前:広野町をどんどん北へ。津波が押し寄せた町の跡には鳥がたくさんいた。福島浜通り彷徨編③ - 今夜はいやほい
広野町を抜けたところで、眠りに落ちた。数十分ほど寝て、目をさますと、車は大熊町を走っていた。窓から外を見ると、店内が物で散乱しているコンビニが目に入った。
え、なにすごいことになってるねと仰天していると「さっきからずっとこんな感じですよ」と加藤がつぶやいた。
「そうなんだ……震災が起きてから、結構長いけど、まだ手付かずのところが残ってるんだね」僕は、午後の眠気も飛び去り、外の景色を眺め続けた。曇り空がどんよりとした雰囲気に拍車をかけていた。
「あのさ、トイレ行きたいから、寄れそうなところあったら寄ってもらえない?」僕は運転している加藤に告げた。
「この辺一帯は、車は通行できるんですけど、止められない地区なんですよね。常に監視されていて、止めた瞬間に警備員がとんできます。浪江町のほうまで我慢してください」
「そうなんだ……じゃあ、それまで我慢しているよ」大熊町といえば、福島第一原発がある街である。へんな輩がいないか、かなり厳しく監視が行われているようだった。ふつうに道を走っているだけなのに、なんとなく物々しいような雰囲気があった。復興作業に従事しているとおもわれるトラックが頻繁に往来していた。皆、なんとなく無言になっていた。
浪江町の駅にたどり着いた。雪がちらつきだしていた。
加藤は車を停めると、寒いのか鉄オタの魂に火が付いたのか、駅舎に向けてかけていった。なんだかよくわからないけれど、加藤が走るなら僕もはしるぞという気になり、後を追いせっせと駅舎に向かって走った。パトカーが僕たちの横を通り、なんだこいつらといった視線を鋭く浴びせてきた。僕たちでさえなんで走ってるかわからないのだから、警察官から見れば、よっぽど不思議なやつらに見えたことであろう。
浪江町はもともとの人口が1万数千人で、現在帰還してきているのは500人程度とのことだった。そのため、空き家が大発生しており、パトカーが窃盗などの犯罪を防止すべく、ぐるぐると巡回をしているようだった。
「あれ、浪江町までは電車来てないと思ってたんですけど、来てるんですねえ」加藤は少しうれしそうであった。徐々にではあるが、日常が戻ってきているのだ。
JR常磐線 浪江町などで6年ぶり運行再開|日テレNEWS24
駅の周りには放射線量の計測計があった。 0.242μSvだった。浪江町で何度か計測計を見たがおおむね0.2~0.3μSvくらいのあたいを示していた。
少しだけ、町をまわってみることにした。500人ほどの住民が帰還しているということだったが、天気も悪く、町にはパトカー以外の気配がなかった。
町には震災の爪痕がまだたくさん残されていた。倒壊しかけている建物が、散見された。盗難があったのか、地震で割れたのかは不明だが、窓ガラスが割れている家もちらほらと見かけた。
がらんとした誰もいない駐車場。
なにかの小売店の跡は外からのぞき込むともぬけの殻になっていた。
けっこう大きな電化製品店。店中には物が散乱していた。
大きなスーパー。 当たり前だけど、自動販売機は動いていなかった。
とにかく、悲しい景色だった。人が戻ってこないと、小売店も営業できないけれど、小売店が営業していなければ、人も戻ってこれないのだ。帰還禁止が解除されたとはいえ、なかなか厳しい現状である。いくつかのコンビニやJAはいくつか営業再開をしているようだ。
避難指示が解除された浪江町に行って写真を撮ってきた - はてな村定点観測所
よそ者がふらっと通りかかっただけのことだけど、町にいつか活気が戻る日が来ればいいなと思う。
帰り際、浪江町のローソンによった。ぼくはアイスを買った。
「なんだか学びがあったよ」先輩がつぶやいた。
「そうですね、学びがありましたね」文士を目指す男、オネットはもそもそとチキンをほう張りながらこたえた。きっと将来いい文章を書いてくれることだろう。
「オネット君、浜通りを北上するのはいい選択だったよ」僕と加藤がほめると、オネットはホッホッホッと笑った。
イートインコーナーの壁は全国から寄せられたメッセージの載った付箋で埋め尽くされていた。アイスを食べながら付箋をぼおっと眺めた。浪江町発行の広報誌がそばに置いてあったので手に取った。パラパラめくると、成人式の写真が載っていた。あでやかな着物に彩られた、笑顔の成人が肩を並べて映っていた。外に目をうつすと、近くで復興作業に従事しているらしい作業着の男たちが細雪に降られながら、コーヒーを飲んでいた。2月の福島はまだまだ寒かった。
つづく(かもしれない)