今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何か考察するブログ

一泊二日、仙台を食べる

ふすまを開き、配偶者は言った。仙台に行ったことないのはやばいよ、人生の半分損しているよと。僕が真冬に寒い寒いと言うと、え、これで寒いの?と北から目線をキメてくる配偶者は仙台の出身であった。東北圏の中心的位置をしめる仙台、不肖わたしは、その偉大な土地に足を踏み入れたことがなかったのである。

 

仙台のいいところ、案内してあげるよ、まかしとき!との力強い言葉を頂いたので、ちょうど約一年ほど前の年明けに新幹線に乗り込んで、仙台に向かった。

 

 

雲の隙間から青空が見えて来た。いい調子である。

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すずやでずんだの最中

ホテルのチェックインを兼ねて街中を歩き始めた。なんか小腹がへったなとか喋っていると、文化横丁にたどり着いた。仙台にはいくつか横丁があり、文化横丁はそのなかでもとりわけ良い店が集まっているらしい。

 

昼なので、飲み屋はやっていなかった。正しく横丁的であり、よい雰囲気だなと歩いていると、ずんだの最中あるよ!という看板を見つけた。僕が仙台について知っていることいえば、ずんだと牛タンくらいのことであったので、とりあえず、ミーハーにもずんだ最中なるものを食べてみることにした。

 

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比較的賑わっていた。人気があるようだ。ずんだに最中ではあきたらず、そこにはカタラーナまで挟まっていた。カタラーナのインパクトでずんだが消えかかっているが、結構おいしい。寒い中冷たいものをたべると、寒いという当たり前の事実が確認される。

 

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喫茶 道玄坂

最中は秒で食べ終えたので、休憩がてら青葉通一番町の喫茶店道玄坂へ。

 

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客はあまりおらず、静かだった。カフェオレを頼んだ。内部は雑貨で溢れ、玩具箱のようである。仙台って何が有名なのと配偶者に聞くと、まあ有名なのは牛タン、この時期は、セリ鍋とかもあるよと教えてくれた。落ち着いた店内で居心地が良かった。暗そうな大学生が二人、行き場のないよもやま話に花を咲かせていた。1時間ほどしゃべり店を出た。

 

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大きなバスがゆったりと走り去っていく。仙台は道幅が大きく、街が整然としている。なんとなく名古屋に印象が近い気がした。

 

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買い物などして、フラフラしているともう夜が近づいていた。年明けすぐのことだったので、神社も提灯が並び正月仕様だった。

 

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夕飯はやっぱり牛タン食べたいな、いい店知ってる?などといいながら青葉区一番町のあたりを歩いていると、正月限定、仙台雑煮をどうぞというようなことがつらつら書かれた看板が道端に掲げられいてた。そこは、老舗の鰻屋のようだった。

 

開盛庵でハゼの雑煮

 

「ここ、仙台の雑煮食べられるらしいよ」

 

「仙台の雑煮は美味しいよ。ちゃんとしたやつは、ハゼで出汁とってるんだよね」

 

「ハゼ!それは気になるな。どんなかんじなんだろう」

 

「牛タンやめて、こっちにする?」

 

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僕は立ち止まった。でも牛たんも捨てがたいんだよな、しかし、ハゼか〜これはここでしか食べられないもんな、ちょっと待ってどうしようかな〜などと逡巡してると、配偶者がいやいや両方食べればよいでしょという強めの解決案を提示してきたので、なにも考えずに、開盛庵に入ることにした。

 

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なかなか歴史ある店のようで、店内は立派な梁が立ち老舗独特の引力を感じた。吉永小百合がちょこんと店内で座っているポスターが貼られていた。吉永小百合はどこでみてもちょこんとした印象がある。ちゃきちゃきした店員の方に雑煮を頼むとすぐにそれはやってきた。たしか1000円くらいしたのだが、値段相応に大きな椀で、食べごたえがありそうだった。

 

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ハゼは焼かれていて、香ばしさがだしの中に溶け込んでいた。すこし甘やかな出汁である。いくらが弾け良い塩気が感じられ、セリが後方から爽やかさは任さてくださいといった塩梅でいいかんじの構成だった。餅を噛む。新年を感じる。雑煮には餅がいる派、いらない派がいる。僕はどちらかといえばいらない派なのだが、日和見主義なのでその辺は寛容である。こんな豪勢な雑煮食べたことないわと思いながら汁を飲む。ハゼがまるまる浮いているので、碗を眺めていると、自然世界の写し絵のように見えてくる。

 

写真はないのだが、小鉢で黒豆が出てきた。黒豆というのは、定食屋におけるパセリ的な雰囲気がある。食べる人は食べるが、あまり脚光を浴びることもなく、まあなんか様式美的にあるよねといったやつである。しかし、そのつややかな黒豆は、黒豆・人生・ベスト・エバーと言っていいものだった。噛むと柔らかい皮が弾け、ねっとりとした甘い豆が口に広がる。なんというかちょっと上等なチョコとか食べたような満足感だった。これはうまい、うまいぞと無心で食べた。黒豆はパセリではなかったのだ。

 

そんなこんなで、牛タン

 

「ここ、なかなかおいしいし、牛タン単品での注文もできるんだよ」と配偶者は言った。まさに2軒目に行くのに適した店である。

 

仙台 牛タン 貴

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やはり旅行者としては、仙台にきて、牛タンを食べないわけにはいかないだろう。着席後、すみやかに、牛タンとスープを注文した。店主が牛タンを焼いている音がじーっと響いていた。

 

ぽってりとした牛タンが目の前にやってきた。

 

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厚さはあるものの、適度な硬さで噛むと旨味がつよい。近年、低温調理が流行り、ネコも杓子も軟らか肉が流行っているが、たんはやはりこの適度な弾力が良いのだ。塩気も適度で、タンの旨味を引き立てている。噛めば噛むほどうまい。ふと牛のあのぶっとい舌が思い浮かび、みずからの舌と牛の舌が接触していることに気がつき、不思議な気分になる。ビールを飲む、炭酸が油を流す、うまい。テールスープがさっぱりとしていて、緩急がよい。

 

新年早々牛タンを食べているものはおらず店はがらんとしていた。カウンターで野沢菜をつつきつつ、静かに食べる牛タンというのは贅沢である。

 

「仙台、初めてきたけど、めちゃくちゃ良いところなのでは?」と言うと、ちょっと、今頃気づいたの?といった表情で、配偶者は満足げであった。

 

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配偶者は実家に泊まったので、ひとり、キュア国分寺というカプセルホテル&サウナ的な施設に泊まった。ひと風呂浴びて、ビールを飲む。仙台の寒さの後でこれは大変ここちよい。

 

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カプセルホテルだが意外とよく寝れた。

 

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労働から解放されたたくさんの人々がふらふらと歩いている。

 

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朝市にて鮭のまぜおにぎり

体を温める必要があるなと朝市に向かってみる。味噌汁のよい香りがする。

 

 

なんと、無料で、明太子ご飯と味噌汁が配給されているではないか。気前のよい朝市である。かじかむ手を擦り味噌汁を受け取る。味噌汁が喉を伝うのを強く感じる。

 

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仙台は、なんと寛大な街であろうか。少し食べると、胃が活性化し、より腹が減るということがある。朝から活気よくはたらく市場の人々、それはエネルギーの塊である。夜を更すことをひとつの特技としている僕にとっては、異国にいるような感覚がある。

 

海鮮類を中心として、うまそうなものが陳列されている。右左を目を皿のようにして観察し、呼び声が誘うままにまかせ、鮭のまぜおにぎりを買う。よい朝ごはんになった。

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配偶者と合流する。塩釜にでも行ってみる?塩釜神社っていう結構大きい神社があるよ、との提案を受けた。塩釜、音だけ聞いたことがある地名である。

 

「そっちの方なら松島も近いよ。松島と塩釜にしようか」

 

「松島ってよく聞くけどどうなの、どうなの?」

 

「まあまあかな。そんなにすごい期待するところじゃないね」

 

電車に乗り込むと楽天イーグルス帽集団が新年のソワソワした雰囲気を放っていた。

 

楽天って仙台で人気なんだね」

 

「昔、私がバイトしてた店に時々まーくんが来てたよ」

 

「え、ふつうにその辺歩いてるんだ」

 

「そりゃそうだよ、社員の人が、すごい、まーくん来たよ見てきなよって言われて、遠巻きに見たよ」

 

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といったような会話をしながら、なかなかの急勾配の階段を上り、塩釜神社に参拝した。

 

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塩釜で寿司

塩釜港を擁するこの街は、寿司がなかなかうまいらしい。帰りがけに入ってみることにした。店の前に二人ほどが並んでいた。あまり並ぶのは好きではないが、これくらいは許容範囲である。新年早々寿司、なんとも豪勢な気分である。

 

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この寿司はうまかった。しかもおどろくことに3000円くらいであった。

 

 

漁港に近い寿司屋あるあるとして新鮮すぎて食感がごろごりになっていることがあるが、そう言ったわけでもなく、端正で食べやすく美味しい寿司であった。こんなの近所に会ったら、本当に最高だろう。

 

 

その後、足を伸ばし松島へ。

 

たしかに、風光明美といえばそうなのだが、まあ、一回見ればそれで良いかなという感じの場所であった。

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仙台に戻る。小腹も空いてきたのでので甘味を食べることに。

彦いち、古典的ずんだ

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いちごのあんみつとずんだ餅を注文した。店ではおばちゃん集団が威勢よくご近所関連話で盛り上がっていた。少し待つと可愛らしいあんみつが来た。

 

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ずんだはこれぞ古典的なずんだといった味わいで、ほんとに枝豆100%の味がした。この純血ずんだを食べると、なんというか枝豆感が強すぎて途中でやや食傷気味になってしまった。あんみつで心を整えた。

 

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せり鍋でせりの根

 

そして街をぶらぶらと歩き、すこし、配偶者祖母に挨拶をし、瞬く間に夜である。寒いしせり鍋食べたいねなどと話し探してみるも、店があまり見つからない。当然人気店は予約がいっぱいなのだ。

 

商店街を歩いていると、仙台の牛タンチェーン店(おそらく利久なのだが忘れてしまった...)が限定でせり鍋をやっているのをみつけたので入ってみることにした。広々としていてよい。

 

やはり来たからにはと、とりあえず牛タンは頼む。1日目より若干さっぱり目な印象でこれはこれでとても美味しい。牛タンは米を要求する力が凄まじい。

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そして、せり鍋が来た。仙台ではせりがなかなかメジャーな食べ物であり、なんでも根まで食べるものであるらしい。

 

汁を吸った油揚げ、肉、そしてせりの組み合わせがあっさりとしながらも妙味である。せりだけこんなに食べることもなかなかないななどと思いながら食べる。根もなかなか美味しかった記憶があるのだが一年も前のことなのでどんな味だったか忘れてしまった。ブログは速やかに書くべきものである。

 

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その後配偶者は帰宅することになったので、一人ぶらぶらしてから帰ることに。仙台の名物居酒屋があるらしいので行ってみる。

炉端で天賞

炉を囲み年季の入った座卓で飲むというのは味わいがあり大変良いのだが、いかんせんオペレーションが死んでおり、あまり居心地がよくなかった。なんでも一時閉店したものを、別の経営者が店を譲り受けたらしいのだが、現在の雇われ店長も最近変わったばかりらしく、最低限をこなすのが精一杯といった様子であった。

 

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少しだけ飲みすぐに店を出た。

 

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最後の最後に残念な気持ちになってしまった。トボテボと歩いているとジャズ喫茶がやっていたので戸を叩いた。看板の明かりが慰めのようであった。

 

真夜中のJazz喫茶Count

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ドアを開けると、ジャズが華々しく鳴り響いていた。巨大なスピーカーがこちらを見るようにして並んでいる。カウンターでは老人が二人静かにウイスキーを飲んでいた。

 

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デュワーズか何かのロックを頼む。少しかすれた音のジャズがたまらなく心地よい。風の厳しい冬の東北で、店に入ったときの安心感はすごい。老人たちは何かでにわかに盛り上がり始めた。僕はよそ者なので、一人すみに座ってつまみのおかきをかじった。ジャズを聞く時は、雑に酒を飲むべきであるような気がする。よく食べた二日だった。少し重たい胃を抱えソファに沈み込んで、おかきをかじり続けた。寒さ極まる北の地で爆音のジャズの中、一人ウイスキーをちびちび飲む。目をつぶると、人生がこのまま終わっていってしまいそうな気がした。

 

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