前: 舟山老酒と中国共産党綱領。ベニヤ板ベッドで眠る。 中国廃墟潜入編⑤ - 今夜はいやほい
ベニヤ板ベッドで目を覚ました。朝、6時30分だった。時差を考えると、自分が会社に行く時間に起きたのだとすぐにわかった。目覚ましをかけずとも起きてしまう体になってことに、すこし悲しくなった。
船が出るか出ないか、喫緊の問題であったので、急いで窓を開ける。
おばちゃんが朝の家事をしていた。風は凪いでいた。帰れるのでは!?とひとりにわかに色めきだった。加藤に散歩に行ってくるねと告げ、宿を出た。
浜はきれいだった。朝早かったので誰もいなかった。
野良犬がうろうろしていた。犬がやたらといる島だ。
うろうろし続けた。この島について一番詳しい日本人になっているのかもしれないと思った。朝日は豪快かつ穏やかだった。
40分くらい散歩をした。
風吹いてないじゃん!これはいける!船が出るに違いないと喜び勇んで宿に帰った。宿の女将であるところのピンクパジャマのおばちゃんがいた。今天 我 去 上海 吗?とあっているのかあっていないのかよくわからない、仮初めの中国語で話しかけると、中国語はあいかわらずまったく理解できないが、どうやらピンクパジャマおばちゃんは船は出ないと言おうとしていることがニュアンスで分かった
船はやはり出なかったのである。
沈痛な面持ちで部屋へを戻る。みんなに船でないってさと告げると、困ったなあ的雰囲気になる。10分ほど、絶望して、まあしょうがないかと朝ご飯を食べに出ることにする。
地元の人々が朝食を食べている食堂のようなところに入る。
どこからきたの?と聞かれたので、加藤がリーベンと答えると、リーベン!?がやがや リーベン!!?とにわかに沸き立つ。よっぽど日本人が来ない土地なのだろうと思った。
朝食、なんというか、日本人が想像する、中国の田舎の朝ご飯と言った感じで好感があった。
肉まんは、なかなかおいしかった。朝の空腹に心地よかった。スープを飲むためにレンゲをとるとそれは大いに砂にまみれていた。店員がティッシュを指さした。それでふけと言っているようだった。
だいぶ汚かったが、まあいっか、郷に入れば、郷に従えというやつだと思い、スープをぐいぐい飲んだ。これが全然味がしなかった。刻んだネギと、ほのかな醤油の香りだけが、口の中でささやかに味覚をノックしていたが、ほとんどほんとうに味がしなかったのだ。こんなスープがあるのだなあと無味スープを飲んでいると、隣でおばちゃん店員が皿を洗っている様子が見えた。泥水のような汚さであった。ああ、これはまずいなと思ったが、まあいっかと食べ続けた。
なんだなんだ、リーベンなるものを見てやるかと、何人かの中国人が遠巻きにこちらを見ていた。
「よっぽど日本人が珍しいんでしょうね」中国慣れしている加藤はうまい、うまいと言いながら衛生的によろしくなさそうな朝食を食べ続けていた。
加藤が無味スープを飲み、口を開けた。
「帰りたいですね」
「そうですね、もうこの島ですることもないですしね」山田は本当に帰りたそうであった。彼はシティーボーイ的感性を強く持つやつだったので、そもそも廃村のあるわけのわからぬ島などではなく、この世の中心はここといわんばかりにきらめき立つ、上海の夜景を見ることを楽しみにしていたらしかった。
「帰りたいね、そもそも、もし明日もまた船が出なかったら、飛行機乗れないしね…会社いけないのは非常にまずいよ……」労働者の僕には主任の顔がぷかぷかと浮かんでいた。
加藤は、ひらめいた!といった顔でとんでもないことを言い始めた。
「漁船をチャーターしましょう」
客船がでないと言っているのに、漁船チャーターなどできるのか?という疑問はさておき、帰りたい指数が飛躍的に上昇していた我々は、とりあえず漁港へと向かってみることにした。
漁港で待ち構えていたのは、絶望的光景であった。
横風にあおられて漁船が転覆しかかっていたのである。
我々は、呆然とした。漁港には船が横転しないか心配で人が集まってきていた。宿の周りはあまり風が吹いていなかったのだが、港では鉄砲風が吹いていたのだ。漁船チャーター脱出計画は、僕の中では一瞬でとん挫したのだが、加藤はあきらめなかった。
加藤はうろうろしている漁師オーラを放つ人に話しかけた。もちろん、なんだこの頭のおかしい外国人はといった感じでだれも取り合ってくれなかった。船が目の前で転覆しかけているのだから、当たり前の話である。仮に船に乗せてくれることになったとして、この横転しかかっている船を尻目に出港するのはあまりにも自殺行為であるように思えた。僕たちはとりあえず、ああ、帰れないんだね、そうだね帰れないねと、無意味に状況を確認しあった。
漁船チャーター脱出計画に失敗した我々は、島ですることがなくなってしまった。島はなかなかの田舎だったため、観光客がなんとなく時間をつぶせそうな施設などが何もなかったのだ。グレートウォールに阻まれ、SNSもグーグルも使えないのだから、本当になにもすることがないのである。
仕方がないので、街をうろついた。この街では麻雀が大変はやっているらしく、いたるところから牌がこすれるじゃかじゃかという音が聞こえてきた。大通りの裏の通りなどでは、3軒に1軒は麻雀をしている音が聞こえた。中国人が一般的にどれくらい麻雀好きなのかはわからないが、とにかく異様なほどに町中にじゃかじゃかという音が響いていた。
昼ごはんを食べることにした。加藤が中国版食べログ的なサイトを使いこの島で唯一評価が高いらしい海鮮麺屋へと行くことになった。
大変おいしかった。
店のおばちゃんにもやはりどこから来たの?と聞かれたのでリーベンと答えると、おばちゃんは大変びっくりした様子で、僕たちの写真をパシャパシャと撮りだした。日本人は本当に珍しいらしい。
かわいらしいおばちゃんだった
15時、僕たちは中国の孤島でふたたび本当に何もすることがなくなった。街をうろうろするのにも飽きていた。圧倒的無目的さでふらふらしていると公園にかわいらしい健康器具を発見した。本当に暇だったので、1時間ほどかたかたと器具を動かし続けた。虚無との戦いだった。
加藤が松浦亜弥のYeah!めっちゃホリデイを流した。Yeah!めっちゃホリデイはおもったよりもだいぶテンポが速く、ついていくのが精いっぱいであった。何もすることがないと人間はおかしなことをしだすものだなあと思った。加藤は、おそらくこの島で初めて松浦亜弥の声が流れましたねと楽しそうに言った。山田は、Yeah!めっちゃホリデイは万能ですねとよくわからないことを言った。
そのあと、僕のオーダーで河南スタイルを流した。島に似合わない突飛な明るさの河南スタイルに合わせてふたたび足をパタパタさせた。
「嵊山スタイルを確立しましたね」加藤はノリノリだった。
「新しいムーブメントを作ってしまったな」僕も満足げに言った。
オネットがホッホッホッと笑った。
つづくかもしれない