今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何かについて考察するブログ

続・天理教の祈りと、公務員の告白 夏休みに宗教都市天理を観光してきた

というわけで、天理市へ向かうことにしたわたしは、電車に乗り込んだ。奈良線で奈良まで行って万葉まほろばなる路線へと乗り換える。万葉まほろば。洒落た名前である。まほろばとは、すばらしい場所といった意味なわけだが、万葉まほろば線に乗って、天理市へと向かうというのは、ちょっとした西遊記的紀行ブンガク感がいいななどと思っていた。

  

そんな、まほろばこと天理を不敬にも寝過ごしており損ね、やれやれと折り返しようやく天理駅へと到着した。人はまばらで、こぎれいな中規模の駅といった印象だ。

 

改札を出ると垂れ幕がお出ましした。

 

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なんと偶然ふらっとやってきた、今日この日は、天気教の青年会総会が行われる日だったのだ。よく見れば、天理いう文字が白抜きで入ったハッピを来た若い人たちがそこかしこにいる。みんなてきぱきと機敏よく垂れ幕や広告などの片づけをしていた。そう、残念なことに、青年総会は午前中で終わってしまったようなのだった。

 

とりあえず、天理教の本殿を見てみたいと思い、商店街を歩いていくことにした。

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それなりに人通りがあり、日本中の商店街がシャッターだらけになっていることを考えると、活気があるといってもいいくらいの様子だ。

 

たくさんの天理ハッピを来た若い男女が楽しそうに話している。ああ、~さん!てな調子で会話が発生していて、どうやら、顔見知りが多いようである。宗教都市ともなると、かなり親密かつ閉じられたコミュニティが形成されているのかもしれない。

 

しかし、みんな仲がよさそうだ。町全体が一つの前提を共有していると、居心地がいいのだろうなあと思う。小学校から大学まで、そして働き出してからもずっとこの町の中で生きているという人が結構たくさんいるのだろう。

 

仏具店などを見たりしつつ商店街を歩いていく。

 

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中学校の時、友達が天理教徒で、ああ、あの大きな太鼓あったなあとおもいだす。青年総会ともなれば、彼ももしかするとこの町に来て天理ハッピに身を包んでいるかもしれない。

 

あることに気が付いた。天理市の商店街は、気前がいいということである。

 

まず、赤本がただで配られている。

 

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受験生はただで勉強し放題だ。

 

そして、歩いているとこんな看板に遭遇した。

 

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現金つかみどりである。居酒屋で、枝豆のつかみどりということであれば、聞いたことがある。しかし、天理市の商店街は現金のつかみどりなのだ。なんと心躍るイベントだろう。どうしたら参加できるのだろうと、周りをうろちょろしてみるも、RPGのように何かイベントが発生して、参加件を得られる分けでもない。天理ハッピに囲まれていつまでも、私服で一人歩いているのも気が引けるのでそそくさと立ち去ることにした。

 

商店街を抜けると、とにかくでかくて、やたらと圧迫感がある宗教建築が姿を現した。なにせ、日本中探してもここくらいにしかないのではなかろうかという意匠の建築物である。

 

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 千と千尋の神隠しの湯屋を思わせる色と屋根の形をしている。ぐぐってみたところによると、将来的には、この湯屋的建築物で、天理教の神殿をぐるっと取り囲むことになっているらしい。現在でも、この建築物はかなり長く連なっており、湯屋湯屋しいオーラを存分に放っている。

 

 そして歩くこと数分いよいよ天理教の本部が姿を現した。

 

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どーん

 

 

 

 

 

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端的に言って荘厳だった。小石が整然と敷き詰められている。ごみはおろか、落ち葉ひとつ落ちていない。京都からのこのことやってきて、神社仏閣には目が慣れていると思ったが、それでも、おおと思わされるものがあった。

 

 

午前で終わったようだが、本日は、天理教青年総会の日である。写真には写っていないが、とにかく若い人がたくさんいた。神殿に入っていくと、150平方メートルくらいのただっぴろい空間になっていた。外光は入ってくるのだが 電気なのどはついておらず、とにかく薄暗い。神殿の中央には広さ10平方メートルくらいの窪みがあり、祭殿のような場所となっていた。そこには誰もおらず、そのくぼみを取り囲むようにして、おそらく偉いのだろうとおもわれる4人の僧侶が、なにやら鬼気迫る表情で、祈りをささげていた。

 

薄暗い、神殿で、そのくぼみと僧侶たちを取り囲むようにして、何百人もの天理ハッピの若い人たちが、お経を唱え、一人アルプス一万尺のようなことをしながら祈っている。一通り、唱え終わると、三つ指をつくようにして頭を下げる。そしてまた、アルプス一万尺のようなことをしながら、お経を唱えるのである。イスラム教徒が祈っているあの姿を思い浮かべてもらえば。それがけっこう近いのではないかと思う。

 

こう書いてしまうと滑稽なように思われるかもしれないが、その光景たるや凄まじい迫力なのだ。日本にいると、宗教的な現場を見るなんていうのは、大そう世俗化された葬式くらいのものであろう。しかし、この天理教の神殿には、まさに、生きている宗教が凄まじい熱量をもってうごめいているのである。

 

ひとまず、私も、正座して、気分だけでもまじってみることにした。隣には制服姿の女子高生がいた。真剣かつ精悍な顔つきでお経を唱えていた。よく通るきれいな声のお経というのはなかなかつややかに感じたりするものだ。花も恥じらう年頃の女子高生は、一体何を思ってお経を唱えるのだろう。テレビも見ず、携帯もいじらず、ここにきて真剣に祈っているんだなあと思うと、とても不思議な気持ちがした。気高くて美しい光景に思えた。

 

帰りがけに廊下を歩いていると、天理ハッピの若い人たちが、これまたお経を唱えながら、一所懸命に床を雑巾で磨いていた。よそ者の私がそこを通ると、威勢のいい声で、こんにちはと皆挨拶してくる。3メートルに一人くらいの距離感で床をふいているので、のべつまくなしに挨拶をされる。

 

「こんにちは」

 

「あ、はい」

 

「こんにちは」

 

「ああ、すみません」

 

「こんにちは」

 

「どうも、どうも」

 

かるく王にでもなった気分であった。

 

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こんなかんじの廊下を若い人たちがお経を唱えながら、みんなで床拭きしていた。

 

普段、東京でくらし働いていると、生産性なるものを多少なりとも意識してなければならない。ところがこの世界には、ちょっと隣をみれば、生産性何のそので、一心不乱に、漠たる何かを信じ、祈っている人がいるのである。それも結構大規模に。

 

電車にかたかた揺られ、京都に戻って来た。京都で働く田島という友人と、夜、会う約束をしていた。彼は、中学の友人だったのだが、現在は京都で公務員をしていた。小さな串カツやで酒を飲み、酔った勢いで、鴨川で飲もうぜなんて言う話になった。

 

田島と鴨川まで歩いていると、彼はこういった。

 

「俺、公務員じゃん。だからさ、信号無視とかできないわけ」

 

「え、なんで」

 

「市民の模範となるような生活をしなくちゃいけないでしょ。それが公務員だから」

 

今時、こんな公共心にあふれた公務員がいるのだろうか。そして何か間違った方向にマジメすぎるのではないだろうか。真面目モハン公務員は続けた。

 

「だから飲酒運転も言語道断だから、酔ったら、それがたとえ自転車であっても、押して歩かなきゃいけないわけ」

 

「そっか。モハン的市民というのは大変なんだね」などとわたしは言った。

 

そうやって自転車を押して歩き、鴨川についた。それはとても寒かった。京都は寒い。川沿いなどもっと寒いのである。

 

コンビニで買ったハイボールをぷしゅっとあけ、ぐびぐびと飲んだ。よもやま話などに花を咲かせた。しばらくすると、真面目モハン公務員は神妙な面持ちで言った。

 

「そういえばさ、俺結婚するんだわ」

 

「え、田島が!?同級生でもかなりはやいほうじゃん」

 

「けっこう長いこと付き合ってたからねえ。そろそろかなあと思って」

 

「そうかあ、めでたいねえ」

 

「ありがとう。なんかね、歳をとったなあとか。人生は早いなあとかそんなことを思うよね」

 

マリッジブルーなのか何なのか少し寂しそうな表情を浮かべた。

 

「ほんとだね……」

 

分別じみたことをなにか言おうとしたけれど口からは何も出てこなかった。

 

彼は大文字山のほうを見て、あそこのてっぺんでプロポーズしたんだよと言った。風はぴゅーぴゅー吹いていて寒かった。底の浅い鴨川の水面は飴色の街灯を反射してポコポコと揺れていた。真面目モハン公務員の横顔が遠く近く感じられた京都の夜であった。