今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何か考察するブログ

一泊二日、ホーチミンを食べる。全てが可能なベトナムの混沌の夜。後

 

前編

一泊二日、ホーチミンを食べる。伊勢うどんに影響を受けたベトナム麺料理 カオラウとは 前 - 今夜はいやほい

 

行くあてもない二人、カフェマンションへ行く

ホーチミンマジェスティックホテルで目が覚めた。朝ごはんを食べにレストランエリアへ向かった。

 

 

一日目でくたくたに疲れてしまったので、二日目にしてロスタイムのような気分だった。

 

「今日どうしようか」僕は生春巻の皮が口に張り付くのを感じながら加藤に話しかけた。

 

「そうですね、どうしますかね」

 

ノープランで来て、ガイドブックもないので、するべきことが何も思い浮かばなかった。昨日も全力で食べたのに、加藤は、今日も朝からもりもり食べていた。

 

「よくそんなに食べられるね」

 

「僕は入るのも早ければ出ていくのも早いですからね」と加藤は自慢げだった。加藤の快便事情について何をいうべきか逡巡していると「いやそんなことはどうでもよくて、今日何をするかでしたね」と加藤が言った。

 

「どうしようか......」

 

今日は天気がよいらしく、外に視線をうつすと、朝の光がホーチミンの街をこれでもかと照らしているのが見えた。

 

「そういえば、ベトナムって古いマンションの中に、カフェとかレストランとかぎっしり入って賑わっている的なものがなかったっけ」

 

僕はいつだか、ネットで見かけた情報を思い出した。

 

「ああ、なんかそういうのありましたね。ホーチミンにあるんですかね」と加藤が調べ始めた。僕はスイカジュースを味わった。

 

「あ、数百メートルくらい歩いたところにありますね」

 

「めっちゃ近いじゃん。よく分からないけど、そこに行ってみよっか」

 

「そうですね、特に予定もないですからね」

 

 

僕たちは、何があるのかよく分からないのだけど、とりあえず、その何かがいろいろ入っているらしい古マンションを目指してみることにした。

 

 

ちょっと歩いたら、すぐマンションが現れた。確かに、なかなか年季が入っているように見える。前情報通り、いろいろな店が入っているようである。

 

 

なんとなく、おしゃれなカフェが入っていて、世界中のインスタ女子が集まっていたりする場所なのか?と思っていたのだけど、入り口には、特に観光客が大挙しているような様子はなく、やる気というのを1ミリも感じさせない警備員が一人いるだけであった。マンションのエレベーターに乗るには、手数料がいるらしく、エレベーター前で、警備員にちょっとした額のお金を払った。

 

 

エレベーターに乗り込み、最上階まで上がってみる。そこから、階段で下へと順に降って行こうという作戦だ。

 

 

僕たちは、とりあえず、景色がいいだろうから高めの階のカフェに入るべきであろうという結論に至り、「the letter cafe」 なる店に入ってみることにした。

 

maps.app.goo.gl

 

 

中をそろっと覗いてみると、電気がついておらず、ひっそりとしていた。開店しているのかどうかもよく分からなかった。内装はかなりガーリーな感じで、人気もなく薄暗いので、失敗した絵本の中にでもいるような不気味さがあった。

 

「これ、男性二人で入っていいんですかね......」

 

「たしかに......でも先客もいなそうだし、いいんじゃないの」ということで、日本であれば絶対に入らないであろうカフェに入ってみることにした。

 

ガーリーである。いや、書いてはみたが、これはガーリーなのだろうか。何だかよくわからないが、あまり相性がよくなさそうなことだけがわかった。

 

 

うす暗く客もいないので、時間が止まったような感じがする。もし、他の客が入って来た場合に、アラサーの男性が座っているには視線が厳しい可能性があるので、僕たちは、ベランダに出ることにした。

 

 

キッチンからスタッフが出て来た。以前、共産カフェでおすすめされたココナッツコーヒーがあったので注文してみることにした。甘くておいしい。ベランダには謎に大量のミラーボールが吊されていた。コンセプトが謎なのだが、中に比べるとこのベランダは隙間空間のような感じがして、居心地がよかった。

 

 

「これ、ベランダの手すりに一枚板をつけただけですね」

 

「もしコップが下まで落ちたりしたら、大変なことになるよね」と言って下を覗くと賑やかな往来が見えた。板を押してみた。思ったよりは硬かったが、十分に硬いかと問われればそうではないような感じだった。

 

「そうですね.....コップが落ちて、人に当たったら普通に死にますよね」

 

そんな会話をしつつ、ココナッツコーヒーが思ったより美味しかったので、体をコップに寄せて勢いよく飲んでいると、足元でからんからんと音がした。僕のカメラのレンズのふたがくるくると転がって外界へ旅立とうとしていた。「やば!」と足をするどく突き出し、ふたを止めた。

 

「あぶな、早速落としそうになったよ」まあ、ふたなので落ちたところで大事にはならないのだろうが肝が冷えた。

 

「はは、やばいですね」と言って加藤はタバコを吸った。

 

 

ガーリー空間でビビっていたが、ベランダは誰もいなくて快適だった。そしてなにより、景色がよい。下には広場があり、子供が駆け回って遊んでいる。開放的でいいなと思う。写真で見ると、なんてことのない、こんなものかという程度の光景なのだけど、ベランダで、ぼーっとこの景色を見ながらコーヒーを飲むのは、休暇だなあという感じでなかなか特別な感じがするものだった。何事も毛嫌いせずにやってみるものである。

 

 

店を出て、マンションを降っていく。

 

 

マンションとして生活をしている人もいるらしく、所々に生活の気配があった。

 

 

ホーチミンが手を振る広場へ

 

歩いてちょっとのところにホーチミン人民委員会庁舎があるようだったので行ってみることにした。広場の真ん中で、朗らかな様子で、ホーチミンが手を振っていた。

 

 

加藤は写真を撮りながら「考えてみると、金日成銅像がソウルに立っているようなものなわけで不思議な感じがしてきますね」と言った。

 

「たしかに、ここは南ベトナムで、ホーチミンはもともとは、北ベトナムの指導者だもんね」日本で言えば、皇居に共産主義者銅像が建っているようなイメージだろうか......というようなことを考えた。もしかしたら全然違うのかもしれないが。

 

 

僕たちは銅像を前に、とりあえず数枚の写真をとり「ふむ」と何か歴史について思いをいたし、その場を去ることにした。

 

「あ、ちょっといいですか」と言って加藤が、どこかへ走って行った。ついていくと、それはホーチミンメトロの入り口らしかった。

 

イキイキとした表情で「この地下鉄は、日本が開発に協力してるんですけど、ずっと開通が延期してるんですよ。僕が前来た時もこの調子でしたから」と加藤は言った。加藤は乗り物オタクなのだった。

 

「そうなんだ、日本が開発の協力をしてるのね。日本の鉄道の輸出は最近芳しくないと聞いたけど、調子の良いところもあるんだね」と言うと、加藤は「しかし、これはですね、開発が遅延に遅延を重ねていたりしてですね...他の国ではうんぬん」とアジアにおける鉄道と日本について、明朗な説明をしてくれた。残念なことに、僕は、鉄道にほとんど興味がないので、そうなのか、なるほどと相槌を打ってはいたのだけど、説明がほとんど何も頭に入っていなかったことが、今これを書いていることで、遡行的に判明した。

 

地下鉄の入り口には、おっちゃんがハンモックを吊って転がっていた。これが仕事なのか、ただ空間を利用しているだけなのかよく分からなかったのだけど、地下鉄の門番と化したおっちゃんは、心地よさそうにスマホをいじっていた。もしこれが労働であるのであれば、自らの労働がいかに窮屈なものであるのか思い知らされるようだった。

 

 

雨上がり、ライムを絞ってブンボーフエ

 

そんな感じで、地下鉄入り口を見ていたら、ぽつぽつと雨がふった。

 

数メートル走ったところで、一気に雨が強くなった。僕たちは、「やば」と、高島屋に駆け込んだ。そう、ホーチミンには高島屋があるのだ。

 

あたりが暗くなって、ざーっと重たいスコールが始まった。避難に成功した僕たちは、百貨店の中からスコールを眺めた。

 

若いベトナムの男たちもやはり気怠そうに、高島屋のはしっこで、スマホをいじり雨が上がるのを待っている。そういえば、愛のスコールって飲み物があるよな、あれ、なんでスコールなんだろう、この雨のことなのだろうかなどということを考えた。スマホで調べると、愛のスコールのスコールはデンマーク語で乾杯の意味と、渇きを潤す的な意味で使われているらしい。なるほどそうなのか...なんていうことを調べてしまうくらい、スコールは人の動きを止めてしまうものであるようだ。

 

「これから、どうしますかね」と加藤が言った。どうしますかねしか出てこない旅行である。

 

「ちょっと行きたいなと思っていたブンボーフエの店が近くにあるからそこにいってみよう」

 

昨日に引き続き朝っぱらから、間を開けずに二食目に突入することになった。スコールがあがったタイミングで、高島屋を後にした。

 

雨は上がったのだけど、木の葉についた雨がぽつりぽつりと落ちて来て、それが結構無視できない量で、普通に歩いていると結構肩が濡れた。夜閉じた葉が朝露をためこみ、葉が開くタイミングで雨のようにみずが落ちてくる木をレインツリーと呼ぶと聞いたことがある。このベトナムの木々たちはアフターレインツリーとでも呼ぶべきものだ。

 

ブンボーフエの店についた。

 

雨をため込んでいるのか、オレンジのビニールがぐわんと湾曲していた。

 

僕は、席取り要員として、先にプラスチック椅子に座った。加藤が適当に注文をしてきてくれた。前回の記事で、加藤と旅行に行きたい!というような旨のコメントが散見されたが、加藤は、適当にうまいことやっておいてくれる能力が極めて高いので、身一つ用意しておけば、僕は、基本的にぼんやりしておけばよいのだ。

 

 

ふわっとニンニクが香った。なんとなくエビっぽいような香りもしたような気がするのだけれど、正直、記憶が定かではないので、もしこの記事を見て行った人がいても、エビの香りなんかしなかったぞとは怒らないでほしい。

 

しっかりとした味付けのスープで、何がなんだか分からないけれど具もたっぷりである。ドクダミが刻まれ入っており、麺を啜り込むと、ドクダミが感じられた。日本では、公園とか土手になんとなく生えていてあまり食べるものという印象はないけれど、薬味としてなかなかよい働きがあるように思う。

 

 

ライムをギュッとしぼる。一般にベトナム料理にはたくさんライムを絞るとよい。柔らかな肉と麺を合わせてすする。薬草と、ライムがそれぞれ別種のさやわかさで、スープと麺は硬い連帯を形成している。盤石でうまい。

 

 

近くで卒業式でもあったのか、オフィシャルな感じの制服を着た学生たちが、わらわらとやって来て、賑やかな様子で麺を啜っていた。日本でラーメンがそうであるように、若者たちのちょっとしたご馳走なのだろうか。すごい量だったので少し残してしまった。しかし、とても美味しかった。

 

近くの小さなマーケットを歩く。

 

 

謎の自転車を見る。

 

 

加藤と別れのミルクコーヒー

 

ホテルに帰ってチェックアウトをした。加藤は、ホーチミン近郊にある日本資本が開発をしたショッピングセンターを見に行きたいということらしく、それがまあまあ遠いらしいということで、別行動することになった。最後に茶でもということで、ホテルの近くのカフェに入った。

 


誰もいないようだったので2階に登る。

 

ちょっとした秘密基地のような空間である。

 

「いやあ、疲れたね」

 

「何言ってるんですか、きくちさんこれから一週間休みで、次タイ行くじゃないですか。始まったばっかりですよ」

 

「まあ、そうなんだけど、いきなり飛ばしすぎたという感じもあるよ」

 

「代われるなら僕が行きたいですよ!」

 

加藤は、笑いながら口惜しそうに言った。加藤はこのまま日本に帰国するのだ。

 

 

たしか、ミルクコーヒーを注文したような気がする。こちらもやはり甘いコーヒーだった。二人で、あまり大したことも喋らずに静かにスマホをいじったり一階を見下ろしたりして時間を潰した。外の強い光が窓から差し込んでいた。

 

 

「じゃ、僕そろそろ行きますね」と言って、加藤は颯爽とどこかのショッピングセンターへと去っていった。加藤の座っていた椅子の下から、まあまあ大きなネズミが出て来た。ちゃんと加藤がいなくなってから出てくる空気が読めるネズミである。一人残って、コーヒーを飲んで、店を出た。

 

時間的には昼を過ぎて14時近かったのだけど、朝食に加えて、ブンボーフエを食べたので、そんなに腹がすごい減っていなかったのだけど、そういえば、サンドイッチ形式のいかにもバインミーです!というものを食べていないなと思い立った。それくらいならちょうど腹に適量であるように思われた。

 

ベトナムといえば、バインミー

 

Googleマップで検索して、少し歩いたところにあるバインミー屋へ向かう。

 

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僕が店の前に立つと、おっちゃんは一個ねというような視線を送って来たので、軽くうなずくとぱぱっとバインミーを作ってくれた。

 

 

豚肉のチャーシューのようなものが挟まっていて、野菜がたっぷりである。正直そんなにすごいうまいということもなかったのだけど、すこし腹減ったなあと言う時に掴むのによいものだ。

 

 

バインミーをかじりながら、街を散歩する。ちょろちょろと日本の店がある。SUKIYAはなんとなく外国対応したような見た目になっていた。

 



しかし、業務スーパーはなんというか、かなりそのまんまであった。業務スーパーが海外展開をしているなんて知らなかった。

 

 

コムガー、チキンにライスは普遍的なうまさ

 

疲れていたので、デパートに入って涼み、適当にお土産をかったりするなどして、夕刻になった。昼ごはんがバインミーだけだったので腹が減って来てしまった。ちょっと軽めにしておくかと思えばこれである。

 

人間の体というのは自分の意思とはあまり関係なく動く部分がとても多い。夕飯にコムガーを食べることにした。コムガーというのはチキンライスである。こんなところに店があるのか?という門を入っていく。白い壁に挟まれた道が続いていて、少し歩くと、店が現れる。

 

 

 


17時くらいだったのだけど、店はけっこう賑わっていた。もともと路面店だったらしいのだけど、人気が出て店を構えるようになったらしい。店員のちゃきちゃきした女性が、簡単な英語で説明をしてくれる。コムガーはやって来た。米は香ばしい香りがして、食欲を増進させた。チキンを崩し、米に混ぜて食べる。鳥と米なので、何かすごい特別な味がするわけではないけれど、安心して食べられるおいしさがある。

家族連れが多く賑やかである。さっきまで二人でいたので、一人でご飯を食べるのが急に寂しいことであるような気がしてくる。一人旅というのは独特の孤独感があるものだ。

 

 

ふたたび共産カフェで甘酸っぱいライムジュース

コムガーを食べ、近くの公園へ。みな、だらんと時間を過ごしているので、僕も、何をするでもなく、水辺に座って、ベトナムへの一体化を試みる。水回りなので、蚊がうようよいて、油断をすれば攻勢をかけてくるのではないかと思われたが、驚くほど蚊がいなかった。

 

 

次の国、タイへの飛行機への時間をしらべるなどしていたのだけど、ふと顔をあげると、例のコンカフェこと共産カフェがあるのが目に入った。

 

 

せっかくだし、また入ってみようということで、すこし茶を飲むことにした。一階は油絵が所狭しと置かれたちょっとした画廊のようになっていた。油絵エリアを抜けると、くらい螺旋階段があって、そこを上がっていくと、コンカフェがあった。

 

 

 

 

おしゃれブックカフェのようなのだけど、棚には、おそらく、共産主義系の本が詰まっているのだろうと思われる。

 

 

シェードはざるなんだけど、右隣には、村上春樹でも読んでいそうなお洒落な男子が足を組んで本を読んでいて、左には、ヒップホップでもやっていそうなお洒落な女子二人組が楽しそうにおしゃべりをしていた。ベトナムアーバンライフだ。

 

 

ライムジュースを頼んでみた。コーヒーはおいしいのだけど、コーヒーばかり飲んでいたので少し疲れてきたのだ。ライムジュースは適度な酸っぱさと甘さで、とても美味しかった。しかしこれは、共産の味ではなく、改革開放・ドイモイの味なのだろうなと思った。

 

 

店を出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。

 

 

教会広場の祈りと喧騒

あまりすることもないので、適当にあたりを散歩することにした。少し歩くと、教会が見えて来た。人が集まっているな何だろうと、近づくと、カーンカーンカーンと鐘の音がした。

 

 

人々は、教会に向かって祈っていた、のであればよかったのだが、実際には祈っているのは1〜2割で、周りにいる人たちは、腕立て伏せをしていたり、ビニールシートをひいてピクニックのような方式で、愉快闊達にご飯を食べていたり、生真面目な様子で足をちょいちょいと動かし、エクササイズに励んでいたり、あるいは万国の若者と同じように、体を寄せ合って愛を確かめ合っていたりした。僕がその広場に入ると、ピカピカひかる風船をもった子供がすごい勢いで駆けて来て、どんとぶつかった。

 

 

カオスである。しかし、祈っている人は気にせず祈っている。神の前で人々は自由であった。お互いがお互いに全く興味がなさそうである。そのカラっとした感じが面白いなと思った。

 

 

バイクの荷台には山ほどの花束が積まれていた。夜は順調に更けていくようである。

 

 

僕は祈るでもなく、ピクニックをするでもなく、花を買うでもなく、あたりを徘徊し、ベトナムの夜のほとばしるカオスの一部になることを試みた。

 

路上で飲むサイゴンカクテル

カオスに触れて、体に火が灯ったような感じがして、酒でも飲みたい気分になった。バーと検索すると、少し歩いたところに、路上でやっているバーがあるのを見つけたので、いってみることにした。昨日は、東南アジアの雨季の本領発揮という感じで、油断すると雨にふられていたのだけど、今晩は、乾いた空気で、全く雨の気配がなかった。そんな夜のホーチミンを歩くのはとても心地よいことであった。

 

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ギラギラとしたネオンが見えて来た。


同い年くらいの細身の男性がマスターのようだった。メニューをくれた。日本ではメニューがなくてもどうにでもなるけれど、海外のバーはなにせ言葉が通じないので、メニューがあると大変助かる。その店の名物であるらしい、Saigon1975というカクテルを注文してみた。通常は二人でシェアするものらしく、そのカクテルはポットにたっぷりと入った状態で提供された。

 

 

ポットの中にはあぶられたドライフルーツとシナモンのようなものが浮かんでいた。表面をふわふわと泡が覆っている。ラムにジャスミンティー、卵、ライチなどを使っているらしい。さわやかに甘酸っぱく、とろみがあり、あぶられた事による香ばしい香りがそれを包んでいた。ショットで飲んで、ポットからついで、またショットで飲んで、たまにつまみにおいてあるドライフルーツをかじる。体が少しずつ緩やかになっていく。夜風は何とも言えない心地よさで、顔に吹き付けてきて、もう、なにもいらない!という気持ちが押し寄せてきた。

 

僕は一人「ベトナムか...ベトナムだったんだな」と何かの確信に到達した。

 

ちょっと中心地からずれると道路も静かである。店が流しているベトナムHipHopだけが路上に響いている。マスターは椅子に座り、足でリズムをとっている。日本でこんなどんじゃか音を流していたら速攻で通報されそうである。

 

どこか遠くで吸われているらしいタバコの匂いがやってくるのが分かるくらいに、空気も澄んでいた。チープな椅子に腰を預け酒をぐっと飲み、木々を見上げる。葉のさきに夜空が見える。こんな夜が今後も四半期に一回くらい訪れれば、人生はとてもよいものになるのだが……

 

 

ポットで酒を飲んで、思ったよりも量があったので追加注文はしないで店を去った。再び散歩を開始する。どうも、ホーチミンはかなり治安がよいらしい。一人で歩いていてもここは危ないのかな......というような道が全くない。そして、一本一本の道にそれぞれの雰囲気がある。

 

 

散歩するだけで楽しい街並みというのは、旅行において最も重要なことである。なんだかんだ小一時間くらい歩いていると、朝来た、ホーチミン人民委員会庁舎へと続く通りに戻って来た。

 

全てが可能な混沌の夜

驚くべきことに朝と全く様子が違った。

 

 

教会前広場なんて比じゃないくらいの圧倒的混沌なのである。まず、五十メートルおきに音楽パフォーマンスが行われていて、そこら中でスピーカーが増幅した音楽が鳴り響いているのである。

 

人だかりの中心には、謎のカエルの着ぐるみたちが踊り、若い男たちがラップをしていた。カエルたちはノリノリで、客を煽り、腰を揺らしたかと思えば、カエル同士で抱きしめあったりする。そこに4〜5歳の子供が駆け込んでいってカエルをタコ殴りにしたりして、しかし、パフォーマンスは止まることもなく、ラッパーはライムを刻み続けているのである。

 

 

かと思えば、誰からも見られずに、謎の時間が止まったパフォーマンスが行われていたりする。

 

 

小さなコンロで、小さなお好み焼き的小麦粉フードを焼いている人もいる。

 

 

喧騒に満ち満ちている。しかし、暴れたりしている奴がいるわけでもない。皆、別に酒は飲んでいるわけでも無さそうである。子供が多いので、おもちゃ売りもたくさんいて、ピカピカひかる竹トンボみたいなものが空にぴょんぴょんと飛び上がっていた。

 

まだ小学校低学年くらいの小さな男の子もスピーカーの前に立って、英語の歌をしめやかに歌い上げていたりした。男の子は、道に置かれた帽子にチップを集め、そこそこの稼ぎを上げていた。

 

どこを歩いていても、Hiphopが人気らしい。子供がかけて来て、音に合わせ体を爆発的に動かしていた。

 

かと思えば、謎の着ぐるみが現れた、のっしのっしと道を歩いたりしていた。

 

 

ホーチミン人民委員会庁舎へと道は続いていく。ベトナムは平均年齢33歳である。そのパワーがほとばしっている。なんと明るい国だろう。さっき飲んだカクテルの名の通り、ベトナム戦争の終わりが1975年だ。約50年、長いような短いような時間である。何にせよ、この目の前に広がるのは、未来でも過去でもなく、圧倒的に今を感じさせるもので、とにかくホーチミンはいつまでも最高に騒がしいのだった。