車を降りると、スパイスの匂いがした。四角い通気口から、中華料理の仕込みの匂いが漏れてきているようだ。川口の朝は刺激的である。近くの喫茶クラウンに入った。
「今日どこ行くんですか?」と大学の後輩田中は言った。


「え、どこに行くか言わないで誘ったんですか?」このブログによく出てくる加藤はやや呆れたかんじで言った。
群馬に行こうと誘ったはずだと思い「いや、言ったはずだよ」と言うと、田中は「え、聞いてないですよ」と疑念のまなざしでスマホを確認し始めた。むむ、そんなことはないはずだと、僕もスマホを手に取り、LINEの履歴を読むと、確かに「ドライブ行こう」「いいですよ」という無味乾燥の会話だけが残っていた。
「きくちさん、適当ですね」と加藤は笑った。
「謝罪するよ。じゃあ、田中くんは、どこに行くかも分からず、とりあえず今日やってきた感じなの」
「そうですね、まあ、暇なんでなんでも大丈夫ですよ」といって田中は笑った。
「で、群馬に何しに行くんですか」
「大泉町というブラジルタウンに行って、ブラジル料理を食べる予定なんだよ。加藤くんが、『移民時代の異国飯』という本を書いている山谷剛史さんの大泉についてのツイートを引用しているのを見て、なにやら楽しそうなので、大泉に行かねばならないとなったんだよ」僕はつるつるの卵に塩を振って答えた。
月80時間残業をしているらしい公務員の田中は「そうなんですね」と興味があるのだかないのだかよくわからない感じの非常に眠たげトーンでそう言って、コーヒーを飲んだ。
このまままっすぐ大泉に行くと早すぎるかな、などと考えていると、ふと、昔、ネットで見た情報を思い出した。
加藤はかりっと焼けたトーストをかじりながら「なんですか、それ。ビルマ汁?」と言った。「栃木のあたりで、第二次世界大戦でミャンマー に出兵してた人が帰国して、戦時中の思い出の味ということで作り始め、その地域で根付いたスープらしいんだよ」
「それは興味深いですね」と加藤は言ってスマホで調べ始めた。そんな感じでどこに行くかもあやふやだったドライブは、栃木でビルマ汁を飲み、ブラジルを体験しに大泉に行くことになった。
鼻先で、腰の曲がった老婆が新聞をめくり、細く長くタバコの煙を吐いていた。老人がひとりタバコを吸っている喫茶店はよい喫茶店であるように思われる。トーストを食べ、店を出た。
加藤が借りてくれたレンタカーに乗って、北へと向かった。途中、道の駅で「すぎたさんちの人参じゅ〜す」をかった。ジュースなのかと思ったら、ハードな人参の味がした。
下道でかたかたと人参ジュースをすすりながら2時間、栃木県は益子についた。いわゆる陶器の街である。道の両脇に工房やギャラリーが立ち並び、人々が焼き物を物色しているようである。しかし、我々の目的は益子焼きではなかった。ビルマ汁である。
益子に来るまでの道中、僕は窮地に立たされていた。ビルマ汁というのはその名の無季節性に反し、基本的に夏の食べものであるらしく、6月という微妙な季節はビルマ汁提供のはざかい期だったらしいのだ。
「やばい」
「どうしたんですか」運転しながら加藤は言った。
「ビルマ汁って、そういえば、夏に出るとか聞いた気がするなと思って調べたら、ほとんどの店が7月から提供になってるんだよ」
「え、まずいじゃないですか。もう結構来ちゃってますよ、どうするんですか」
「いや、何店舗かあるって聞いたから、まあどこか開いてるでしょと思って...」
僕は焦った。ビルマ汁なる得体の知れぬものを飲もうと、益子まではるばる2時間運転をさせておいて、そのビルマ汁がなかったなんてことになったら、これはなかなかの重罪である。口先動員罪の汚名をまぬがれないだろう。スマホで検索し、HPに6月提供と書いてある店に片っ端から電話をかけてみる。
「ビルマ汁やってますか」
「まだやってないですね」
「ビルマ汁やってますか」
「ランチはやってないんです」
「ビルマ汁やってますか」
「来週からなんです」
僕は立ち尽くした。実際には車で座っていたので座り尽くしたの方が正しいかもしれない。とにかく、呆然とした。そう、6月上旬というのは夏と呼ぶにはまだ早く、夏の食べ物ビルマ汁は全然提供されていなかったのだ。
加藤と田中に、まずさを悟られないように、目下、何か良い案はないか考えた。しかし、妙案はなかった。仕方なしに外を眺めた。田畑は新芽がぴよんぴよんと伸びていた。やはり夏には少し早いようである。これは如何ともしがたいことであるなあと半ば諦め気味に、なんとなくTwitterを開いた。あ、もしかして、Twitterでビルマ汁と検索すれば、最近食べた人のツイートとかが出てくるんじゃないか?と気がついた。
ツイッターでビルマ汁と検索をすると、直近で一件だけ、ビルマ汁を食べたツイートが見つかった。よかった!と「あ、なんかビルマ汁食べられる店あったよ」と言うと田中は「おお、それはよかったです。で、なんて店なんですか」と言った。
改めてツイートを見直すと、そう、ツイートには、店名がなかったのだ。僕は、メールを送った後に誤字に気がつくタイプの確認が甘いタイプの人間である。「あ、店名...」と再び狼狽した。いきなり見ず知らずの人にダイレクトメッセージか?しかし、それはちょっと流石に唐突すぎるだろうな...ともう一度ツイートを見返すと、箸袋にうすーく店名が入っていた。僕は安堵の表情で店名を告げた。
こうして一人肝を冷やし、見つけた店が、陶知庵という店だった。
メニューはいろいろあるようだった。がっつり行こうと思い、唐揚げ定食、ビルマ汁セットを注文した。なんとも突飛なセットである。二階幹事長とガチャピンの対談とかそういうキテレツさを感じる。
そんなに待つこともなく定食はやってきた。ビルマ汁は、スープカレーとポトフの中間のようものなのだが、野菜の甘みのなかに唐辛子が効いていて、あとからピリピリとした感覚がじわっと広がる。豚肉の旨味も感じられてふつうにうまい。ビルマから想像するようなスパイスの際立った感じはないのだが、美味しい家庭料理という感じである。
田中はビルマ汁パスタなるものを食べていた。これはこれでわりとうまいとのことだった。
「普通にうまかったですね。どんな味がするかと思いましたが」加藤は満足げだった。
「そうだね。長年家庭料理だったこともあって、結構汎用性が高そうな味だったね。味噌汁みたいに、毎日飲めそうな感じしたよ」ビルマ帰りの戦後の日本人が作り始め、70数年の年月をへて完成されたスープだ。なんとなく、戦争の影を感じさせるスープはやはり夏の食べ物なのかも知れない。
益子なので当然益子焼も売っていた。
「じゃあ、そろそろ行きますか」加藤がエンジンをかけた。少し雲行きが悪くなってきていた。
「今から大泉町に直で行ったらら15時とかにつくよね。まだ、少し早いかな」僕は懸念を呈した。
「確かにそうですね、でもこの辺って何かあるんですかね」田中は言った。
「経由するとしたら館林とか栃木市とかかな」僕は、唐揚げがかなりデカかったので急速に眠くなってきていた。
「うーん」と田中も少し眠そうであった。
「なんか、あっちの方大変なことになってない?」僕は窓の外を見て言った。
田畑の遠く向こうで空間が不穏に色づいていた。どうやらそこだけが局地的に豪雨になっているようだった。
加藤は「ちょっとそっちの方面白そうなんで行ってみましょう」と怪しげな目で車を走らせた。案の定、数分であたりが暗くなり、ある瞬間、信じられないくらいの量の雨が降ってきた。ワイパーなんて全く話にならないくらいの量の雨がフロントグラスに流れた。前が全く見えなくなった。
「なんだこれやばい!」とかなんとか言って徐行で走っていると、対面からライトだけが見え、車が向を走って行った。一歩ずれれば正面衝突しそうである。度を越した雨であることだなあと、一人詠嘆していると、少しして雨は去り、気がつくと栃木市のそばだった。
「そういえば、栃木というと、岩下の新生姜ミュージアムがあるんですよ」と加藤は何もなかったように言った。「岩下の新生姜ってあのスーパーで売ってるやつ?何が展示されてるの?」僕は聞いたこともない、生姜のミュージアムとなるものを訝しく思っていた。
「まあなんか色々だと思うんですけど、とりあえず、なんかやばいところなんですよ」とやはり加藤はやはり怪しげな含みをもたせた顔をしていた。公務員の田中はひかえめに笑った。
つかのまの豪雨を抜けたら、そこはピンクの生姜共和国だった。岩下の新生姜が奇妙に群れをなしている。じっと展示を眺めていると、生姜が何かの生物に見えてくる。通常人間が見るであろう一生分の生姜を見ることができたのではないかと思う。
狂気的である。かつてこんなにでかい顔ハメがあったであろうか...頭とは何かという哲学的な問いを生じさせるような大きさがある。壁からは、無機質に指が生えている。
唖然としていると、あたりが暗くなり、巨大薄ピンク構造物に対するプロジェクションマッピングが始まった。巨大なピンクの塊を、光る岩下の新生姜キャラクターが蠢いていた。
可愛げなキャラたちは群れ、踊り、次第に動きの中で、だんだんと渾然一体と化していく。僕は、栃木はもしかすると、かなり狂気的な県なのかもしれないと、この謎を生み出した栃木という場所への厳かな気持ちを抱いていた。
なぜ岩下の新生姜を異国飯カテゴリで書いているかというと、どうもこの商品は、もともと岩下の新生姜元社長が飛行機の中で食べた台湾の漬物を忘れられず、それを日本で売り始めたものであるらしいのだ。そんな営業映像が流れていた。もうほとんど日本に土着化しつつあるが、ルーツ的にはは異国飯だったのだ。ビルマ飯とは全く異なったルートで日本に根付いた食べ物だ。
陽も暮れてきたので、いよいよ大泉町に向かった。道すがら、モスクなども現れた。街の風景が徐々に変わっていく。
「とりあえず、一回ブラジルスーパー行きますか」加藤はすでに大泉町に来たことがあったので、道をよく知っているようだった。
スーパーの通りは日本語のほうが少なかった。スーパーにはどどんとブラジルの国旗が掲げられていた。店内は、ブラジルのみならず、いろいろな国出身の人で賑わっていた。大泉はブラジルの人以外にも多くの国の人が居ついているようだ。


店の脇には求人情報のようなものが雑多に差し込まれていた。外国語のものが多い。
おそろしいほどに真っ黄色のインカコーラとポンデケージョを買った。このポンデーケージョというパンは、チーズが練り込まれているらしく大変にもちもちである。焼き立てなのもあって、異常によい小麦粉の匂いがする。どれどれと食べてみると、これまた異常にもちもちで大変うまい。車に乗り込むと、車内がポンデケージョの匂いで満たされた。
「ポンデケージョを買ってまずかったこと一回もないんですよ」加藤はなんと1ダースポンデケージョを買っていた。サラサラの表面を噛むと、チーズの塩気にパンの甘さが混ざり、初めて食べたのに、どこか懐かしさを覚えるような感覚があった。
「じゃあ、そろそろブラジル料理食べに行くか〜」僕はちょっとポンデケージョをたべたことによって、腹が活性化してきていた。
「どこ行きます?いくつか店がありますからね」
「そうだな、レストランブラジルと言うところが一番有名なんでしょ。そこ行こうよ」
ということで、真っ黄色のレストランブラジルに着いた。車を運転してもらっている手前、ガンガン酒を飲むというのも申し訳ないので、自らの奥底の良心を引っ張り出しガラナを注文した。
「なに頼みますかね」と言って田中はメニュー表を眺めた。
「とりあえずぱっと来そうなものがいいよね」とつぶやくと加藤は「こういう店はキャッサバのフライがうまいんですよ」と言った。
「キャッサバってあのタピオカの原料の?」
「そうです、あのキャッサバです」
「想像もつかないけど、とりあえずそれにしてみよう」
キャッサバは、芋より軽い食感の穀物という感じだった。いい塩気で、これは酒が進むだろうなと思った。ガラナにも悪くない相性だった。
まあ、そこは当然行くだろうと言う感じで、シェラスコも注文された。日本人の多くが何かブラジル料理をあげろと言われれば、これをあげるだろう。
加藤が「あとフェイジョン、これも鉄板ですね」と言うので、そのスープも注文された。なんなのかよくわからなかったが、まあ、なんでも食べてみることが重要である。ドロドロとしたやや不気味なスープがテーブルにやってきた。


「これは当然うまそうだな...」イチボ肉は適度に油をうかべ食欲をもたらした。
フェイジョンは米と大変よくあう。混ぜて食べると、豆が際立ち、赤飯を食べているような感じがした。これにイチボのステーキを合わせる。南米風なんだか和風なんだかよく分からないのだけれど、これがやはりいい感じに調和していて、油断ならない味わいである。皆、無心で食べていた。
レストランブラジルには、日本人が多く来店し皆うまそうに肉を食べていた。けっこう地元に根付いているのだなと思った。酒が飲めれば最高なのにと思ったけれど、肉を食べ、赤飯状の米を食べ気がつくと結構満たされた気分になっていた。車で家に帰らなくてはならないので、少し早めに店を後にした。車に戻ると、1ダースのポンデケージョがブラジルの郷愁を感じさせるかのように、やはり異常なまでにいい匂いを放っていた。