仁川国際空港を飛び立ち、星屑に紛れてアジアの夜空をひとっ飛びに、サマルカンドに到着したのは、寒さに頬がピリつく早朝のことであった。偉大なる指導者ティムールの元、世界一の美しさを目指し作り上げられた都市、サマルカンド。なんとも蠱惑的な響きなのである。
乗り継ぎのタシュケント発の飛行機の中では隣に座っていた巨漢の男が話しかけてきた。首がとにかく太くロシア人格闘家のヒョードルのような風貌および体躯をしていた。男は英語で「サマルカンドで警察官をやっているのだ、そして、俺はもう40時間寝ていないんだ、つまり大変眠たいのだ」と言った。目はびっしりと充血していた。なんでも盛大な飲み会をしていたらしく激しく酔っているようであった。
「日本についてはネットニュースでよくみているんだ。ちなみにNARUTO、俺はあれが好きなんだ」
酔いに伴う怪しい呂律のブロークンイングリッシュで巨漢泥酔警察官は話し続けた。きっとウズベキスタンにもYahoo!ニュースのようなものがあり、覇権を握っているのだろうな、世界はネットニュースに支配されているのだなと思いながら、「僕も中学生くらいの頃にNARUTOにはまっていたよ」というと、おお、そうなのか、お前はソウルメイトだといった調子で巨漢泥酔警察官は握手を求めてきた。手はゴツゴツとして大かった。
サマルカンドの空港に到着すると、警察官は「俺に任せろ、お前を街まで連れてってやる」と言った。早朝の空は濃い藍色で、大気は澄み渡っていた。そもそもそヒョードル風の男が警察官である保証もないのだが、まさか警察官が何か詐欺的な行為を働いてくることもないだろうという、やや甘い見立てを下に「オーマイフレンド、センキューセンキュー」と答えた。しばらくすると巨漢泥酔警察官の友人が車でやってきて、謎の外国人である所の僕になんの嫌疑を向けることもなく車内へ招くと、軽快に響き続けるウズベク大衆音楽をBGMに車はサマルカンドの中心地へと向かっていった。
警官もその友人も、人懐っこい素朴な表情で「いいか、タクシーには気を付けろ。ぼったくりだらけだから」「トーキョーはエキサイティングな街だとネットニュースで見た、きっといつか行ってみたいんだ」とかなんとか話をしてくれた。僕は、この国はきっといい国であるに違いない、なぜなら人々がこんなにも親切なのだからと、サマルカンド到着わずか1時間程度の乏しい経験をもとに後部座席でしみじみとそう思ったのである。
ただ、この空港到着1時間の感覚というのが常に眉唾なものかというと必ずしもそういうわけでもない。トゲトゲした国というのは、空港を出た瞬間からトゲトゲしたタクシーが待ち受けていたりしてゲンナリすることも多いのである。「ぼったくりにあったら助けに来てよ」というと、警官は「任せとけ。お前が悪いことをしていたということであれば助けられないけどね」と言って親指をたてた。少し古い型のトヨタ車は、まだ薄暗い市中を駆け抜けていく。
乾燥した土地に、時折モスクなどのイスラム建築が忽然と現れる。荒涼とした土地に光明とともに立ち現れる宗教建築と言うのは、特別の趣があるものである。
ドライバーは宿の前で車を止めてくれた。握手をして仮初の出会いに別れを告げた。なし崩し的に巨漢泥酔警察官はハグをしてきた。世界はかつて驚くべきほどに密だったのである。街には朝の冷気を切り裂くようにして力強い太陽光が差し込んでいた。僕は、宿のベッドに荷物を放り捨てると、すこし街中を歩いてみることにした。
車が舗装の甘い道の砂埃を巻き上げて走っていく。異国についた1日目というのは、ありとあらゆる新鮮さを前に、なんとなく緊張するものである。あたりをキョロキョロと見回しながら、5分ほどあてもなく大通りを歩いていると、大きな広場に出た。おもわず息を飲んだ。
そこはサマルカンドの最も有名な場所のひとつ、レギスタン広場だった。レギスタン広場というのは砂の広場という意味であるらしい。シルクロードを彷彿とさせるいかにもな呼称である。3つの建物はマドラサと呼ばれる神学校なのだそうで幾何学的で細密な壁画が壁を覆うように広がっている。
門がしまっていたので、中に入ることができなかった。まだ朝7時とかだったので当たり前である。うむ、これは素晴らしい。重厚性、装飾性、歴史性、どれにおいても素晴らしいではないかと一人感心していると「ビューティフル、ライト?」とブハラから来たのだという青年二人組が話しかけてきた。
「ビューティフル!」と答えると、青年たちは「俺たちの写真を撮ってくれよ」と言ってスマホを渡してきた。現地の人にとっても、レギスタン広場は観光の地であるようだった。
早速サマルカンドに来てよかったなあと感慨に耽っていると、遠くの警備員がじろじろとこちらを見ていた。
「ジャポーネ?」
ちょっと気怠そうに肩を落としながら歩く警備員は100メートルほど遠方から声をかけてきた。
「ジャポーネ、ジャポーネ」と答えると、警備員は「カムイン」と言った。
僕は今までの旅行経験から瞬時に以下のようなことを考えた。
1.まだオープンの時間じゃないから、帰れと諭される
2.中に入ってもいいが、金を寄越せと悪徳警備員たちにせびられる
3.寛容極まりない対応により、中に入ることが特別に許可される
僕は、これはかなり高い確率で2の対応をされるのではないかと思った。次点で1といったところだろう。観光地にいくというのは、どうしても性悪説的な対応を予想してしまうものなのである。近寄っていくと警備員は、一周回ってむしろあやしいと言っていいほどの素朴な表情で「1時間後にオープンだけど、あとでチケットを買うなら、中に入って見ててもいいぞ」というようなことを言った。
僕は大いに驚いた。ウズベキスタンと言うのは元ソ連である。ソ連といえばもうなんというか氷のような表情でマニュアル通りのことを一言いって終わりというような簡素一瞥官僚主義の極地のような対応をされるのではないかと想起してしまうところである。にもかかわらず、この警備員たちの対応たるやなんと非官僚的ゆるゆるであろうか。ウズベキスタンには善良な人しかいないのだろうか……僕は自分が急速にウズベキスタンが好きになっていくのを感じた。
お言葉に甘え、広場の中へ入っていく。
まずとても大きいことに驚いた。でか……と思いながら天井部を見上げる。石の重厚さが迫ってくる。ひんやりとした石の青さの上に、緻密な装飾が施されている。とたんに無言になってしまうような、そんな荘厳さだった。人間はおろかなことばかりするけれど、たまには良いこともするものだな、などと思いながら、巨大なマドラサを眺めた。
中央にあるマドラサには朝日が差し込んでいてラピスラズリの青を温めている。とにかく静かで自らの足音だけが響いている。誰もいないドームを占拠するというのは、なんとも気持ちの良いことである。
一階部分のドアを抜ける。
おばちゃんが掃除をしていた。
「グッモーニン」と言うと、「ウェルカム」と答えてくれた。僕がカメラを持っているのを見るると、おばちゃんは箒を床に投げ捨てて、こっちを見た。これは写真を撮ってくれと言うことなのかなと思い、ファインダーを覗くと、おばちゃんはニコニコと笑っていた。
ウズベクは本当に大らかで暖かな人が多いのである。
広場右手のマドラサ。左右の菱形の文様を組み合わせた壁が美しい。イスラムは偶像崇拝が禁止されているために、宗教施設では、こうして、装飾性を高めることで、崇高性を作り出していると、昔本で読んだことがある。たしかに、こうやって建造物を目の前にすると、迫力に押し潰されそうな気さえしてくる。
ドアをくぐり中へ入っていく。
異世界にでも迷い込んだのか! といった気分である。
この小さなドアを潜ると一体何があるのだろう…
サマルカンドで朝食を
宿に戻って、朝食を食べる。手作りのジャムが本当においしい。果物のうまみが抜群に出ている。
テーブルクロスのちょっとしたフリルが華やかだ。
朝の冷気を吸い込んでアプリコットのジャムはおいしい。
シャーヒ・ズィンダ廟群
廟というのは死者をまつる建物のことである。シャーヒ・ズィンダ廟群はティムール一族の墓の集合体ということであるらしい。偉い人間は、歴史を超えて、こんな立派に祀られるのだから人間と言うのは根本的に不平等である……
僕は、おもむろにスマホのロックを解除し、久保田早紀の異邦人をSpotifyで選択した。そう、日本でいる時から、サマルカンドに到ては異邦人を聞くしかないと思っていたのである。異邦人の歌詞、音の作り、異国情緒、これほどシルクロード的な曲はない。
空と大地が ふれ合う彼方
過去からの旅人を呼んでる道
あなたにとって私ただの通りすがり
ちょっとふり向いてみただけの異邦人
異邦人が抜群に廟群にあうことが判明した。通り過ぎていくだけのわたし、すなわち異邦人……過去からの旅人を呼んでいる道。ここのことではないか……一人深々と納得した。
ちなみにこの廟が立ち並ぶ道を死者の道と呼ぶらしい。照りつける強烈な太陽光の影になる部分が、とりわけ深く青くなんとも美しいのである。
ひとつひとつのタイルが凝っていて、眺めていると無限に時間が過ぎていく。
異邦人の心をたずさえ、廟の中に入ってみる。
宇宙だ……
フワフワした気持ちで廟を出ようとすると、目の前にはこれまた美しい光景が広がっている。美しさで八方塞がりである。
ドアの装飾。ちょっとしたところもすごいことになっている。
新たな廟に突入する。すごい……緑がかっているのもなかなか良いものである。
死者の道を一通り過ぎて、右側の廟に入っていく。
廟内部の廊下を歩み進めると宗教歌がどこからか響いてきていた。中を歩いていくと、また、ドームが現れた。老人が椅子に座り、清らかな声で歌をうたっていた。閉じた石造りの空間に反響して、老人の歌声は神聖な響きを持っていた。
なんだか雨が降り落ちてきているということが形象化されたような屋根である。美しい。
ランチタイム
前菜を選ぶ。
サマルカンド はやたらと玉ねぎが出てくるように思う。乾燥した土地でも育ちやすいのだろうか。
腹が破裂しかねない量だった。
サウナ・サウナ・サウナ
寒いことだなあと思っていた。そういえばイスラム圏といえばハンマームがあるではないかと気がついた。そう、イスラム圏の銭湯のような所である。ネットで検索すると、観光客向けの高いハンマームと、地元の人がくるタイプの安いものがあった。主要な建造物は見終わっていたので、安い方のハンマームにいってみることにした。
ハンマームは比較的綺麗な感じであった。なんとも気怠そうな女性が受付に座ってスマホをいじっていた。ウズベクの労働者たちはなんだ皆そこはかとなく気怠そうである。女性は、一体なんなんだこの外国人は的な視線を容赦なく浴びせてきたが、僕は気にせず、お金を払うと、二階へ行くんだぞというようなジェスチャーをしたので、とりあえず階段を上がっていくことにした。
階段を上がると、そこは脱衣所のような所だった。地元もおっちゃんと子供がたくさんきているようだった。入り口は綺麗だったので安心していたのだけれど、この脱衣所が絶望的に汚かった。床が汚泥にぬられているのである。これはなかなか非常に厳しいなと思いながら、しかし、もう中に入ってしまったしなと心を決めて進んでいく。
脱衣所は、基本的に全てがびちょびちょで籠もったような匂いがした。入り口に案内係兼清掃夫的なおっちゃんが立っていたので、どうすれば良いのか的なことを、ボディーランゲージで伝えると、そのロッカーを使え的な指示と思われるボディーランゲージが返ってきた。
ロッカーはやはり残念なほどにびちょびちょに濡れていた。僕はしょっていたリュックをとりあえずそのびちょびちょロッカーに放り込んだ。ここで急転直下に問題が発生した。どうも、ハンマームというのは男性は基本的に水着で入浴をするものであるらしいのである。しかし、僕は特に何も調べずにやってきてしまったので、もちろん水着なんて持っていなかったのだ。
みんな水着なのに、一人裸で入っていくなんていうのはとても恥ずかしいことだ。しかも唯一の外国人ともあればじろじろと見られることは必須である。汚泥の上で、しばらく考え、パンツを履いた状態で入っていけば、まあなんとかなるだろうという結論に至った。幸い、パンツの替えはリュックの中に入っていた。服を脱ぎ、くちょくちょと音を立てる床を歩きながら、浴場の中に入った。
浴場は蒸気でぼんやりとしていた。20人ほどの人が中にいて、一人無心に体を布で擦ったり、男同士で体を布で擦りあったりしていた。男たちが僕の方を一斉に見た。それはそうだろう。いきなり謎の東洋人が入ってきたのだ。
ハンマームというのは、浴槽のようなものがあるわけではなく、シャワーと暑い床のようなものがあって、そこで、人々が汗をかいたり、アカスリをするというような場所であるようなのだ。そんなことも知らないで入ったのだから困ったものであるが入ってしまったのだから仕方ない。
そう、僕はアカスリ用の布も持っていなかったのだ。これはなんというか、バッターボックスに立ったらバットを持っていなかったというレベルの出来事である。しばらくの間、とりあえずシャワーで体を洗うなどして時間を過ごし、間を持たせることにした。
近くで、熱々の床に寝転がり、背中のアカスリをされている同い年くらいの彫りの深い青年がこちらに何かを言っているのに気がついた。あそこへ行け、いいから行け、とにかくそのドアを開けてみろ、といった感じのことを熱々の床の上で言っているようだった。アカスリをする男たちの間を潜り抜け、蒸気の中を進んでいくと、そこには金属でメタルのドアがあった。(井上陽水文法)
ドアを押し開けると、そこはカルピスの中なのではないかと思わんばかりの真っ白な世界であった。どうやらサウナのようで、蒸気が満ち満ちておりもはや自分の腕の先が見えないというような純粋白色の世界がそこにあった。おもむろに腰掛けるも、もはや隣の人すら見えないレベルであり、異国人であることもバレることもない。ものすごく暑くて、ものすごく汗をかく。一人心を無にしてしばらくの間、蒸気と一体化することにに努めた。
サウナから出ると、熱々の床の上の青年が、どうやった最高やったろ?といった感じの視線を送ってきた。なぜ関西弁なのかわからないけれど、とにかくそんな感じだったのである。僕は親指を立て、最高だったぞということをアピールした。
浴場を出ると、ここで僕はまた新たな問題があることに気がついた。そう、タオルを持っていなかったのである。びしょびしょのまま椅子に座り途方暮れた。計画性のなさは自らの能力のなさそのものである。髪先から滴り落ちる水滴を目で追い、汚泥の床にため息をつく。仕方がないので濡れたまま服をきて、外に出た。
まだ冬のことである。サマルカンド は空っ風が拭いていて、当たり前のように寒かった。宿に一刻も早く戻る必要があった。僕は濡れそぼつ頭でタクシーを捕まえた。冬に髪を中心に全体がびしょびしょ状態という極めて怪しい状態の異国人をタクシーの運転手はなんの躊躇もなく乗せてくれた。大らかである。圧倒的に大らかである。
まだ若い20代そこそこの運転手は言った「ジャポーネ?」
「ジャポーネ、ジャポーネ」
運転手は爽やかな顔で「Thank you for coming to our country」と言って、タクシーのアクセルを踏んだ。
助手席には運転手の妻が乗っていて、ラジオから流れる音楽に肩を揺らしていた。
ウズベキスタンは人々がみな優しい。部屋に戻って分厚いバスタオルでしっかりと髪を拭いてやたらと大きなベッドで少し眠った。
ブハラ編につづく…かも