今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何か考察するブログ

青森の霊場恐山へ。イタコに口寄せられし祖父と、全裸自撮り男性の背中に。

霊場恐山。誰もが一度は耳にしたことがある名前なのではないだろうか。あの世に最も近いところとなどと呼ばれ、死者の弔いに多くの人が訪れる場所である。ごつごつした岩と透き通った泉の現実離れしたイメージに惹かれて一度行ってみたいなと思っていた。

 

 

八戸駅から青い森鉄道なる電車に乗り込み、野辺地駅へ向かった。野辺地というのは青森のクワガタの角のようになっている部分の窪んでいる所である。そこから、大湊線に乗り換えて、右側のツノ内側を登っていき、恐山のある下北駅へと向かうのだ。

 

恐山か、そういえば昔シャーマンキングって流行ったよなとか思い、amazonを見たら、なんと一部無料になっていたので、スマホでぱらぱらと読んでいた。今読んでも普通に面白いな、ふむふむ、まさに友情、努力、勝利であるなあとのめり込んでいると、はっと顔をあげたら、乗り換え地点を通り過ぎてしまっていた。残念なこと周辺にはトイレすらもなく、無人駅の中でもとりわけ無人性の高い駅で、30分ほど高純度の無にさらされた。人もおらず車も通らない、足元の虫と、雲だけがゆっくりと動いていた。

 

高純度の無の後、反対側からやってきた電車に乗り込んだ。そのまま、西陽かたむく陸奥湾をぼんやり眺めながら下北駅へと向かった。駅と駅の間は多くが無整備で、荒々しい光景の中を進んでいく電車はたのもしいものであった。車内には「介護しかか勝たん❤️じいちゃんすこ ばあちゃんにきゅん」というどこから突っ込めば良いのかよくわからない先端的なアニメ絵つり広告が揺らめいていた。われわれ現生人類はどこへ向かっているのだろうか。

 

 

恐山への詳しい行き方を調べるかと、無人駅で予想外に電池がすり減ったスマホでググっていたら、恐山に行く日は、偶然にもイタコがいる日であるらしいことが分かった。恐山というとイタコという感じがするが、実はイタコは一年のうち数日しか恐山にいないらしいのだ。日本のシャーマニズムの代表的存在に会うことが出来るのであれば、会ってみたい。ここ最近、祖父が亡くなったこともあった。まさにイタコに会うべきタイミングなのではないかと思った。

 

 

とはいえ、時間が遅いので、今日恐山にいくことはできない。電車の中で予約したホテルに向かった。むつ市内、恐山のふもとである。そろそろ祭りでもあるのか提灯が揺れていた。人気は少なく閑散としていた。

 

 

ホテルで荷物をおろし、夕飯を食べに外に出た。

 

 

ホテルのすぐ裏がスナック街になっているようだった。まだこういう店に一人で入る勇気はない……二人組のいかつい金髪のギャルがしゃがんでタバコをふかしながらスマホをいじっていた。ガラス張りのダイニングバーでは、気怠げな男女がなんとも眠たげにグラスワインをすすっていた。夜風はわりとここちよい。どこからか祭り囃子が聞こえてくる。練習をしているらしい。

 

めぐり逢いの怪しげな看板。

 

スナック街を少し外れたところにあるラーメン屋に入ることにした。閉店に近い時間帯だからか人気もまばらだった。

 

らーめん大将

 

名物!的なことが書いてある大将ラーメンを注文した。見るからに海鮮の出汁が効いていそうではないかと喜び勇んで食べるも、出汁は期待していたようなものではなかった。ただ、新鮮な海藻はおいしかった。北国のラーメンはやはり寒い時に食べるべきであるなと思った。今、本州の北の果てのようなところにいるのだなあと思うと、遠いところへ来たのだなと、なんだか少し寂しさを感じた。酒を買ってホテルに帰った。

 

 

翌朝、恐山へ向かった。イタコがいる特別な日ということだっので、バスは混んでいるのかもしれないと思ったけれど普通に座れるレベルの乗車率であった。

 

 

恐山に向うバスでは、かすかすな音声で恐山にまつわる話が流れていた。山の中に入ると、電波が喪失した。電波がビンビンな霊場というのも興醒めなような気もするのでこれでよいのだと思った。途中、飲むと寿命が伸びる水なるものがあったので、とりあえずがぶがぶと飲んでおく。

 

 

推定40年ほど寿命が伸びたところで、バスは山を駆け上がり、三途の川(恐山には本当に三途の川があるのだ)を超えると、視界が開けた。青い泉が広がっていた。ついに人々が想像するいわゆる恐山地帯に到着したのだ。

 

 

思ったより広く、開放感があった。山に囲まれるようにして寺があって、群生する立葵の似姿のように、風車が石の隙間に無造作に差し込まれていた。それはもうあちこちに差し込まれているのだ。くるくるからからとかすれた音を立てていた。

 

 

予期せぬ所得を祈る。

 

 

欲にまみれた祈りを終えると、わきの木製の小屋にイタコの口寄せの看板が出ているのを見つけた。中に入ると、イタコ待ちの列ができていた。十五人ほどが横一列に並び、ビニールのついたてに囲まれたイタコの口寄せを待っていた。皆、静かに律儀に背筋を伸ばし待っていた。イタコの後ろには小窓があり、薄く光が差し込んでいた。いよいよ、日本のシャーマニズムの代表的存在に謁見するのかと思うとドキドキした。

 

 

最後尾に座る。ほとんどが女性高齢者であるようだった。男性が早く死にがちであることと、占いしかり女性の方がこういうものが好きな人が多いというようなことがあるのだろうなと思った。ジャカジャカジャカジャカとイタコがやたらと長い真っ黒い年季の入った数珠を擦り合わせる音が聞こえる。口寄せを待つ人は静かに正座して、ジャカジャカの音に包まれている。この音が陶酔感をもたらし、トリップをして、口寄せをおこなうということらしい。

 

小屋で待っているので、他の人が依頼している口寄せの内容が丸聞こえだった。いろいろな人たちが、いろいろな苦しみを背負っていた。とりわけコロナ関連の話が多かった。改めてコロナは人々の生活をなぎはらっていったのだと思った。ぼろぼろと泣きながらイタコに話す人もいた。なんというか話すことで自分が整理されたりすることもあるのだろう。キリスト教の告解ではないけれど、身近な人にこそ話せないことというのも色々あるのだ。これ全体が喪の作業のように見えた。

 

 

40分ほど待っていると、順番が回ってきた。いそいそとビニールの中に入り、イタコの前に座った。イタコは思ったより若そうに見え、視力もあるようだった。調べてみると、現代のイタコは盲目ということではないらしい。小柄なイタコはペンを取り、祖父の名前と命日を聞いてきた。それをベースに口寄せをおこなうらしい。

 

じゃかじゃかと黒い数珠が音を立て始めた。近くで見ると数珠はとにかく長く、2メートルくらいあるのではないかと思った。少し俯き、ふらふらと小柄なイタコの体が左右に揺れ始める。僕は、その様をじっと見つめた。ここ数年で最もどのような表情をして待てば良いのかわからない時間だった。徐々にジャカジャカ音が収束し、一呼吸おいて、口寄せが始まった。

 

「おお、元気にしてるか」

 

「元気にしてます。じいちゃんは元気?」僕は一体どんな調子で話しかければ良いのかよくわからなかった。

 

「こうなっちゃったらな、元気かどうかなんていうことはどうでもいいんだよ」

 

僕は謎の問いかけが、瞬時に打ち崩されたので笑いそうになってしまった。確かに死後に元気もくそもないのである。

 

「まあ、こっちのことは気にしなくていいんだよ。こっちはこっちでやってるからな、ばあちゃんのことよろしく頼むな」

 

「会いに行くようにするよ」

 

「だからといってな、一族に縛られて生きていく必要はないんだぞ。自由に生きるのが大事だから、何も気にしないで生きていくんだぞ。自分のやりたいことをやるんだぞ」

 

「はい...」じいちゃんを口寄せしているイタコは体をかすかに揺らしながら、そんなリベラルな感じのことを言った。実際のじいちゃんもそんなことを言いそうな気がした。

 

「ばあちゃんが転けないように気を付けろと言っておいてな」僕は最近ばあちゃんが転けて入院していたので驚いた。まあ高齢者というのは基本的に転けがちではあるのだけれど、それでもやはり驚いてしまった。

 

それから少し会話をして「じゃあな」と言うとまたジャカジャカという数珠の音が鳴り響き口寄せは終了した。僕の口寄せ体験は、他の人とは毛色が違うようであった。他の人は、多くは配偶者か親が亡くなった人だった。寄り添うような言葉が多く投げかけられていた。孫の僕は元気に送り出されたようだった。やたらと、自由に生きていくのだ!とエールをもらったので、そうか、自由に生きていけと言われたのだから、それを目指していくしかないのかもしれない...と思った。小屋を出た。

 

雲は分厚く、しかし比較的明るかった。恐山を歩くことにした。

 


至る所に積み石と風車があった。僕もその辺の小石を集めて一山作った。

 

 

泉の周りは砂に波が打ち寄せて、海辺のようになっていた。近くにある鐘の音が小さく響いていた。

 

 

最後に風呂に入って帰ることにした。近くの温泉小屋に行ったららぎゅうぎゅうに混んでいたので、少し遠いところにある方の小屋に行ってみることにした。

 

 

かなりわかりにくい場所にあった。結論から言うとそちらにも入らなかった。ひょいと覗き込んだら、男性が全裸で浴槽の中で仁王立ちし自撮りをしていたのである。窓はすりガラスで薄く光が差し込み、厳かな雰囲気を醸していた。全くもって見る必要がなく、また見るべきでないものを見てしまったと、そっと踵を返して元の小屋へ向かった。

 

元の小屋は人数が減って数人になり、僕が入る頃には誰もいなくなっていた。温泉につかった。濃い硫黄の匂いがした。酸性が強いらしく、10分以上は危険だから、絶対に入るなということが書いてあった。その説明文句の激しさと対照的に温泉はとても心地よいものだった。

 

自由に生きていけという言葉が反芻した。追うようにして、裸の自撮り男性の背中がフラッシュバックした。社会の教科書で習う、自由における愚行権の話を思い出した。どんなに愚かだと思われようとも人間には自由に行動する権利があるというようなやつである。そんなことを引き合いに出すこともないくらい、自由というのはともすれば危ういものである。人類というのは自由の名の下に、様々な失敗をしてきた奴らである。しかし、自由あるうち自由の中歩め!浴槽のすみで、不必要にぬめっと光っていた自撮り男性の背中と、少し大柄な祖父の、少しかすれた、しかし、穏やかな笑い声のことを思った。