今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何かについて考察するブログ

シドニーのシェアハウスでリトアニア人、メキシコ人、インド人、韓国人と暮らした編

内見に付き合ってくれたのは、30歳くらいのリトアニア人であった。彼は出稼ぎでオーストラリアに来ている様子で、日々、道路工事の仕事をしていた。オーストラリアの給与は高く、時給3000円もらえるんだ、だからはるばるここまで働きに来ているんだと言いう話を聞かせてくれた。彼は、身長185センチのイケメンでブロンドヘアーを前方へたなびかせていた。それはさながら花輪君のようだった。

 

花輪君に似たリトアニア人はさわやかでモデル然とした外見であったが、その甘いマスクからは想像できないほど神経質な男であった。ある夜、僕が夜中に爪を切っていたら、鬼の形相で近寄ってきた。

 

「おい、きくち、爪が散らばったらどうするんだ。」

 

僕としてはまあ落ちたら拾えばいい的な適当さだったのだが、彼にはそれが耐えられなかったらしく、ベランダに出て切れと言われた。他の同居人たちも彼がいないところで爪を切っているようだった。みんな彼の神経質さの網目を潜り抜けるようにして怠惰な自分を表出させていた。


シェアハウス近くのこじゃれた港
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しかし、彼がいたおかげでシェアハウスはホコリひとつ落ちていない清潔さが保たれていた。それはさながら病院のようであった。シェアハウスなどというのはだいたい、抜け落ちた髪の毛が集積したり、使用済み食器が山積したり簡単に退廃するものである。しかし、超神経質な風紀委員花輪さんのおかげでシェアハウスの住環境は極めてよい状態に保たれていたのである。

 

花輪さんには敵がいた。インド人のスラジさんである。彼も同じく30歳そこそこで、ネスレで働いている大変なエリートであった。半年後に美人さんと結婚する予定であるらしかった。スラジさんはインド人であった。僕はそれまでインド人の人とは深くかかわることがなかったので、知らなかったのだが、インド人は本当にカレーを毎日食べるのである。

 

日本式のカレーであれば、まあ許容範囲内だったのかもしれない。しかし、スラジさんのつくるカレーは超本格的で、広々としたオープンキッチンからは毎日深甚なスパイスのにおいが漏れ出てきた。僕は何やら異国情緒を感じられて、それを毎日のルーティーンとして楽しめたのだけれど、神経質な花輪さんはそうではなかった。

 

「オーシット、その臭いものは何なんだ、人間の食べるものじゃない。一刻も早く料理をやめろ」

 

エリートスラジさんは毅然とした態度で「カレーを作って何が悪い。インド人の伝統料理を馬鹿にするな」とけんもほろろにカレーを混ぜ続けた。その高学歴的鷹揚さがまた気に障ったのか、花輪さんは「シーット」とか「ファーック」とかそんなスラングをとめどなくくちから流しだしていた。インド・リトアニア戦争は毎日のように続いたが、基本的には花輪さんが苛立ちをこらえきれずバタンと音を立ててドアを閉め家を出ていくのが常であった。

 

エリートスラジさんにも敵がいた。メキシコ人のジェイさんであった。彼は小人病を患っていたようで子供のような背丈であった。「病気のせいでメキシコにいたときはよくいじめられたけど、オーストラリアに来てからは本当に何も悪いことを言われないんだ。だから僕はオーストラリアが好きなんだ」という話を酔っている時に何回か聞いた。メキシカンらしく酒好きで陽気でよく笑う付き合いやすい人だだったのだが、ジェイさんには大きな問題があった。彼は風呂に全然入らないのである。

 

不幸にもエリートスラジさんは部屋割り的にノーバス・ジェイさんの近くのベッドで寝なくてはならなかった。悪臭にたえられず、頻繁にインド・メキシコ戦争は勃発した。

 

「オーシット、臭い臭すぎる。一体何回シャワーを浴びろといえばわかるんだ。今すぐにバスルームへいけ」

 

「入る、入る、入るっていってんだろ」

 

こんなやり取りを何回見ただろう。3回に1回はジェイさんが折れ、シャワーを浴びた。バスルームまででっかいスピーカーを持っていき、テクノを大音量でかけ、「え~~~~~~~~~~~~~~~~い」と奇声を上げながらシャワーを浴びていた。そんなに楽しげなのだから毎日シャワーを浴びてくれればいいのにとおもった。そして、テクノの大音量を聞きつけては神経質な花輪さんは静かには入れないのかと激怒していた。

 

リトアニア・メキシコ・インド戦争。これはもはや世界大戦である。においというのはかくも人を分断するものなのである。日本人の僕は永世中立国として3か月を過ごすこととなった。あまりにもうるさい時はベランダに出て中華街を眺めた。近くに小さな教会があり、時々カーンカーンとかわいい音を響かせるのが楽しかった。

 

永世中立国の僕には同盟関係の国があった。シェアハウスには女性の入居者もいたのである。韓国人が2名、インド人が1名であった。彼女たちは世界大戦を冷ややかな目で眺めており、喧噪に巻き込まれたり巻き込まれなかったりしていた僕のことをいろいろと気にかけてよく話しかけてくれた。

 

一人目の韓国人のお姉さんはソウルでイラストレーターをしていたところストレスでやっていけなくなり、休暇がてらシドニーに脱出してきたと言っていた。31歳で太った友近さんのような容姿をしていた。食べるのが大好きで、バイト先のレストランで余ったご飯を持って帰ってきてむしゃむしゃと豪快な食事をしていた。明るく、愉快ないいお姉さんだった。

 

もう一人のお姉さんは、29歳で清水富美加風の美人さんでシドニーの語学学校に通っていた。名はクララさんと言った。クリスチャンらしくイングリッシュネームを持っていた。クララさんという名前に負けず劣らずとても愛らしい人となりをしていた。いつもニコニコしていて、僕にも大そうやさしくしてくれた。

 

「きくちさん、お寿司つくったから、一緒に食べましょ」などと言ってきたりして、よく一緒に夕飯を食べた。韓国風の手巻き寿司は本当においしかった。こんな美人さんにご飯を作ってもらえたことは、世界戦争の中の一抹の輝かしい僥倖であった。ダイエットをしているのか少し食べたら箸をおいて、頬杖をついてニコニコとテレビを見るのが常だった。なんと神々しい光景か。つかのまの新婚生活を疑似体験することができた。クララさんの作った餃子の味を終生忘れることはないだろう。単純な人間なので、シドニーで会った何人かの韓国人の影響で、僕は韓国を生涯嫌いになることはないような気がした。

 

 インド人の女性はアーシャといった。大学でMBAを取得するコースに通っている学生だった。確か同い年くらいだったように思う。勉強に熱心なのかと思いきや、恋煩いをしているらしく、スマホをつけては消しつけては消しを繰り返し「ホウ……」と外国風のため息を雪崩のようにこぼしていた。MBAをとらなくてはならないのにまったく勉強に手が付かなくなっているようだった。彼女は花輪さんに敵対しており、エリートスラジさんとインド共同戦線を張っていた。部屋の隅でときどき集まっては何事かを話しているようだった。

 

恋煩いのせいなのか何なのかは不明なのだが、アーシャは僕がそのシェアハウスに住み始めて2か月くらいで忽然と家に帰ってこなくなってしまった。少し心配だったのだが、そのあとすぐ日本に帰ってしまったのでどうなったのかは分からない。彼女の恋が幸せな結末を迎えたことを祈るばかりである。

 

 シェアハウスでの生活は波乱万丈だった。友近さんはよくバイト先のレストランからあまったワインを持って帰ってきてくれた。僕と、友近さんと天使・クララさん、恋煩いのラヴァニャはよくワインを飲んで、トランプなんかをしたり映画を見たりした。男子校に育った僕からすると突如女子高に放り込まれたようで、とても不思議な気分であった。真横ではいつでもやむことのない世界戦争がつづいていた。いやあ、楽しいな、文化の違いなど関係ないのだといったコスモポリズムと、分かり合えやしないことを分かり合うのだといった諦念が同時に醸成されていった3か月であった。

 

バックグラウンドも何も共有しないものたちが集まって、様々な軋轢を生みながらも、なんとなくみんな寂しくて、お互い身を寄せ合って生活をしていた。オーストラリアではみんなマイノリティなのだ。大陸が違うレベルで離れた場所で生まれ、何の因果かある時期一瞬だけシドニーの一室を共有することになった同世代の7人。誰がそのあとどうなったのかも全くわからないけれど、それぞれがどこかで気の合う人たちに囲まれながら、それぞれの文化を慈しみ、愉快に暮らしていたらいいなと思う。

 

シドニーでメールをばらまきシェアハウスを探す編

大きな街路樹が風にふかれ葉を揺らし、シドニーの街はさっぱりとしたいい匂いがした。

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スーツケースを弾きながら広々とした大通りを歩いて宿泊予定だったユースホステルへ向かった。道端にあったサンドイッチやでいかにも外国の食べ物といったようすの巨大サンドイッチを買った。行儀悪くも食べながら歩いていると、突如天候が崩れ始め大雨が降り出した。

 

ついてないなと思いながらコンビニで傘を買った。びしょぬれになりながらユースホテルまでたどり着くことができた。買ったサンドイッチは食べ終えることなくぐしょぐしょになってしまっていた。仕方がないのでごみ箱へ捨てた。

 

受付を済ませた。知らない人4人と相部屋だった。ごろりとベッドに横になった。なんだかひどく疲れていた。パタッと寝て数時間後ハタと起き上がった。雨は降り続いているようだった。外は暗くなり始めていた。宿は3日分とってった。そのあとはどこかへ移り住まなくてはいけなかった。

 

家族もいない、友人もいない、それどころか知っている人もおらず、言葉もうまくは通じず、住む場所も補償されていない、それはいままで味わったことのない感覚であった。ああ、これはいわゆる孤独というやつなのだなと、一人ベッドの上で寝返りを打った。日本に住んでいるということはそれだけで、どれだけ多くのクッションの中で生きているのだろうと思ったのだった。

 

一方で、自分のことを誰も知らない土地にいるというのはカラっとした自由があった。それはそれで、どこかで生きやすいことのような気もした。腹が減ったし、何か買いに行くかとベッドから起き上がると、相部屋の使用者がドアを開けて入ってきた。

 

「お、君は日本人?」

 

「そうだよ、きみは?」

 

彼は優男スマイルを浮かべた。

 

「韓国人だよ。シドニーにはいつきたの?」

 

「今日来たばっかりなんだよね。だから何もわからなくて」

 

日本人特有のあいまいスマイルをおかえしした。

 

「そうなんだ。ぼくも3日前に来たばっかりなんだ。よかったら仲良くしてよ」

 

この気さくな韓国人はボンといった。おそらくあだ名がボンなだけで本名は別にあるのだろう。韓国語は読めないので本当はどんな名前なのかはわからない。ボンは気さくで優しく歳も近かったので、シドニーで何回も遊んだ。日本に帰ってからも、釜山まで彼に会いにいったりする仲となった。釜山のボンの家に泊めてもらったときに判明したのだが、彼の父親は大学教授で母親は化学系の企業の役員、彼自身も起業している大変なエリートだったのだ。

 

買ってきた冷凍食品んのピラフをほうばった。イヤホンを差し込んでAKBの引っ越しましたを聞いた。俗っぽい日本語が心地よかった。

 

 結局3日では住処は見つからなかった。仕方なく、2日宿泊を延長することになった。このままでは見る見るうちに金がなくなっていく、まずいと思い立ち、相部屋のベッドでごろごろしながら、ネット掲示板でシェアアハウスの同居人募集中という記事をさがしてはメールを投げてみた。やっとシェアハウスの話である。

 

シドニーは地価が高くなりすぎて、家族住まいと一部の金持ち以外の人々はほとんどシェアハウスをしているという驚くべき住環境になっているようだった。移民国家に最適化された結果の出来事であるようだった。細かい手続きなどしなくても、シェアハウスの主が住んでいいよといえば、外国人であろうなんであろうと次の日から入居することができるのである。書類も証明書も手続きもいらない、きわめてざっくりとした運用なのである。

 

家なき子となり、ほとんど移民状態の僕もこれにあやかっていこう作戦をとることにした。乱れ飛ばされたメールにすぐ返信が来た。僕は、正直住めればどこでもいいか状態になっていたので、ちょっとだけ内見をさせてもらい、とんとん拍子にシドニーの中華街の近くにある3LDKのマンションに入居することになった。なかなかきれいな白塗りのマンションだった。

 
つづく

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大学4年生なのに突如シドニーに留学することにした編

ぼんやりツイッターを眺めていたらこの記事が流れてきた。

 

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全般的に哀しさが漂っているお話なのだけれど、どこか人を感傷的にさせる若者の愚かしさがなんとなくよくて、3回も読んでしまった。あ~ルームシェアしてみたいななどと思っていたら、そういえば、自分もシェアハウスに入居していたことがあることを思いだした。

 

大学3年生の夏も終わりの頃、僕は就職活動がどうやら迫ってきているらしいことにはたと気が付いた。え?もう就活しなきゃいけないじゃん…… 聞いてないんだけど……?だらだらと本を読み、音楽を聞き、ツイッターを見ながら朝6時に眠るというような生活をおくる怠惰な大学生だった僕は突如現実に引き戻されていくような感じがして、困惑していた。夜更かしがない世界に生きる喜びはあるのか、と。

 

秋口に差し掛かったころ、喫茶店で、ハワイ留学から帰ってきた友人に久しぶりに会った。

 

「ひさしぶり、やけてるね~」

 

「きくち、ハワイはまじで最高だぞ。絶対に行ったほうがいい。毎日酒を飲んですべてがバカンスだ」

 

「すべてがバカンス……」

 

「ドイツ人の女の子を誘ってな、浜に行くんだよ、真っ赤に落ちていく太陽を眺めて、酒を飲む、わかるか?」

 

「わかる」

 

「すべてがバカンスなんだ」

 

ハワイ帰りの友人は彼の地を第二の故郷と呼ばんとする勢いで郷愁に耽った顔をしていた。

 

「お前も行って来たら」

 

「留学か……たしかによい気がする。南の国で何も考えず、酒を飲みながら夕焼けを見たいぞ!」ほんとうにそんな気分だったのだが、今考えればよこしまであったなあと思う。

 

果実の浮かんでないトーキョーアイスティーをすすって彼はいった。

 

「じゃあ、行くしないな」

 

「行くしかないか」

 

彼の断定的な口調はよく僕をよからぬ方向へ誘導していった。

 

「ハワイから帰ってくる前に、語学学校でできたメキシコ人の友達に会いにメキシコシティ行ってきたんだよ。そしたら、そいつマフィアの息子でさ、親父マフィアだったの」

 

ほら、といい、友人はiPhoneの画面を見せてきた。友人は、メキシコシティの路上に止めてあるトラックの上でコロナを飲んでいた。天高く輝く灼熱のメキシコ太陽は後光のように彼を照らしていた。マフィアの親父に乗せてもらったんだと彼はケラケラ笑っていた。

 

僕は、友人のコミュ力に震えていた。彼のコミュ力は人知を超えたものがあった。大学2年生の頃、おいきくち、あのサークルが気になるから遊びに行こうぜと誘われ、とあるサークルにお邪魔したことがあった。僕はあまり乗り気じゃなかったので深くかかわらなかったのだが、彼は巧みな話術と破天荒なキャラ、周りを顧みない半暴力的行動力によって、ものの2か月で20人ほどのサークルの主催者にとって代わってしまったのだった。

 

「留学行くと友達がたくさんできるぞ。そういえば、ドイツ人の友達は、普通のやつなのかと思ってたら、実はネオナチで、FBのメッセンジャーで中古の日本車を破壊する映像送ってきてさ、いや日本人のおれにおくるもんじゃないだろって思ったんだけどさ」などと、さらに恐ろしいことをさもこともなげに言った。

 

彼が嵐を呼び寄せるのか、嵐が彼を呼ぶのか、はたまた彼自身が嵐なのか、とにかく悪魔的なコミュ力を持つ男だった。

 

そんなこんなで僕は悪魔のささやきに耳をかたむけ、みるみるうちに、現実の逃避をかね、何やら楽し気?な留学をしてみたい気分になっていったのである。

 

 しかし、現実的にもう三年生も後半にさしかかり、大学を経由して留学をするには期限がとっくに過ぎていた。かつまったくお金もなかった。とりあえずバイトをしてためていた30万円ほどを元手に、そのころ留学先として急速に流行っていた、フィリピンにいき、そのあと、オーストラリアに行くことにした。オーストラリアはスチューデントビザでもワーホリビザでもバイトができるので、まあ向こうに行ってバイトすればいいかと極めて安直かつ無思慮に決意を固め、大学にほいっと休学届を出したのだった。

 

そんなこんなで、僕は、通常であれば日本ですごすはずだった大学4年生の夏、フィリピンを経由しオーストラリアはシドニーに上陸したのだった。

 

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夏といっても、オーストラリアは南半球なので、季節は冬であった。空っ風が吹いていたが、そこまで寒くいわけでもなく、大変過ごしやすかった。日本でいえば11月くらいの気温だった。

 

つづく

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赤羽界隈彷徨 プチモンド・フルーツサンドの憂鬱、

固定幅に植えられた街路樹が路面に影を落としている赤羽の午後、フルーツパーラープチモンドへ向かった。赤羽は雑多な街である。巨大な商店街、白煙が立ちのぼる飲み屋街シルクロード、群居する公団、高低差強めの街並み、歩いているととても楽しい空間だ。

プチモンドは駅から徒歩5分ほどのところにあった。大きな金木犀が店を覆うように生えていて店から漏れ出るフルーツの香りとあいまってとても甘やかであった。


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プチモンドには14時についた。しかし、店は真っ暗だった。あれ、なんでだ9時開店じゃなかったっけと友人と話していると、窓ガラスに14時30分より営業と手書き文字の張り紙がへばりついているのが目に入った。食べログ情報に惑わされたのか、店主が気まぐれなのかは知る由もないので、隣の文房具屋で30分便箋コーナーの前で沈思黙考し、ふたたびプチモンドへと戻った。

すると、店の前には、開店待ちの赤羽マダムが10人ほど列をなしていた。わずか30分の間に、赤羽マダムによって席は埋め尽くされようとしていたのだ。仕方なく列の最後尾に並び、開店を待った。僕たちは、ぎりぎり残っていたカウンターの空席に座ることができた。古い回転椅子は腰を掛けるとグググとくぐもった音を立てた。


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赤羽マダムたちは、高らかによもやま話に花を咲かせ始めた。カウンターでなんとなく肩身が狭い思いがした。店員のお姉さんに、フルーツサンドをくださいと告げた。この店は、フルーツサンドが名物なのである。


しばらくボーっとしていると、目の前でフルーツのカットが始まった。シュパシュパっとフルーツが切り分けられていく。このカウンターは特等席だったのである。調理をするおじいちゃんマスターの腰は長年の調理によりグイっと曲がっていた。腰のゆがみは店の歴史を感じさせた。


華麗な手さばきをじーっと眺めていると、マスターは、ふいに、かっと目を開き、飾り包丁のような要領で四方に皮をむいたぶどうの粒をこちらに向けた。見よ、これが、おれのテクニックだ、と言わんとする、ぎょっとした目つきであった。僕は、あまりにもいきなりの出来事だったので、息を飲むばかりで、何も反応することができなかったけれど、交し合った目線で、すごいぞマスターという意思をつたえたのである。


しばらく待っていると、フルーツサンドがやってきた。


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クリームの柔らかさ、果物の甘酸っぱさ、際立つパンの香り。なんて素敵な、フルーツサンド、特等のおいしさ!!あっという間に6切れを食べおえ、ゆっくりコーヒーをすする。


隣にも、マダムに囲まれて、肩身の狭そうな小太りな男性が座っていた。彼もフルーツサンドを無心の表情でむさぼっていた。僕は、テレパシーを飛ばした。ああ、無類の甘党のわれわれに幸あれ、と。彼はフルーツサンドを早々に食べ終えるとカウンターに肘をつき、アイマスをひとプレイし、そうそうに立ち去って行ったのであった。


我々もプチモンドと腰まがりのマスターに別れを告げた。JR沿線沿いを歩く、高台にある赤羽八幡神社で行きかう電車をながめる。学生時代によく乗っていた京浜東北線が通り過ぎていった。大学時代のことがすこしフラッシュバックした。


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鱗雲が空を覆っていた。


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ちょっとトイレ行きたくなってきたな、と思い、イトーヨーカ堂に寄ることにした。用を済まし、休憩用のソファに座る。しばしの間、無言でスマホをいじっていた。あ、屋上の駐車場言ってみようよと、友人をつれていく。


16時30分だった。新海誠の背景のような景色だった。屋上には、人は一人もおらずとても静かであった。


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もうすぐ日が暮れるね、とかなんとか話していると、一気に太陽は高度を下げてきた。


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気が付くと街は真っ暗になっていた。


友人はちょっとまじめふうの顔つきで、なぜカップルは夜景とか海とか見に行くのだろう、おおきなものを前にして、小さな人間であることを自覚し、隣にいる人の大切さを理解できるからなのだろうかとか、そんなことを独り言ちていた。おおきなものは人から羞恥心を奪うのはきっと間違いないことのようだ。


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ぽつりぽつりと民家の窓に街灯にあかりがともっていくのを眺めた。ひとびとの生活が一面にひろがっている。近くのマンションのベランダには気怠そうにたばこを吸っている男性がいた。同じ景色を共有しているのがなんとなくうれしかった。


いい気分なので、誰もいない屋上で口笛を吹いた。いちょう並木のセレナーデだ。近所に聞こえてたりしてとかそんなことを考えていたら、呼応するように、たばこを吸っていた男性が、はあっくしゅんとくしゃみをした。赤羽ののっぺりした青い夜に破裂音が小さく響いた。友人と顔を見合わせて笑った。秋風が笑いをかき消すように通りすぎていった。

江東区コミュニティサイクルが最高のエンターテイメント 夜景輝く豊洲から築地を抜け、東京タワーへ

ノー残業デーの水曜日に2時間残業して、19時。新豊洲駅に会社の同期を呼び出した。週の半ばの倦怠を打ち消すため、何かしよう、そうだ、シェアサイクルを使ってみようということになったのである。

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最近都内のいたるところでみかけるようになった、真っ赤な電気自転車。ドコモが運営しており、現在、千代田区、中央区、港区、江東区、新宿区、文京区、でサービスが提供されている。
東京・自転車シェアリング広域実験(千代田区・中央区・港区・新宿区・文京区・江東区)


乗り捨てが可能で、最初の30分150円、以降30分ごとに100円づつ課金されていく。サイトで個人情報と、クレジットカード番号を登録しておくと、勝手に引き落とされていく。ちなみに、月額会員だと、月2000円でつかえるらしい。


ということで、新豊洲の夜景をバックに出発。目的地は、とりあえず、東京タワーのあたりということになった。
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電気自転車というものに今まで乗ったことがなかったのだが、これが、驚くほどに快適である。ちょっとペダルを踏むだけで、スイスイと進んでいく。坂道でも、何の苦労もなく、一度これにのったら、もう、普通の自転車には戻れないのではないかという爽快さである。


ちょっと行ったところに、今年最も話題となった、豊洲市場が現れた。こんなところに移転してくるのか…
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とてもモダンでおしゃれな駐車場が付いている。マッドサイエンティストが何か邪悪な研究をしていそう。かっこいい。

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秋はなんて最高な季節なのだろう。仕事のわずらわしさなど、風に吹かれて消えてしまうのだ。

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西の方向へ自転車をこいでいくこと10分、豊洲ちかくの広々とした空地の広がる埋め立て地帯に、光る謎のドームが現れた。

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なんだこれは、入ってみるしかないだろうと同期をそそのかし、ドアを押して中に入ってみることにした。受付には、さわやかなお兄さんが、ニコニコと立っていた。パンフレットに大きくランニングスタジアムと書いてあった。この夜闇にポツンと光り輝く、不思議な建物は、短距離走専用のトラックだったのである。


新豊洲 Brillia ランニングスタジアム | SPORT×ART SHINTOYOSU


為末大氏が館長をしているらしい。入ってみると、客は一人もいなかった。経営状態は大丈夫なのだろうか。受付のお兄さんの前で、ああ、残念だなあ、靴がないから走れないなあ、などと白々しくアピールをし、中を見学してもよいですか、と聞いてみた。受付のお兄さんは、光り輝く真っ白な歯をちらりと見せ、晴れやかな笑顔で、どうぞどうぞと言った。


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ずうずうしくも金を払わずに潜入することができた。機能的な、美しいドームである。真ん中にすっと100メートルトラックが伸びており、とても健やかな気分になる。誰もいないから、とても静かで、秘密基地感のようだった。そのうち、一回くらい走ってみたい。きっと気持ちいいに違いない。


さわやかすぎるお兄さんに、威勢よく、次は走りに来ますと告げ、ドームを後にした。


東京タワーへ向かうには、複数回橋を渡る必要があった。緩やかな傾斜が長く続いているが、電気自転車をこげば、平地どころか下り坂なのではないかという快適さなのである。


遠く輝くレインボーブリッジ、お台場の夜

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資本主義を味方に光り輝くタワーマンションたち。江東区の進化はすごい。

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西へどんどん進んでいく、埠頭に東京海洋大学の舟が浮かんでいた。
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男がふたり夜風を浴びていた。
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埠頭を抜け、勝どきについた。何かの巣のようなマンションがあった。なんて画一的なんだろう。
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勝どきを抜けると、築地についた。普段の喧噪が信じられないくらい、夜の築地はとても静かであった、街がねむっているというのはこういうことを言うんだろうなと思った。
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「金、ないじゃん」いったん自転車をとめて、同期に話しかけた。


「何食べようね。安いし海鮮丼とかにしよっか」


「そうだねえ。でも店、全然開いてないね。とりあえず市場場内のほうに向かっていってみよっか」


街灯が途切れ途切れにひかっている築地の路地を赤い自転車が走り抜けた。秋のカラッとした空気に魚たちのにおいが漂っていた。ゆらゆら走っていると、静かな街に、声が漏れ出てくる店があるのを見つけた。


築地青空三代目 本店
東京都中央区築地4-13-8 トラスト築地KNビル 1F
https://tabelog.com/tokyo/A1313/A131301/13007615/


「セットで4500円か」看板を見て、同期にご意向を聞くべく話しかけた。


「どう考えてもおいしそうだね」


「今日残業してるし、3000円は稼いでると思うんだよね、ということを考えると、4500円の寿司というのは、ほとんど実質タダということなのではないだろうか」


「きくち君は天才だね」


うまく自分たちを納得させる言い訳を作ることに成功した。喜び勇んで、店をくぐるとこじゃれた女将が対応してくれた。早速、セットを頼み、じっとテーブルで寿司を待った。

でん
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でんでん
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でんでんでん
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でんでんでんでん
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でーん
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とにかく、最高においしかった。新鮮なネタ、遠くに柚の香り、旨味のあるシャリ、おいしい!!


おなかも満たされ、ラストスパートをかける。涼しい風がここちよい。シェアサイクリング最高に楽しいじゃないか!


真っ赤な自転車は港区に突入する。


夜中名物の道路工事
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そして公園をぬけようとすると、ゴールが見えてきた。
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公園にうかぶぷかぷかうかぶ街灯がうつくしい。カップルがいちゃいちゃしていた。ふむふむ、などと思いながら、ペダルをこぐ。











到着




















輝かしい東京の夜だ!
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ながい、ながい、水曜日の夜だった。