今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何か考察するブログ

雨の盛岡に突撃し、一人焼肉からの冷麺、夏は終了

一人で肉を焼き食べる。これはなんとも独善的で、それが故の幸福をもたらす。なお、しめには冷麺がついていることが好ましい。

 

結婚して知ったいくつかの重要な事柄のひとつに、盛岡冷麺がとてもうまいということがある。僕の中で冷麺と言えば朝鮮系のさっぱりとした細麺だったので、配偶者が、自信ありげに冷麺と言えば盛岡冷麺なのだと、折を見て言うのをやや疑いの目で見ていたのだが、一度盛岡冷麺を食べてみると確かに、それがなんともたまらない格別の美味さであることを知り、蒙をとかれたような気分になったのである。

 

休日出勤を放り込まれ、振替の休日で三連休ができたので盛岡にいくことにした。焼肉を食べて、冷麺を食べる、つまりはこれである!食べ尽くしてやまん!

 

盛岡に行くのは初めてだ。残念なことに雨だったのだけど、それ故に、やたらと人の出が少なく、とても快適だった。駅構内にイーハトーブという文字列がちらほら目に入った。イーハトーブ、何か聞いたことのある響きである。東武系列のスーパーか何かかなのかななどと、ググってみると宮沢賢治の作った言葉で、桃源郷のような意味であると書いてあった。全く東北知識ゼロの蒙昧状態で、真摯に学ばねばならないと思った。

 

 

新幹線でも朝ごはんは食べずにいた。もちろん、焼肉に備えるためである。いい感じに空腹である。歩いていると、雨が降ったりやんだりした。盛岡は、仙台ほどは整然とした感じではなく、雑多な感じの街が広がっている。

 

ということで焼肉屋である。なんにせよまずは起源からたどるのが良いだろうということで、盛岡冷麺発祥の店と呼ばれる食道園に向かった。のれんには、平壌の字が刻まれていた。やはり、もともとは朝鮮の影響下の食べ物であるらしい。

 

 

一人焼肉は孤独をダイレクトに感じるのでつらいという言説がある。たしかに、基本的に、焼肉は複数人向けの食べ物である。一人焼肉というのは、提供される物を食べるのではなく、自らの手で肉を取り、鉄板にのせ、いちいち焼き加減など監視し、そして、噛み締めるものである。ラーメンのようにポンと置かれてシュッとすすり、はい、おしまいとは訳が違う。手間があるが故に、夜中にポットでお湯を沸かして茶を飲んでいるかのような、自らへのケアと呼ぶべき癒しがある。隣のおっちゃんも一人でひっそりと静かに肉を焼いていた。盛岡の焼肉屋は一人客に優しそうである。

 

昼間から、ビールを頼んでしまった。

 

この店は、卵をといて、焼肉と絡ませて食べる、すき焼き的な方式らしい。肉を鉄板にのせる。煙はうまい具合に吸い込まれるようになっていて、そんなに煙い感じはしない。じっと肉を見る。美味そうに色が変わっていく。

 


薄いのですぐ焼けた。ピンセットのようなトングでつまんで、卵液にひたす。肉にはしっかり目に味がついていて、卵の甘さに相まって、当然うまい。これはあまりにも当然である。ビールを飲む、雨が降る気怠い午後になんともドライな飲み口である。

 

 

やや薄めの味付けのカクテキもさっぱりしてよい。隣のおっちゃんは早くも二皿目に突入しているようだった。

 

 

少し遅れて、冷麺がやってきた。これを食べに盛岡にやってきたのだ。冷たいつゆに黄色味がかった透明感のある麺が横たわる。蕎麦などもこれは涼しげな食べ物であるが、冷麺はこのなんとも言えない麺の透明感によって、とりわけ高い涼しげを醸すのである。

 

適温のものは適度な速度で食べるべきであるが、冷たいものと熱いものは一気に食べるとよりうまいという個人的な法則がある。その一般法則にのっとり麺を勢いよくすすり上げると、甘やかな汁が最初に感じられ、麺を噛むと旨味がひろがった。大変うまい。干し肉を少し箸でちぎり、麺に絡めて食べる。全体的に冷麺はみずみずしい印象だが、この干し肉はからっからに味が凝縮されており、冷麺に濃淡をもたらしていた。冷麺にはチャーシューではなく干し肉だったのかと一人うなずいた。

 

 

タンも追加する。

 

 

外をみると、雨脚は強くなっているような気がする。タンはどのタイミングでプレートから引き上げるのかが難しい。きゅうきゅうと収縮してくるタンをトングで押さえ、加減を見る。

 

 

良い感じである。

 

 

レモンを軽く絞って食べると、さっぱりしているけれど、しっかりとうまい。ただし、これはそんなに卵とは合わないようだったので、卵液には付けずに食べる。ご飯に染みている卵くらいで十分である。最後に残っていた盛岡冷麺をすすり上げる。すっと家を出て、ちょっと寝てる間に盛岡につき、独善的焼肉冷麺ができたのだから、海に行かなくても、今年の夏は、これで十分だなと思った。