「きくち、なにひとり飲んでる!乾杯!乾杯!!」
なぜだか僕は、宜蘭という街で、台湾の原住民族、タイヤルの人々に囲まれて無限に出てくる台湾ビールを飲まされてた。杯を乾かせば、即ビールを注がれ、高まる気勢の中乾杯だ!といって、コップを打ち付け合うのである。ビールを飲み干さず、こっそりちょっと残して机に置こうものなら、おれと酒を飲めないのか的悲しみの表情を向けてくるのである。
お前らも大変だなと、魯肉飯
うかれぽんち大学生テニスサークルではない、台湾のタイヤル族なのである。僕は、もうここまで来たならいくしかないのだな、負けないんだからねと頑張ってビールを飲み干し続けた。真向かいに座っているタイヤルの警察官は、お前なかなかいけるやんけというような表情だった。隣に座っていた、大学時代の後輩加藤は、ビールの炭酸で妊婦のように腹が膨らみ、店のトイレに駆け込んでいった。
どうしてこうなったのか……
ことの発端は遡ること数時間前。僕たちは、人間の睡眠サイクルをまるで無視している非情な土曜早朝6時前の羽田発台北行きの飛行機に乗り込んでいた。
*
桃園空港 に降り立った。当初の天気予報をあざ笑うかのように空はすこーんと晴れ渡っていた。すぐに宜蘭行きのバスに乗り込んだ。今回の目的地は、台北ではなく宜蘭であった。
なぜ、宜蘭に来たのかというと、僕たちは、タイヤル 族にあってみたかったのだ。タイヤル族というのは台湾の原住民族で、Wikipediaによれば、台湾に8万5000人ほど住んでおり、台湾の原住民属の中では二番目の人口規模であるらしい。
なぜ、タイヤル族に会ってみたかったのかというと、タイヤル族の一部の人たちが話している宜蘭クレオールという言語に興味があったのだ。宜蘭クレオールというのは、タイヤルの人がもともと話していたタイヤル語と日本語が混ざり合ってできた言語である。あるときツイッターのTLに流れてきた毎日新聞の動画をみて驚いた。語彙のかなりの部分が日本語なのである。
昔、台湾は日本の統治時代だったことがある。その時の日本の政策で、山に住んでいたタイヤル族は山をおろされて、セデック人と一緒に住むことになった。民族間で言語が完璧に通じるわけではないので、共通言語として日本語が使われるようになり、タイヤル語と、日本語が混じった、あたらしい言葉が生まれたというのが宜蘭クレオール誕生の経緯である。
こうやって書いていると、故郷をうばったり、民族のアイデンティティである言葉を混乱させたりと、途方もない暴力である。日本人のはしくれとして、申し訳ないなあと思うばかりである。
動画を見ていると、宜蘭クレオールを残していきたい、これからも自分たちの言語として使っていきたいという人もいるようだ。しかし、台湾の言語政策のもと、小学校で教えられているのはタイヤル語であり、宜蘭クレオールではない。宜蘭クレオールは近い将来、消えてしまうかもしれない言語なのだ。
興味のある人は論文をどうぞ
台湾の宜蘭クレオールにおける否定辞 ―「ナイ」と「ン」の変容をめぐって― 簡月真 真田信治
http://www.ls-japan.org/modules/documents/LSJpapers/journals/140_chien.pdf
宜蘭クレオールという言語を、僕は一度この耳で聞いてみたいと思った。遠くない将来、もしかすると消えてしまうかもしれない、そして、この言語を残していきたいという人が多少なりともいるのであるならば、僕のような人間が聞いてみたり、こうして、ブログを書いてみたりするのも、一ミリ程度には意味のあることなのではないかと思ったりもした。
*
バスは2時間ほどで宜蘭の礁渓に到着した。バス停から駅まで歩き、すぐに電車に乗り込む。ちなみに、礁渓というのは都心から少し外れた温泉街で、台湾の熱海のようなところである。
礁渓駅は寂れていた。
礁渓は炎天下だった。台湾の夏はただただ暑い。
がたごとと電車は進んでいく。車内はきもちいいほどにガラガラだった。
素朴な田園風景が広がっている。緑が色濃いいい季節だ。
「台湾って田舎の方は四国に似てるんですよね。四国もため池多くないですか?」
加藤は車窓から台湾の田園風景を眺めながら言った。
「ああ、たしかに香川とかの風景に似ている気がするね。なんで池が多いの?」
「島だから、貯水しておくのが大事なんでしょうね、たぶん」
電車はゆっくりと進んでいく。日差しが心地よい。知らない街で電車に乗っていると旅情があるなと思う。目的地は東澳(どんあお)車站という駅だった。乗り換えをするために少し手前の蘇澳駅で降りる。蘇澳は冷泉なる冷たい温泉のようなものが出ることで有名な街らしい。
とりあえず昼ごはんでも食べるかと店を探す。
「宜蘭といえばネギらしいよ、加藤くん」
僕は、バスの中でGoogle検索した結果をさも知った風に述べた。
「なんでもネギを包んで焼いたものがけっこう有名らしいんですよね。それ食べますか」
岬inという店が駅の目の前にあったので入ってみる。
かわいらしい店内だ。
シーフードの葱油餅を注文する。
朝からほとんど何も食べていなかったので、鉄板から放たれる匂いが体にしみた。
「ねぎもちうまいじゃん!お好み焼きと、チヂミの中間みたいな味するね」
「たしかに、ねぎもちうまいですね!」
「ねぎも甘いきがするぞ」
気温も高く、ねぎもちも暑いので汗がだらだら流れた。
「しかし、ねぎもちだけでは腹が満たされないな」
「そりゃそうですよ、ねぎもちはほとんどおやつみたいなものですからね」
ねぎもちに醤油とラー油をべちょべちょに塗りたくっていたので、袋の下のほうのねぎもちはたれに浸かってクタクタになっていた。袋から流し込むようにして、残りの切れ端をひといきで飲み込んだ。たまらない味がする。雑に食べるのがおいしい食べ物というのがこの世には存在している。
再び、僕たちは何かしらのうまいものを求めて蘇澳の街を歩き出した。
*
うつくしき夏の川のせせらぎ。
駅から少し離れると、透明度の高いきれいな川が流れていた。夏の光景だ。橋を渡っていく。Google MapでFoodと検索してみる。
Googleは評価4.2の店をリコメンドしてきた。とくに他にあてもなかったので、Googleを信頼してみることにした。
純粋的台湾地元店といった雰囲気の店が現れた。佇まいがいい。ここにしようと言って店に入った。
「かとうくん、この店はうまい気がするよ」
店内は薄暗く、夫婦でやっているようだった。隣の席には台湾の家族がわっせわっせとご飯を食べていた。
「これは間違いないですね、さっきおっちゃんが食べてた菜っ葉とか確定的にうまそうでしたよ」
「全く同じことを思っていたよ。あの菜っ葉は間違いないね」
加藤と旅行に行くと、毎回これはうまいに違いない!といって勇んで店に入っている気がする。そしてその予感は当たらないことの方が多かった。しかし僕たちはあまりに愚かにも何も学習することなく、毎回毎回、これはうまいに違いない!と騒いでは、手当たり次第色々なものを食べてきた。
なにかの肉飯と牛肉麺と確定的にうまいはずの菜っ葉を注文する。寡黙な店主のおっちゃんは機械のように料理を始める。
無造作に置かれる肉の塊。
店内はクーラーあるものの機能としてはほとんど死んでいて、座っているだけで汗が服にしみた。大きなファンが天井に吊るされ悠然と回転して、かすかな風を送ってくる。ああ、暑い、これは暑い、なぜあのファンは猛然と動かないのだ!ファンというのは猛然と動いてこそのものでは無いのか!と一人憤り手元のメニューでぱたぱた扇ぎ続けていると、料理はやってきた。
なにかの肉丼。穂先メンマがなまめかしい。
かっかっと箸でかき込む。白米を味の濃い肉がつつむ。暑いので汗が流れる。当然おいしい。台湾でこういったタイプの丼を食べて美味しくなかったことがほとんどない。安定である。
確定的にうまそうな菜っ葉がやってきた。たしかに、つややか、かつ、ひたひたである。これはうまそうだ……期待を込めて口へ運ぶ、う〜む、まあまあだ。まずくはないけど見かけだおし!!味が薄い!
牛肉麺。肉がおいしい。
「あつい、うまい、あつい、あつい、うまい!」といった感じで一瞬で食べ終えて、店を出た。ぴゅーっと風が吹いていた。店の外の方が圧倒的に涼しかった。
*
「で、結局、宜蘭クレオールをしゃべっている人たちはいるのかねえ」
「う〜ん、まあ、3000人くらい話者がいるわけですからね、ふつうに歩いて聞こえてきたりしそうなもんですけどね」
東澳に行くには実は一駅戻る必要があるらしいことに気がつき、それなら電車にして一駅な訳だしタクシーで行くかという話になった。タクシーは長いトンネルを走っていく。
「話者は3000人だけど、4つの村に散らばっているらしいからね。東澳にはいても1000人くらいかなのかもね」
宜蘭クレオールは、東澳村、寒渓村、澳花村、金洋村の四村で主に話されている。東澳村は海に面しており、トビヨという魚が名物である。ちなみにこのトビヨというのはトビウオのことである。日本語が現地の言葉として使われている宜蘭クレオールの一例である。僕たちはせっかくなら美味しいものが食べられそうなところにいった方が良いのではないかという了解のもと四村の中からトビヨを食べに東澳に向かっていたのである。
15分ほどでタクシーは東澳の駅に到着した。羽田を6時に飛び立ち、実に9時間ほどが経過していた。長い長い道のりであった。
駅前のオブジェにはトビヨがくっついていた。どうやら僕たちは間違いなく、宜蘭クレオールが話されているらしい、トビヨの街、東澳に到着したのだ。
「いやあ、ついたね。長かったね」
「長かったですね。とりあえず、トビヨは観測できましたね」
二人でぱしゃぱしゃと写真を撮る。
「なんか、Google Mapみてたら、トビヨを干してるマーケット的な写真がアップロードされている場所があったからとりあえずそこにいってみようか」
「ああ、ほんとですね。了解です。多分こっちですね」
村と聞いていたので、もっとひなびた感じを想像していたのだけど、街の中心のあたりは比較的車通りが多く、人もちらほら歩いていた。道ゆく人々は、宜蘭をクレオールを話しているのだろうか…と僕は聞き耳をたててながら歩いた。しかし、あまり明瞭に会話は聞こえてこなかった。
「あのさ、道もよくわからないし、あそこの軒下で話をしてるおばあちゃん達に話しかけてみてよ」
僕は一応加藤の先輩であったので、そんなことをけしかけてみた。
「いやですよ!まあとりあえず歩いていきましょ」
僕が1浪で加藤が2浪で大学に入っているので、一応先輩後輩ということになっているのだけれど、そもそも僕と加藤は同い年なので、僕にたいした優位性はなかった。
Google Mapの示しているとおもわれる場所に来てもトビヨは干されていなかった。ただ民家が連なっているだけの通りだった。その後も、うろうろと東澳の街を歩き続けるも、トビヨもなければ宜蘭クレオールも聞こえてこないのであった。
「全然、トビヨないね」
「おかしいですね、この辺だと思うんですけどね」
「やっぱり、これは現地の人に聞いているというのがよいのではないかねえ」
そんなことを話していると、平屋の軒下にたむろっている家族が僕たちのことをちらちらとみていることに気がついた。なんかあそこに日本人らしき奴らがいるぞ、そして彼らはうろうろしていて、もしかしたら、道に迷ったりしているのかもしれないぞというようなことを話しているように見えた。
「あの人たちに聞いてみるしかないのでは??」
と僕は相変わらず丸投げ風のことを言うと、加藤はやれやれといったかんじで、その家族の方に近寄っていった。向こうがどうしたんだ?的表情であったので、僕たちは「トビヨ、トビヨー!」とトビヨを食べたいのだ的なことをうわごとのように呟いた。
彼らは、僕らトビヨ異国人がどうやら日本人であると確信したらしく、日本語が喋れるちょいと腹の出たおっちゃんを奥から連れてきてくれた。
「日本人?」
「そうです、トビヨを食べたいんです」
おっちゃんは、あちゃーという顔を浮かべた。典型的あちゃー顔であった。
「トビヨは今、季節じゃないからこの辺にはないよ。トビヨは三ヶ月だけね」
僕たちは立ち尽くした。楽しみにしてはるばる東京からやってきたトビヨはなんと、見事!季節外れだというのである。朝6時の飛行機に乗り込み、海を超え、バスに揺られ、山をまたぎ、うたた寝を挟みながら、鈍行列車に揺られ、タクシーに乗り込み、やっとたどり着いたと思いきや、無慈悲にも、トビヨは季節外れだったのである。
僕たちは、なんということだといったオーラを放って「まじかよ…」「無慈悲だ……」「どうしよう」と話し合っていると、おっちゃんは「まったくしょうがないやつらだ」といった感じで、ちょっとこっちへこい的ポーズをした。
僕たちは、いわれるがまま、おっちゃんについていくと、おっちゃんは車の前で「乗って」と言った。
なんだかよくわからないけれど、日本からわざわざやってきて、トビヨ、トビヨー!呟きながら落胆している滑稽な日本人をかわいそうに思ったらしく、どこかへ連れて行ってくれるみたいであった。おっちゃんはまさに善良豪放磊落オーラとでもいうべきものを放出していたので、きっと車に乗り込んでもきっと大丈夫なのではないかと思った。
車に乗り込むとおっちゃんは坂を快調にあがって行った。
「トビヨある場所行くよ」
「え、あるんですか!乗せてもらってすみません、ありがとうございます!」
僕は感謝を述べつつ、こうして、旅行者というのは往往にして、変なところに連れて行かれたりして、少なくない金を騙し取られたりするんだろうな…と思ったりしていた。さもありなん、うたかたの旅行である。
「トビヨはこの街でよくとれるんですか?」
「海が近いからね」
トビヨトビヨ言う日本人におっちゃんは笑っていた。
*
10分くらい車で走ると公園のようなところに出た。出店がたくさん出ていた。どうやらお祭りをやっているみたいだった。僕たちは、旬をはずすという決定的失態を犯したものの、祭りはやっているという幸運に恵まれたようであった。
おっちゃんが車の窓を落として、 屋台の店番をしているおばちゃんに話しかけた。
「日本人がトビヨ食べにきてるんだよ」というようなことを言っているようだった。おばちゃんは何言ってるんだこいつ的な態度だった。おっちゃんは説明を続けていた。ふたりの会話を聞いていると、”あんた”とか”なに”とか、”たべる”といった単語が聞こえてくる。明らかに日本語が混じっている、しかし、それは聞けども聞けども日本語でない言語だった。そこでは、間違いなく宜蘭クレオールが話されていた。
僕たちが日本人なので、おっちゃんは日本語を話してくれていただけで、おっちゃんは宜蘭クレオール話者だったのである。日本の語彙をベースとしているけれど、日本語ではない独立した言語が目の前で話されていた。それはなんとも不思議な光景であった。日本の語彙は海を超えて宜蘭の村で独自の言語体系として進化していたのである。
「これ、宜蘭クレオールだよね」
「クレオールは本当に話されていたんですね」
「”あんた”ってめっちゃ言ってたよね。このかんじだとかなり日常的に使われてるみたいだね」
「宜蘭クレオール話者は日本語もわりと日本語も喋れる人が多いのかもしれないですね」
「たしかに、おっちゃんもすらすらしゃべってるもんね」
「はるばるやってきてよかったですね。トビヨも食べれそうですし」
車からおりると、おっちゃんが屋台の方へと連れて行ってくれた。見ず知らずの謎の外国人に対して無償かつ無限の優しさである。そして、そこには、トビヨが、まさに求めんとしていたところのトビヨが干されていたのである!大飛魚!!
「トビヨ??」と聞くと「トビヨ、トビヨ」とおばちゃんはにこにこ答えた。トビヨは季節外れであったものの、干物として存在を残していたのである。
「一个!」というとおばちゃんはトビヨを袋に詰めてくれた。
おっちゃんの娘さんが屋台の裏から出てきて、こうやって食べるのよとジェスチャーで教えてくれた。トビヨはお腹をがっと開いて中の肉をちまちまと食べていくのが流儀であるらしい。袋においしいの文字。日本語との距離が近いのかなあと思う。
教わった通り、むしって食べる。特別、感動的おいしいというものでもないけれど、素朴な味がなかなか良いものだなと思った。いい塩味だった。干物にはやはりビールなのではないか?と思い、真昼間から台湾ビールを買った。トビヨに台湾ビール、これはただしく東澳スタイルだ。
おばちゃんとおっちゃんがやはりあんた〜!とかなんとか言って宜蘭クレオールで話をしている。なんとも不思議な気分である。僕はビールを飲む。台湾の夏は暑い。ビールは必然的にうまい。
「東澳はタイヤルの人が住んでるんですか」
僕はおっちゃんに尋ねた。
「タイヤルの人がおおいね」
「タイヤルの人は北京語じゃない独特な言葉をしゃべるんですね」と加藤がきくとおっちゃんは「そう、タイヤルの言葉」というようなことを言った。
「タイヤルの言葉に興味があるんです、タイヤルの言葉教えてほしい!」と僕がいうと「次また来たら教えてあげる」とタイヤルに興味があるのか、めずらしいなといった感じでおっちゃんは笑っていた。
宜蘭クレオールを聞いていると、言語というのはそもそも色々なものが混じってできているものなのだという基本的前提を思い出す。一般的には言語の変化は大変ゆっくりなので、普通人が一生を終えるレベルのスパンでは、その変化をあまり意識することもないけれど、宜蘭クレオールをこうして聞いていると、 言語というのは間違いなく生きていて動的に変化していくものなのだなというのがよくわかる。
ビール混じりの頭で、そんなことを考えていると、おっちゃんが日本人がきているぞといろんな人を呼んできたので、周りに人が集まってきた。カメラを持っている僕に、人々は写真を撮ってくれとやたらと激しいアピールをしてきたので、人々を順々に撮影していった。
バンドが演奏していた。歌謡曲のようなものが牧歌的に公園に響いていた。
写真を撮ったり、ビールを飲んだり、ぼーっと音に耳を傾けたりしていると、おっちゃんは、じゃ、俺は帰るからみたいなことを言って去って行ってしまった。僕は、困ったな、ここから駅まで帰るのかとちょっと悲しくなって「おっちゃん帰っちゃったけど、どうやって駅まで戻る?」と加藤に聞いた。
「そうですね、駅までめちゃくちゃ遠いというわけではないですけどね。地味に距離はありますね」
「うーん、おっちゃんが帰りも乗せてくれたら完璧だったのだけどな……」
「ま、歩いて帰りますか」
とかなんとか言っていると、空が陰り、にわか雨が降り始めた。僕たちは、あ〜これは困ったなあといった感じで、大きなパラソルの下で酒を飲んでいる人たちの輪にすこし雨宿りをさせてもらおうと接近していった。
宴会をしていた人たちは、なんとなく日本人がきているらしいことを察知していいたらしく、お、なんだなんだ、日本人なのか?といった感じで迎えてくれた。
幸福という文字が刻まれた帽子をかぶったおっちゃんが「ビール?ビール?」といってプシュッと栓を抜いてくれた。
僕はこれは雨にかまけて、ただ酒が飲めてしまうのではないか、ふふふふと内心ウキウキで言われるがまま丸椅子に座った。幸福帽のおっちゃんは日本語がわりと喋れるようだった。
「日本のどこからきた?」
「東京です」と加藤は答えた。
「おお、東京。わたしの娘は大阪で働いてるよ」
幸福帽のおっちゃんは少し誇らしげであった。
「そうなんですか!日本語お上手ですね!」
「はっはっ、そんなことないよ。日本には何回か行ったことあるよ」
「東澳いいところ!トビヨおいしい!」
「はっはっ」
机を囲んでいたタイヤルの男たちは、加藤に対してこいつはいいやつだな的な感情を持ったようだった。加藤は広告代理店で働くほどのコミュニケーション強者であった。場を的確に温めていった。加藤というやつは、ツンドラだろうがアマゾンだろうが、どこでも楽しく生きていくのだろうな…と思った。
若いタイヤルの兄さんが、ライターの底を使っててこの原理でビール瓶の栓がばこばこ開けていく。
「あんたぁ、年収はいくらね」
幸福帽のおっちゃんは藪から棒に訪ねてきた。台湾の人というのは初対面でも年収を聞いてくるという噂は本当だったのだなと思った。
「日本人の若者は月だいたい20万から30万円くらいです」
加藤は、自らの所得ではなく日本人一般の所得に話をそらして答えていた。そつないやつである。広告マンの給料はそんなもんじゃないだろ!と僕は心の中で厳かにつっこんだ。
「大学はどこをでた?」
幸福帽のおっちゃんはたずねてきた。
加藤が「早稲田という大学です」と答えた。
幸福帽のおっちゃんは周りのタイヤルの人たちに、彼らは日本の東大以外の大学を出ているらしいと説明していた。周りの人はふーん東大以外の大学ねと言った反応だった。台湾の人たちからしたら、日本の大学は東大かそれ以外かなのである。
会話は途中から中国語に切り替わった。加藤は4歳児程度の簡単な中国語を駆使し、的確に、タイヤルの男たちを笑わせていた。僕がしゃべれる中国語といえば、你好、好吃、我想喝啤酒!くらいのものだったので、卓の端でとりあえず笑みを浮かべビールを飲んでおく役に徹することにした。
しばらくすると、雨はや止んで、涼しい風が吹きはじめた。雨上がりの土の匂いがした。軽めのすっきりした台湾ビールがおいしかった。
なんか、話にまじれずこいつ暇そうにしているなと思ったのか、タイヤルのおばちゃんたちが、わたしたちを写真に撮ってくれとアピールしてくるので、パシャパシャと撮影した。
タイヤルのおばちゃんたちからも、やはり、宜蘭クレオールと思われる言葉が聞こえてきた。あんたぁ!あんたぁ!と二人称があんたぁ!なのが、ちょっと面白い。昔の台湾にいた日本人は、二人称があんたぁ!だったのだろうか。
他にも、時折、だいじょうぶとか、誰とかいった単語が混じっているのが聞こえてくる。しかし、会話の内容は全然つかめないので、宜蘭クレオールは本当に独立した言語なのだなと思った。
ビールの大瓶を加藤と二人で3本半ほど空けた。その前にも二人でビールを飲んでいたので、お腹はまさに炭酸を含みのたぽたぽ腹になっていた。
「今日どこ泊まる?」
幸福帽のおっちゃんがニカっと笑いながら尋ねてきた。
「宜蘭の街中にホテルをとってます!」
加藤が答えると「車で連れていくよ」とおっちゃんは言った。
僕たちは好意に甘えて宜蘭まで車に乗せてもらうことにした。ビールに浸った体で、歩いて駅まで向かって、電車に乗り込み宜蘭までいくのは、途方も無いことのように思われたのだ。
ここで重要なことは、幸福帽のおっちゃんは酒を飲んでおらず、くれぐれも飲酒運転ではないということである。そう、彼によっては酒は飲まれなかったのである。
僕たちは、ビールを恵んでくれた寛大なタイヤルの人々に別れを告げて、車に乗り込んだ。
「なんだかよくわからないけど、これはラッキーなのでは」
「いやほんとに、いいおじさんですね」
「もう村はいいか……」
僕たちは、本当は、宜蘭クレオールが話されている村に2箇所行こうという話をしていたのだ。
「十分じゃないですかね……超交流しましたし」
そんなことを話していると、幸福帽のおっちゃんはちょっと友達のところに寄るわと言って、車を山奥へ走らせていった。
まず、そもそも、外国にきて、しらないおっちゃんの車に乗り込み、友人のところに連れて行かれている。これはともすると大変危ない状況かもしれないのである。しかし、ビールで弛緩した脳はやくにたたず、車はぐんぐんと進んでいった。
「めっちゃ山だな……」
「そうですね…これはめっちゃ山ですね……」
電線はあるので一応電気はとおっているらしい。
7〜8分ほど走り、車は古屋の前で止まった。幸福帽のおっちゃんは、俺についてこいと背中で語りながら、威勢よく小屋の中へ入っていった。僕たちは、いったいここはなんなのだ……入っていったら、やばいタイプの人たちがいて身ぐるみ剥がされたりしないだろうかという恐怖にかられた。しかし、もうここまで来て戻り方もわからないので、とりあえず幸福帽のおっちゃんの後をついていくことにした。
古屋の中は外から見ているよりは広い空間が広がっていた。中華料理の匂いがした。奥には、男性三人と、女性二人が座っており、どうやら飲み会をしているようだった。
幸福帽のおっちゃんは、どうやら日本人が我らの街、東澳に遊びに来てたから連れてきたぜ!的なことを伝えているようだった。奥に座るよく日焼けした男性は、握手を求めてきて、ビールをあけてくれた。さあ飲んで飲んでというので、ではお言葉に甘えてと僕たちは、再びビールを飲み始めた。
「この人はこの村の村長ね」
幸福帽のおっちゃんはこともなげに驚くべきことを言った。
村長と名指された人は僕たちに握手を求めてきた。
僕たちは何かが回り回って東澳の村長らしき人物に謁見することになったのだった。
つづくかもしれない
続:台湾の原住民タイヤル族の村で村長に会い、なぜか面前でカラオケを歌わされる。 - 今夜はいやほい
きくち (@zebra_stripe_) | Twitter