今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何か考察するブログ

中国の新幹線でやばい人に絡まれとても怖かった。武漢のはなし⑤

安く旅行にいくコツは、どこに行きたいか観点から脱却し、安チケットはどこ行きなのかという観点から目的地を設定することである。検索サイトのアルゴリズムは、行きは武漢空港、帰りは重慶空港といういびつな旅程を提示した。これが苦難の始まりであった。その距離おおよそ800キロ。東京から広島くらいの距離である。

 

最初に武漢から重慶へと渡る手段として候補に挙がったのは、寝台特急であった。非常に安いうえにホテル代も浮き、旅情を味わえるという一等なプランであった。予約手続きをして、いやあ、楽しみだなあと、ウキウキしながら日々を過ごしていた。しかし、中国人民との予約戦争は予想より過酷で、僕たちの朗らかな希望を打ち砕いてきた。チケットは手に入らなかったのである。別の方策を立てる必要があった。

 

居酒屋で 加藤は言った。

 

「一つには、新幹線で重慶へ向かうという方法があります。しかし、日中帯に移動することになるため時間がもったいないかもしれません」

 

「そうだな。3日しかないのに、それで半日撮られてしまうのはもったいないよなあ……とりあえず寝台特急のキャンセル待ちで空くのを祈るしかないのか……」

 

焼き鳥はじじじじと熱をため込んでいた。

 

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「これがよいプランとなるのかはわかりませんが、硬座にのるという手があります……」

 

加藤は歯に何かが詰まったような調子で言った。

 


「硬座…何それ…」

 

「夜行列車の種類です。これを見てください」

 

加藤は以下のサイトを僕に見せてきた。

 

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中国列車の最低ランク「硬座」でぼくが見た地獄 より

 

「なんだこの無秩序は……床で人が…折り重なって…寝ている……」

 

「硬座は中国の地獄と呼ばれています。中国の夜行列車は軟座と硬座と無座という種類に分かれているのです。文字通り軟らかい席と硬い席です。この床で寝ている人たちは無座の人たちです。いわば立ち乗りですね。さすがに無座は死んでしまうので、硬座を狙うのはどうでしょう」

 

僕はサイトの写真ををしげしげと眺めた。やはり人々が床で寝まくっていた。混沌が蒸留され、純化された真の混沌が並んでいた。こんな環境に入っていって大丈夫なのだろうか… いや、まあ命がとられるわけでもないし、大丈夫は大丈夫なのだろうけど、しかし、どのレベルで大丈夫なのだろうか…衛生的な観点とかやっぱり大事では?などという公的理性の煽りが頭に響いていた。

 

「ちなみに、硬座の椅子の角度はほとんど90度で席間隔も狭く、寝れたものではありません。かなり劣悪な移動になることが予想されます」

 

僕はハイボールをすすった。

 

「そうか……それは大変だな……なんだかよくわからないけど、とりあえず行くか……」

 

僕はアルコールが回ってきていて、気怠い心地よさの中で、すべてがどうでもよくなってきていた。

 

加藤は不敵ににやつきながら酒を人のみして言った。

 

「お、行きますか? 田中や山田に断り入れなくていいですかね…?」 

 

「いいんじゃない…?わかんないけど…」

 

「え……いいんですか?心優しき青年田中は嫌がりませんかね…?」

 

「まあ、その時はその時だよ……まあ、だいたいのことは大丈夫だよ」

 

以上が夜行列車に乗ることになった経緯である。

 

<旅程>

武漢 20時20分

↓ 新幹線

宜昌 23時30分

↓ 夜行列車

重慶 

 

 

 ふたを開けてみれば、懸念されていた心優しき青年田中は、夜行列車に乗るどころか、なんとそもそも新幹線に乗り遅れ、武漢に一人取り残されてしまっていたのである。

 

 新幹線に乗り込んだ僕たち三人は、頭を寄せ合って打開策を検討した。

 

「なんでこんなことになってしまったのだ……田中を救出するすべはあるのだろうか…」

 

僕は重苦しい雰囲気の中、口火を切った。

 

「まず、方策として考えられるのは、今日は武漢で一泊してもらって、明日、武漢から重慶に新幹線で朝に来てもらうというのですかね」

 

 加藤は落花生の殻への怒り冷めやらぬ調子で言った。

 

「それ大丈夫なのかな……田中は対中国耐性があまり高くなさそうだから、一人で放り出されたらどうなることやらというような気がするよ」

 

僕は大変に心配をしていた。

 

「う~ん、やっぱりもう宜昌に行く新幹線はないんですか?」

 

山田は心配そうに言った。

 

「うん、ないみたいだねえ……俺たちが乗っている新幹線が最終だと思う。」

 

加藤は乗換案内のようなアプリで調べて答えた。

 

「田中は中国語しゃべれないしな……まあ、とりあえず明朝、新幹線コースで田中に伝えてみるか」

 

僕は加藤を見た。

 

「え、僕が言うんですか?きくちさん言ってくださいよ」

 

加藤は気まずそうに言った。

 

「え、まじ……」

 

僕は後輩に押し付けるのに失敗したことをこっそりとがっかり思った。

 

「わかった、公平にじゃんけんで決めよう……」

 

そう告げ、こぶしを振ると、神は僕にその役目を割り振ったのだった。

 

 

<LINE>

 

きくち> 今日は武漢で宿泊して、重慶で合流というのはどうかな

 

 助け舟を出したいところだけど間に合う方法がなさそうです… < 加藤

 

そわそわしながら待っていると、2~3分で返信が来た。

 

なんだかよくわからないんですけど、駅員さんと話したらうまいこと行くかもしれません!!<田中

 

「え、どういうこと!!なんか田中が間に合うって言ってるんだけど!」

 

僕はおどろきのあまり、三回画面を見返した。

 

「え、なぜですか、もう新幹線ないですよ。フェイクニュースじゃないですか?」

 

落花生の怒りから覚めてきた加藤が冷静に言った。

 

「でもなんか間に合うとか言ってるんだよ!ほら」

 

僕はスマホの画面を見せた。

 

「でも田中さん中国語しゃべれないですよね。いったい何が起こったんでしょう…」

 

山田はいぶかしげであった。

 

「たしかに、……実は駅員さんとのコミュニケーションがうまくいってなくて、違う電車に乗せられてて全く知らないことろに流れ着いてたらもはや笑うしかないね……」

 

僕は非情な調子で言った。

 

「何が何だか全く分かりませんが、もうこの新幹線の中でできることもないので、とにかく田中を信じることにしましょう……」

 

加藤はそう言って速やかに眠りについた。加藤はどこでも極めて速やかに眠る男だった。

 

僕はとりあえず持ってきた本を開いて読むことにした。気が気じゃなくて本なんか読めないよこまったなあと思っていたが、割とすぐ本にのめりこんでいった。

 

 

 

 

 

新幹線が武漢を出て、1時間ほどたっていた。本を会長に読み進めていると、何か音がするなと思い、顔を上げた。そこには丸顔の若い女性がずんといった存在感で立っていた。屹立とはこのことを言うんだなあというような姿勢であった。。なんだろうと思い、女性に目線を送った。

 

「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

女性は僕に向かって猛烈に何かを発しはじめた。僕の中国語能力は、あいさつと~へ行きたいといった定型句を知っている程度の貧相なものだったので、女性が何を伝えようとしているのか全く分からなかった。とにかく尋常ではない勢いで何かをしゃべっていた。理解できない言葉は塊となって僕に激突してきた。

 

助けを求めようとして周りを見回すも、多くの人は眠っているようだった。静かな新幹線において、不都合な間欠泉が目の前で吹き上がっていた。

 

女性の顔はとても強張っており、口調はなぜだか邪悪さを感じさせる方向へとどんどんヒートアップしていった。言葉がわからなくても、邪悪なことを言われているなというのはわかるものなのだなあと思った。

 

僕が困惑し続けていると、女性は僕の肩をドンとついてきた。何が何だかわからない、何も悪いことはしていないように思うし、静かにただ座っていただけである。なにか黒く巨大な感情をぶつけられているような気がした。こんなことは初めての経験だった。

 

女性は僕の前でひとしきりわめき散らすと、今度は後ろにすわっていた山田の前に立った。同じように、山田に対して、何事かを猛烈な勢いでしゃべりたてていった。山田も突然の事態に同じように硬直していた。ひとしきり暴れると気が済んだのか、女性は不遜な態度で後方へと去っていった。

 

「あれなに……めっちゃ怖かったんだけど」

 

鳩に豆鉄砲モードの僕は、同じく、困惑している山田に声をかけた。

 

「なんかめちゃくちゃやばい人でしたね……」

 

「なんで僕たちだけに話しかけたのかな……中国語全然わからないけど、人種差別っぽいこと言われてる感じがしなかった?すごく悪感情をぶつけられていた気がする」

 

「確かに、なぜか日本人の僕たちだけに話かけていきましたよね。たしかにぼくも人種差別的なことを言われているように感じました」

 

「本とかスマホの画面で日本人とわかって、なんか言われたのかな……まあ中国だし、もちろん反日的な人もいるんだろうけどまさかいきなり出くわすとはね」 

 

「怖いですよね……海外に来てこんなの経験するの初めてですよ」

 

その女性は本当は何か別のことについて猛烈に激しくいきり立っていたのかもしれない。しかし、僕たちには、そのげに恐ろしき顔つきと陰険な口調は、何か人種差別的なことを言われているようにしか思えないものだった。

 

そうか、僕は日本人であり、歴史的な経緯である種の憎悪を引き受けなければならない民族なのだなあ。それは仕方がないことなのかもしれないけれどとても悲しいことだなあと、新幹線の中でひとり意気消沈しながら、自分の出自についてかりそめに考えてみるのだった。

 

窓の外は暗く、時折見える街灯がすごい速度で後方へと消えていくのが見えた。色々な出来事に相対して混濁し始めた僕の感情とは全く無関係に新幹線はぐんぐんと進み続けていた。 

 

横では日本人なのにひとり難を逃れた加藤が安眠顔ですやすやと寝息を立てていた。 

 

つづく