み、酒気帯びで銭湯につかる。これはまことに素晴らしきことだ。体がじんとあったまっていった。

 

旅行ができない世の中になってしばらくだ。何も気にすることなく、自由に旅行できていたのが遠い昔のように感じる。人間の認識が変わってしまうのには長い時間はいらないのだなあと思う。しかし、やはり、こうした珠玉の見知らぬ街に予期せず出会うために旅行しなくてはならないのだ。人間は不要不急を求める動物なのである。コロナが消えていくことを待ちわびて引きこもる6畳ワンルームの中で確信的にそう思ったのだった。

 

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