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金曜日、江戸川公園で花見、土曜日、隅田川で花見、日曜日、目黒川で花見

金曜日、花見をした。江戸川公園にて、小雨にかすむ満開の桜の下を歩いた。

土曜日、花見をした。宴会にさざめく人々を縫うようにして隅田川のほとりを歩いた。

日曜日、花見をした。アリの行列のように続いていく人ごみに紛れて目黒川の桜並木を歩いた。

 

無駄に桜を満喫してしまった。金土日と花見する浮かれポンチなどわたしくらいのものであろう。

 

桜というと坂口安吾の「桜の森の満開の下」という小説を思い出す。桜は美しく、しかし、張り詰めるほどの孤独を湛えたものであるとかなんとか、そんなことが書いてある。とても幻想的で読後感のよい小説だ。しかし、そんなにおしゃれな感性を持ち合わせていない私は、桜を見ても、ああ今年もまた春になったんだなと思う、それくらいのことである。

 

それまで円環のようにとらえられていた時間に対する感覚がいつしか変化し、近代以降、時間は直線でとらえられるようになったというような話をよく聞く。毎日、会社にいそいそと出向き、冬はなんだったら体がほてり、夏はともすれば体が底冷えしていくようなフロアで働いている私にとっては、時間とは直線でもなく円環でもなく無変化なのではないかというような気がしてくる。

 

春になり、桜を見ると、はっ、一年が始まるんだと気づき、時間は回っているのかなと思う。季節から切り離されて日々を繰り返し、気が付けばすごい勢いで時間が過ぎていて、春だ、春だと思うと歳という記号もくるくるインクリメントされている。

 

せっせと思い出を作っては、ばんばんいろいろなことを忘れて、何かできることが増えているようでいて、何ができるようになるでもない。無変化の時間に生きる私はほんとうに変化のない人間である。友達遊んでれば楽しいし、春風は気持ちいし、桜はとてもきれいでよいことも多い気がするので、ビューティフルドリーマーのようであるなあ。

 

ちなみに今年のベスト桜は隅田川だ。風情があるね!消灯ぎりぎりに行ったこともあって、会場ではスピーカーからカサカサの音で蛍の光が流れていて、これでもかと日本人の情緒をくすぐっていた。来年も行こうと思う。

 

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