「埼玉の起源というのはだね、どうも、行田にあるらしいんだよ」いつだか忘れたのだが、酒を飲んでそんな話をした。
「お、我々の埼玉ですか」僕も加藤も埼玉出身だった
「そう、我々の埼玉だよ。埼玉への気持ちを取り戻す時が来ているのではないか、そう思うのだよ」僕は冗談なんだか、本気なんだか自分でもよく分からずに言った。
「いいですね、行田、行きますか!」
というかんじの調子で、仕事終わりの金曜日に、あらゆる些末な計画を棚上げにして、埼玉の名の起源を探しに車を出すことになった。上の会話をした大学の後輩加藤が車を運転してくれることになった。
後部座席には、これまた大学の後輩の山田が乗っていた。山田は並々ならぬチェーンスモーカーだった。車を途中で止め、喫煙可能な場所を見つけるやいなや、まるで長い時間、潜水を強いられていたのような顔つきで、手早く火をつけると、うまそうにタバコを吸っていた。
「埼玉に何をしに行くんですか?」
山田は僕と加藤に突然呼び出されたので目的も知らずに車に乗っていた。
埼玉出身の僕がそれがある種の深淵な真実であるかのように「これから、埼玉の起源を見に行くんだよ」と告げると山田は「はあ、起源ですか」と表情に無を浮かべた。
「山田は、中央線生まれ、中央線育ちだから、ことの重大さがわかっていないな。今から、我々は埼玉の核心的価値に触れようとしているんだぞ」と同じく埼玉出身の加藤は大袈裟に嘆いた。
「はあ」山田はやはりぼんやりとした返事をした。
「山田くんは、とりあえず早急に埼玉について学ぶ必要があるよ。世界は中央線だけで構成されているわけではないからね」などと僕が言うとやはり山田は笑っていた。
「埼玉というのはだね……」「与野というのは埼玉の中では……」「これは世間一般で想像されるような与野と言うわけではなく……」「ここの田畑は埼玉県民であれば小学校で必須で習う著名な田畑であり……」などといった調子で、山田への断続的埼玉ハラスメントは続いた。山田は後部座席からははっと乾いた中央線的笑いを放っていた。車は快調にまっすぐ埼玉へ向かっていた。細かい雨が降っていて首都高の路面はつややかだった。
「腹が減ったね」
その日、昼ごはん食べたのが11時くらいだったので僕は避けようもなく空腹だった。車を出したのが20時30分を過ぎた頃で、埼玉に入ったところで、もう21時を過ぎていた。
「いやあ、腹減りましたね。僕運転してるんで、何食べるか決めてくださいよ」
「そうだなあ、この調子で進んでいったら、なにか食べるとしたら、大宮あたりかな。ラーメンショップで背脂で真っ白に塗り潰されたラーメンを食べるというのはどうだろう。ラーメンショップこそ、ロードサイドの中のオアシスなのではないか?」と言うと、山田が「ラーメンショップって見かけはしますけど行ったことないんですよね。行ってみましょう」と言った。
大宮駅から歩いて5本分ほどのところにある駐車場に車を止めた。ドアを開けると、大通りを挟んだ向かいで若い男が、何やら暴れているようだった。ボフンボフンと鈍い音がした。男が一人、道端に止めてあった黒い車のボンネットを勢いよく殴り続けていたのだ。
何故なのかはわからない、しかし、彼はそれが天から命じられた正義の行いであることを信じているかのようだった。正義の中にいる彼は使命感すら感じさせる鋭い手つきで、ただボンネットを剥き出しの素手で殴り続けていた。ボフンボフンという音に混じり、時々、ボコンと、車に明確なダメージが入っている音がした。
徒手空拳、正義の鉄槌にあっけにとられていると、今度は、ねじり鉢巻の、酒に負けた、赤ら顔のおっちゃんが、言葉未満の何事かを呟きながら、体を揺らし、散文的な足取りで、信号の変わり切っていない交差点の中央へふらふらと歩いていくのが見えた。久しぶりの大宮では、埼玉がぎとぎとに煮詰まっているようだった。
「ラーメンショップでは、とりあえずは、まず、ネギラーメンを食べることが望ましいんだよ」というと、ふたりともネギラーメンの食券を買っていた。
「今流行っている家系ラーメンていうのは、ラーメンショップで修行した人が、立ち上げたラーメン屋が発祥と言われているらしくて、つまりは、ラーメンショップというのは、家系ラーメンの元祖ということも出来るのかもしれないのだよ」と僕はさっきGoogleで検索した際に出て来た、本当なのかどうかもよくわからないラーメンショップ知識を開陳した。
ラーメンはすぐやってきた。鮮やかな青い器。この器こそがラーメンショップだ。塩気の強いスープをトロトロの背脂が甘やかにしている。麺をすする。わかめとメンマの無骨な味。素朴な美味しさだ。雑に一息にすすり込み、口いっぱいに食べるのが良い。こういう古典的なラーメンをたまに食べたくなる時があるのだ。
黙々とラーメンを食べた。カウンターには仕事帰りの男性がくたびれた様子でラーメンを啜っていた。ラーメンを食べ終えると、途中合流する予定だった、公務員田中からぴこんとLINEが来たので、駅前で落ち合った。
「おつかれさまです。遅くなりました」
「いやいや、忙しいところお疲れ様」と加藤が労った。
「山田くんとあうのもかなり久しぶりだね」田中が懐かしそうに言った。
「いやほんとですね」
田中は毎日残業が続いているらしく、少し疲れているような様子だった。 大宮の駅前はコロナの影響なのか少し人通りが少ないように思われた。なんぎん通りには”コロナ対策ばっちりだし、安全だから戻って来てね”といった旨の垂れ幕が掲げられ、退屈そうなキャッチのお兄さんたちが、ぷらぷらしていた。
「そういえば、山田くんは豆の木は知ってるの」と僕は尋ねた。
「豆の木?」
「なんと、豆の木を知らない、それはまずいですよ」と田中がすこし嬉しそうに言った。そう、田中は埼玉の進学校を出て、埼玉で公務員をやっているという、模範的埼玉県民、埼玉県民のなかの埼玉県民なのである。酔うと高校時代の校歌を歌い出すなど、地元愛に溢れたやつで、埼玉トークができるのがうれしいようだった。
「とにかく豆の木は早急に知る必要があるよ。埼玉県の中心、及び精神の支柱ですからね」と加藤は言った。豆の木というのは池袋のいけふくろう、渋谷のハチ公のようなもので、要は、とりあえず分かりやすい場所に集合しましょう的な時に使われる待ち合わせスポットなのである。
「これを知ったら、埼玉県民から一目おかれるよ」と僕は言った。中央線ボーイは強固な埼玉包囲網に取り囲まれていた。
じゃあ、一通り、大宮を案内しようということになり、僕たちは、大宮を歩き出した。
「お、あれが豆の木ですか」そう問う山田をよそに、埼玉包囲網は「豆の木だ!」と小走りに豆の木に近づいて行った。
「豆の木だな……」
「いやあ、豆の木ですね」
「おお、豆の木……」などと豆の木がまるで深甚なる信仰の対象であるかのように、僕たちは言葉をこぼした。
「これは記念撮影をするべきかもしれないですね」と加藤が言った。久しぶりに埼玉に帰って来た変な高揚感があった。周囲のからの冷めた視線にも負けず、僕たちは、奇妙なテンションで豆の木の前に並びスマホのインカムで高校生のように記念撮影をキメたのだった。
「これで、山田くんも、埼玉県民にあったら、一目おかれるようになるよ」と僕がいうと、公務員田中は「そうですね、なんと言っても豆の木を知っているわけですからね」と言った。埼玉包囲網はにわかに熱を帯びていた。
「そういうものなんですか」といって山田は笑っていた。
その時、ふと頭上を見上げると、不穏な垂れ幕がかかっていた。なんと豆の木の真上に、横浜ベイスターズが高々と掲げられていたのである。
「これは由々しき自体ですね」
「そうですね」
「由々しきことだ……」
埼玉包囲網は全会一致で遺憾の意を表明した。
じゃあ、田中がなにも食べていないし、喫茶店でも入ろうかという話になった。大宮には伯爵邸という24時間営業の優れた喫茶店があるのだ。
埼玉の老若男女は、伯爵邸に集っては無意味に時間を潰し、どん詰まりの夜に話をすべらせ、じっと始発を待つのである。
22時を過ぎていた。店は大変賑わっていた。仕事で目が疲れていたのか、伯爵邸のランプがすこしおぼろげに見えた。
24時間営業の店には街の疲労が蓄積しているような気がする。BGMはスライアンドザファミリーストーンだった。がやがやとしていて、きっと誰も聞いていない。近くのテーブルのキャバ嬢が高らかに笑っていた。壁沿いの席には沈没したように陰気な男性二人がテーブルに置かれた、底1センチの飲みかけの赤ワインを挟んで、何を話すでもなく座っていた。
if you want me to stay i'll be around today
「 ここを23時過ぎに出るとするじゃない」 と僕は呟いた。「東京に帰るのは何時なのだろうか」
「3時前には帰れるんじゃないですか」山田はソーダをすすりながら言った。
「3時か……」僕は努めて運転をする加藤の方を向かないように心がけながら、真っ赤なストローでレモネード吸い込んだ。 少し気を緩めると心の隙間に、いったいなぜ金曜の夜中に埼玉の田舎に向かって家を出たのだろうという感情が芽生えてくる。僕は、口の中で弾ける炭酸に意識を集中し、脳の理性的機能から意識をそらすことにした。
ふたたび車に乗り込み、大宮を出た。夜も深まっていたので、道は基本的にすいていた。埼玉はどこを走っていても似たような景色である。
「加藤くんはもしかして、もう30歳になったの?」と聞くと「ついこの間なりましたよ」と加藤が答えた。
「30歳か、大台に乗ったね」
「ちょっと待ってくださいよ、きくちさんも数ヶ月したら30歳でしょ。若者ぶって断絶を産むのはやめてください!」
「いやいや、29歳と30歳は明確だよ、加藤くん」などと話していると後部座席から模範的公務員田中が「僕みたいに福祉の仕事をしていると50歳でも若いくらいですよ。日本は高齢化社会ですから」というフォローになりそこねたフォローを入れた。
敏感な読者は(そんな精緻に読んでいる人がいるのかは分からないのだが)なぜ、年上の加藤がきくちの後輩なのだという?疑問をもつかもしれないが、僕は一浪で大学に入学していて、加藤は二浪だったので、年齢の逆転現象が起きているのだ。
ナックファイブからブリーフ&トランクスが流れて来た。この世のくだらなさの全てを集めたような曲だった。くだらなさを笑いながら、30分ほど走ると僕たちはついに埼玉の中の埼玉に到着した。
おわかりいただけるだろうか。標識に行田市『埼玉』とかかれている。つまりは埼玉県の行田市のなかの埼玉ということである。
「ついにたどり着いたね」とひとまず厳かな気持ちで車から降りてあたりを見回した。そう、そこは埼玉の起源である場所にして、なんの変哲もない日本に数万とあるであろう典型的交差点であった。みな思い思いに写真を撮り始めた。 一様になるほど、なるほどなどといいながら標識を眺めた。
遠くに赤い光が見えた。「あ、パトカーだ」と田中が言った。
「僕たちは今完全なる不審者ですね。真夜中に四人で交差点の写真を撮っているというのは端的に言ってかなり妙ですからね」と加藤は言った。
夜の静けさの中、ちかちかと信号が点滅した。
「でも、考えてみるとだよ、田中なんて、公務員としての業務時間が終わっても、埼玉についての知見を深めるべくフィールドワークをしているとも言えるわけなのだから、これほど模範的な公務員もいないのではないか」と僕が言うと、田中はまんざらでもない顔をうかべ「そうですよね」と言った。
パトカーは僕たちに気を止めることもなく、目の前を過ぎ去っていった。
「この近くに埼玉を寿ぐ石碑があるはずなんですよ」と加藤が言った。さすがに交差点を見に来ただけではあまりにも芸がないので、その石碑を探してみることにした。
ぶらぶらと歩いていると、歩道に埼玉の刻印が入っていた。どんどん埼玉の根元に近づいて来ているのを感じた。
模範的公務員田中が先頭を歩きながら「めちゃくちゃ暗いですね……」と呟いた。街灯一つ無い全くの真っ暗空間であった。
「待って、なんか人がいるんだけど……こんな時間にこんなところでなにやってるんだ」自分のことを完全に棚に上げて僕はそんなことを言った。10メートルほどさきに男性が一人歩いていたのだ。
そのときカシャカシャカシャと後方を自転車が走っていく音がした。自転車に二人乗りする若い男たちは「え、なんか人いるんだけど」と言って去っていった。もはや暗過ぎて疑心連鎖が起こり、安直なコントのようである。全国の敬虔な埼玉の民がここへ集まってきているのだろうか……
遠くで不気味にひかる街頭。信じられないくらい真っ暗なのがわかるだろうか。
木立の中、鈴の音のような虫の声と鈍い足音だけが聞こえる。夏も終わっちゃったなと思う。深刻に暗い小道を歩いていくと、突然石碑がのっそりと浮き立つように現れた。
埼玉県名発祥之碑
「おお……ついに、埼玉の核心的価値に到達しましたね」と加藤はしげしげと石碑を眺めていた。
「なるほど。これが真の埼玉の核心的価値なんですね。なるほど」模範的公務員田中は繰り返しなるほどと呟いていた。
「真裏が古墳なんだね。なかなか厳かな雰囲気だね」と僕が言うと「そういえば雨も止みましたね。埼玉の神の力ですかね」と加藤が言った。
石碑の横にある説明書きに、ここは前玉神社があり、古墳もたくさんあるから、埼玉郡の中心に違いないのだ!というようなことが書いてあった。なんだかぼんやりしているような気もしたが、何時間もかけてここまで来たので、ひとまずここが埼玉の起源であることを納得することにした。
「とりあえず記念撮影しておく?」
「きくちさん、考えてください、いくらなんでも暗すぎますよ」と田中が言った。
時刻は2時の少し前。一行は眠い眠いと嘆きながら東京へと向かった。あまりにも眠いので、オートパーラーAGEOに寄っていくことにした。オートパーラーというのは、自動販売機でご飯が買えるドライバーたちの休憩所のようなところだ。ネオンはパーラだけがショートしていてその不完全感がなんともよい感じだ。
こんな時間でも、地元の人なのか、タクシードライバーなのか、数人の客が燻んだゲーム機の画面の発光をじっと見つめ、指先だけをくっくと動かしゲームをプレイしていた。
チェーンスモーカー山田はうまそうにタバコを吸い、自販機でトーストを買ってもしゃもしゃと夜食をとり始めた。パンの焼けた香ばしい匂いがした。
僕は最近あまり見ない瓶のファンタを買った。炭酸が弱くへたった味がした。
「まあまあですね」と言って加藤はかき揚げ蕎麦を食べ始めた。すぐ飽きたのか、いります?と言って、僕に蕎麦をくれた。
田中はぼーっと所在なげに、誰も座っていないゲーム機の画面がしゃっしゃっと切り替わるのを眺めていた。皆、眠くなっていた。
住宅街は静まり返っているようだ。薄暗い空間でゲーム機だけが忙しなく、時間は途方もなく凪いでいた。高校生の頃、自分の部屋のベッドの上で、漫画を読んで、音楽を聞いて、無限とも思われる夜を更していた記憶がフラッシュバックした。蕎麦を啜った。少しふぬけた味がしたけれど、それはたしかに蕎麦だった。塩気が体に心地よかった。埼玉の起源探訪が終わった。