今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何か考察するブログ

二泊三日、バンコクを食べる。路端の野良ガパオライス。チャオプラヤ川で溺れませんように。

 

バンコクにやってきた。数年前、タイ料理がいたく好きになり、時折、猛烈にタイに行きたい衝動に駆られていたのだけど、コロナのせいで思いは成就することなく月日が過ぎていった。


 

くわえて、足繁く通っていた池袋のメコンというタイ料理屋が閉店したことにより、タイ料理への思いは増し増しとなっており、破裂せんばかりとなっていた。ついに、ようやく、夏休みを使って、バンコクまでやってくることができたのである。ということで、僕は、ふつふつと燃え上がっていた。

 

空港からの移動のバスのなかで探し出した、ホテルの近くのタイ料理屋へと向かった。まずはやはりガパオライスが食べたい。ここで、注釈を入れておかねばならない。ガパオライスというのは、正式名称ではなく、正式には、パット・ガパオ・ムーなどと呼ぶのである。

 

パットは炒め、ムーは豚である。ガパオライスというのは非常に求心力のある食べ物であり、この世界には恐ろしいことに”ガパオ警察”なる人々がいるので、適当にガバオライス好き!などと書こうものなら、こいつは何もわかっていない!というコメントであふれかえる可能性もゼロではないのだ。上記のような注釈を入れ、そして、ここから下では、失礼ながらに簡略化し、当該料理をガパオと呼ばせてもらおうと思う。

 

ガパオの香りが甘やかな、これを求めてタイに来た

 

ポーポーチャヤー

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大変な人気店というレビューのコメントがあったのだけど、平日だったからか、客は自分以外に二人しかいなかった。席につくと、スタッフが、英語のメニューを持って来てくれた。ややくたびれたメニューを開くと、ビーフのガパオがおすすめだぞ!と書かれている。よしよし、わぞわざガバオがお勧めされている、幸先よいスタートだ。もうひとつ、これもええんやでと書かれていた蟹のオムレツも注文してみた。

 

スタッフの人が米もいるんだろ?と言うので、それはもちろんだと答え、暑かったので、ついでにアイスコーヒーも注文した。

 

すぐにガパオはやって来た。すみやかにスプーンを持ち、流れるようにガパオを食べた。さっぱりとした味付けで、ひき肉だけれどパサパサ感はなく、適度にしっとりとしていて、口の中でガパオの葉のよい香りがふわっと膨らんだ。清涼感のあるシュッとした感じに加え、少し甘やかな香りを感じた。

 

 

米に合わせる。やはり美味しい。世界、米と組み合わせて食べると美味いものランキングがあればトップ3は堅いだろう。肉のなかにところどころ小さなニンニクが転がっていて、どうも日本でよくみるニンニクと品種が違うようだ。ほくっとした食感である。ちょい辛いけど大丈夫か?と聞かれたので、タイの辛いはどんなものなのか心配だったのだけど、そんなに心配するほどのものではなく、全然美味しい範囲だった。

 

扇風機が風を送ってくる。アイスコーヒーを飲む。ガパオを食べる。ただこれを数年間求めていたのだ。

 

蟹オムレツもやって来た。こちらはタイ料理!という感じで、油でフチを揚げてあるかりかり食感で、中には、蟹がそれなりにたっぷりと入っていた。スイートチリソースにつけると、酒が飲みたくなる味だ。

 

 

気がつくと周りに誰もいなくなっていた。一人、汗をかきながらガパオをかきこむ。しょっぱなから美味しいものを食べることができた。

 

 

タイ自体は、複数回来ているので、あそこ観光しなくてはという焦りなどがなく、ただもうゆっくり時間を過ごそうという気持ちがわいて来た。コーヒーを飲み、店を出た。

 

 

ホテルはやたらと込み入った路地が密集する地域にあったので、歩くのも楽しかった。

 

 

時々、無常にも、神が打ち捨てられていた。

 

 

タイ・ティーア・ラ・モード

ホテルで少し休憩し、30分ほど歩いたところにあるマーケットまで歩いてみることにした。途中暑さに負けて、ちょっとお洒落な感じのカフェに入った。やたらと元気な松野明美風の店員にThis is a Thai tea!very very goodなどと言われるので、その通りに注文をしてみたら、すごい色をした謎ふわふわが浮かんだ茶がやって来た。飲んだらびっくりするくらい甘かった。より喉が乾きそうなタイプのやつである。要は、めちゃ甘ミルクティーに、それでは飽き足らず綿飴乗っけちゃった的な飲み物だった。タイティーはかなりコンテンポラリーな進化を遂げているようである...

 

 

正直あまり美味しくなく、半分くらいでギブアップした。お勧めされたのに飲めなかったので、松野明美風の店員に見つからないように、存在感を薄めて店をでた。

 

しばらく歩くと、マーケットに着いた。皆気怠そうに仕事をしていた。犬が駆け巡り、バウバウ吠えたらお互いを噛みあい、大変賑やかであった。

 

 

大学時代のタイ人の友人サムからメッセージが飛んできた。これからバンコクに行くから会おうよと連絡をとっていたのだ。友人は「Yap」と送って来たきり、連絡が途絶えていたのだが、やっと返信をしてきた。

 

夜18時に会おうということになった。一度、サムが仕事で東京に来たときにあったので約5年ぶりだ。サムは外資系の企業でバリバリ働き、筋肉を蓄え、プールサイドでポージングなどして、何やらグローバルエリートとして、イケイケの生活を送っているようであった。「今、friendといるんだ、Sheも行っていいかい」と聞いて来たので、いいよと答えた。

 

 

散歩を終え、ホテルに戻る。暗雲がたっぷり垂れ込めていた。あまりにも甘いタイティをかき消すように、冷蔵庫の水を取り出しガブガブ飲んでいたら、どさーっと雨が降って来た。分厚い雨であたりはまたたく間に暗くなった。これは困ったなと思ってベットに転がっていたら、疲れていたのか眠ってしまっていた。ぶーとスマホが震えて、起きると17時30分だった。スマホをつけるとサムからメッセージが来ていた。やっぱり18時30分にしてくれということだった。しばらく待つと、やはり19時にしてくれと言うことだった。僕は学習し、これはおそらく19時30分だなと思ったらやはりサムは19時30分にやって来た。

 

ホテルの前で待っていると「やあ、久しぶりじゃないか」とサムは明るい調子で駆けて来た。

 

「めっちゃ久しぶりだね、元気にしていた」と聞くと、サムは「ああ、元気だったよ、きくちは」と言ってプハーとタバコを吸い始めた。「元気にしていたよ」と答えた。前回会った時はタバコを吸っていなかった気がする。5年も会っていないと人の習慣も変わるものだ。

 

サムの隣には、同い年くらいの、立ち振舞も声色も男性的な人が立っていた。しかし、サムは変わらずsheというので、僕もsheと呼ぶべきなのか?などと考えていたが、あえて聞くべきようなことなのかもよく分からなかった。「Nice to meet you」と言うと、加えタバコで「yeah」と手を差し出して来た。

 

以前、バンコクで会った時には、友達を連れて来ていい?と言うのでもちろんと答えたら、なんと六人も来たことがあった。タイでは友達の友達はみな友達というようなノリである可能性がある。

 

豚をカリカリにあげたやつ

 

再開の挨拶もそこそこに、雨がまたぱらぱらと降って来た。東南アジアの雨は気まぐれである。「僕のよく行く店に行こう」と言って、サムは近所のタイ料理屋に連れて行ってくれた。

 

たぶんこの店なのだが、やや記憶があいまい。

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豚をカリカリにあげたムークローブという料理が美味しかった。タイ人の二人は、おかずを食べてはおかゆをすすり、は〜と息を吐いていた。なるほど、これがタイスタイルなのだなと僕も真似ておかゆを頼んでみた。こうして食べていると、やはりタイ料理というのは、中国文化圏の影響のある料理が多いのだなと思う。

 

 

「そういえば、結婚したんだ」

 

「え?なに?」

 

「結婚したんだよ」

 

「え〜結婚したの、知らなかった!え〜」と同い年のサムは、また一人、友人が結婚してしまったなあというような反応をしていた。

 

どんな人なんだい?というようなお決まりの応答をいくつかした。

 

「僕は、まだあまり結婚とかについては考えていないんだよな。仕事も忙しいしね」とサムは言った。

 

雨は降ったりやんだりを繰り返していたが、次第に雨雲が去っていった。

 

雑居ビルのバーでタイの植物を漬けたカクテルを飲む

 

軽く飲み食いして、2軒目に行こうという話になり、近くにあったku bar というバーに行くことになった。雑居ビルの二階に隠れるようにして営業していた。

 

 

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ニューヨークで働いていた有名な日本人バーテンダーの弟子筋のタイ人の方が営業をしているらしい。kuというのは苦だ。なかなか渋いバーである。

 

 

残念なことには、一軒目ですでに結構飲んでおり、これを書いているのが四ヶ月くらい後であることにより、どんな味のカクテルだったのか全く思い出せないということであった。

 

思い出話などに花を咲かせた。サムは、出会ったばかりの頃は「僕は仏教徒だから、お酒はあまり飲まないんだよ」と言っていたのだけれど、いつしか酒をガンガン飲むようになっていた。

 

「最近、刺青を入れたんだよ」と言って、サムはタンクトップをずらした。肩から背中にかけて、鍛えられたハリのある肌に、龍の刺青が浮かんでいた。

 

なんか、タイの植物が漬けられている酒だったような気がする.....全てが曖昧である。

 

サムは、仕事でアメリカに行った話をした。共通の友人にアメリカで会ったらしいのだけど、アメリカの過酷な労働環境により精神がやられてしまっているとのことだった。カクテルを舐め、写真撮ろうぜと言って、サムは僕との写真を撮ってインスタにあげているようだった。かつて、生真面目な仏教徒として出会ったサムは、今や、酒をたしなみ、タバコを吸い、刺青を入れ、筋トレに精を出し、グローバルエリートとして世界を飛び回っているのだった。

 

サムはトイレに行ってしまった。サムの友人と二人きりになった。これはやばい、話をふらねばと考えているとサムの友人は「昔、日本の会社で働いていたことがあるのだ」と教えてくれた。

 

「何ていう会社なんですか」と聞くと、会社の名前を教えてくれた。聞いたことない会社だったのだけど、調べてみると売上数千億のかなり大きな会社のようだった。

 

「でも、会社の生真面目な感じが面白くなくてやめてしまったよ。日本の会社って感じだったな」とサムの友人は、懐かしそうに言った。

 

「二人なんの友人なんですか」と聞くと笑いながら「大学の友人だよ」と教えてくれた。

 

二人がタバコを吸いに行くと言うので着いていく。僕は、タバコを吸わない人間なので、灰皿の横でただ座っていた。二人は一緒に住んでいるのだと教えてくれた。そして、サムの母と他にもう一人共通の友人が住んでいるのだと言った。

 

 

「シェアハウスみたいな感じなんだね」と言うと何故だかよくわからないのだけど、「まあ、ざっくりいうとそんな感じかな」と二人はけらけらと笑っていた。たぶん、タイ的な感覚では微妙にずれた感じの発言をしたのだろうなと思った。タイの若者の住まい事情はいったいどうなっているのだろう。

 

「カオサンロードは行ったことある?」

 

「何年か前に行ったことあるよ」

 

「行ったことあるのか、まあ、また行ってみようよ」とサムが言って、僕たちは、バンコクの夜道を歩き始めた。

 

KPOP鳴り響く、カオサンロードの夜は長し

 

カオサンロードはバックパッカーの聖地と呼ばれ、世界中の旅行者が集まる通りである。

 

 

所々に大麻の店が営業していた。タイでは大麻が解禁されており、ものすごい盛り上がっていると聞いていたので、もっと、何だったらコンビニくらいあるのかなと思っていたのだけど、日本で言えば、サイゼリヤを見かけるなくらいの出現率であるように思われた。

 

 

通りを行き交う全てが浮かれていて、ありとあらゆるところから爆音が聞こえた。”この瞬間”が全ての世界が全面展開していた。

 

どこもかしこもK-POPが流れている。韓国の文化的覇権を感じる。

 

サムの友人が見つけた店に入ることになった。タイ語で何やら注文しているので任せていると、ピッチャーがテーブルにどんと置かれた。大学生の頃を思い出す量である。ていうか三次会において、三人でピッチャー2杯というのはなかなか狂気じみた量である。ビールを飲んだ。ビシバシ飲んだ。僕は、あ〜とビールを飲み続け、クラクラしながら、お立ち台のようなところで爆音のKPOPに躍り狂うタイの若者たちを眺めていた。隣のテーブルでは、少し陰気な韓国大学生の二人組が座っていた。

 

 

陰気な韓国二人組は、こそこそと耳打ちをしていた。何をしているのだろうと思っていると、僕たちの後ろに座っていたタイ人の女の子の席に向かっていて「一緒に飲もうよ」と声をかけテーブルに座った。タイの女の子たちは少し相談をして「OK」と言った。

 

ナンパに成功した陰気な韓国二人組はK-POPという覇権を背に、勝利の美酒を飲み干して、やったぜと盛り上がっていたのだけど、会話が続かず3分ほどでお通夜にような雰囲気になっていた。

 

僕はぐびりとビールを飲んだ。

 

サムは音楽に体を合わせ、にぎやかに酒を飲んでいたけれど、時折すんと静かになることがあった。そんな時、むかしのサムの面影をふっと思い出すのだった。

 

 

どれほどのビールを飲んだのかよくわからなくなって来たころに、サムが「きくち、これから俺のとっておきの場所があるから連れていくよ」と言って店を出た。

 

セブンイレブンで水を買う。限界泥酔勢がセブンイレブンの前で溜まっていた。池袋西口の広場の前のセブンのようだ。盛場のコンビニはどこも似たようなものらしい。

 

 

タバコの匂い、チャオプラヤ川に寺が輝く

 

サムが車をアプリで呼ぶと、すぐ車がやってくる。

 

「寺がめっちゃ綺麗に見えるところがあるんだよ。チャオプラヤ川を渡った先のほうなんだ」

 

10分ほど車で走って歩き始める。二人はインスタライブ的なことをやっている雰囲気があった。僕もたぶん映っていたので人生初インスタライブである。イエーイみたいな雰囲気を出してみる。二人はずんずん路地を進んでいく。

 

 

「これは秘密の道!」と僕はふたりの後を追った。

 

「そうなんだよ、ここの先の景色が最高なんだ」

 

 

直進していくと、そこには柵がかかっていてそれ以上進めなくなっているようだった。

 

 

「ああ、入れなくなっちゃったんだね」とサムの友人が言った。

 

「そうか、うーんどうしようか」とサムは友人に、何か良い場所はないものかという表情を向けた。

 

しばらく二人で会議が行われ、新たなるポイントに移動することになった。

 

「もう一回川をわたるよ」

 

アプリで再び車が呼ばれる。すいた道を車がかっ飛ばしていく。

 

チャオプラヤ川を渡っていく。酔っているので速度が上がっていくと、街並みが溶けていくような感じがある。十分くらいで到着した。二人がタイ語で会話をしながら一足先を歩いていく。

 

 

「ここだ!」といって、サムが狂気的細さの、なにかの基盤の残害のようなものを渡り始めた。サムの友人は、行ってきなといった感じでニコニコしていた。僕は、一番細いところは15センチほどしかないように見える、道と呼ぶには限りなく頼りない道を見た。あ〜これ普通に落ちるのでは?とおもいつつ、酔っていると、危機感というものが希薄になるもので、まあいいか、ややふらついているけれど、しかしまあ、最悪落ちても、あったかいし多分大丈夫だろと思った。

 

後から冷静に考えると、そもそも落ちたら自力で這い上がれなそうな高さである。

 

 

やばい、やばい、ていうか、このバッグは置いてくるべきだったな、人間が落ちたら不可避的にスマホもカメラも落ちるのだよなと思いながら、酔ってふにゃけた全神経を可能な範囲で集中させ、僕は、その、なにかの残骸を歩いた。

 

 

足元に揺れる水面をリアルに感じながら、すり足で進み、ついに残骸の端まで渡った。ほっとした気持ちで顔を上げると、静かな夜のど真ん中で、ワット・アルンの光が、たおやかに流れるチャオプラヤ川に反射し、ゆれていた。夜のしじまがここにきゅっと詰まっているようであった。

 

「うわ、すごいね」

 

「なかなかいいもんだろ?」と言ってサムはタバコを吸っていた。僕は、チャオプラヤ川の上で、乗っ取られたようにようにその寺院を眺めた。カメラを手に取って、ぶれないように何回か慎重にシャッターをきった。「めちゃくちゃいいじゃん。ありがとう。いい思い出になるよ」と言ったらサムは、タバコを口から離して、「また来てよ」と言った。人生であと何回サムに会うだろう。僕はもちろんと答えた。

 

 

もう一時を過ぎていた。流石にそろそろ帰ろうかということになって。大通りまで歩いた。外国の誰もいない静かな道を歩くのはいいものである。

 

 

タクシーが来たので手をあげるも、少しも速度を下げることなく去っていった。回送的なやつなのかもしれない。友人がアプリで車を呼んだ。しかし、時間も遅いこともあって、20分ほど待つ必要があるようだった。

 

 

二人は気持ちよさそうにタバコを吸っていた。僕は流石に疲れて、ちょっとした縁石のようなところに腰掛けた。猫だけが動いていた。誰もいない静かな夜だった。

 




ホテルに着いたら2時を過ぎていた。近年まれにみる飲酒を終え、倒れるように寝て、朝を迎えた。体が重く、起き上がる気力が生まれなかった。酒がまだ体に残っているのを感じた。床にバッグが転がっていた。とりあえず、ものは失くしていなそうである。スマホを手に取り、これは茶だ、茶を飲まねばならぬと、近所で茶が飲める店を探してみた。

 

バンコクで茶をしばく、朝から喫茶店をはしご

 


そして僕は、すばらしき店を発見した。

 

 

みな、朝から茶を飲みに集まって来ているようだ。僕も周りの人たちの注文の様子を見て、カイガタというタイ風の目玉焼き料理とパンのセットを頼んでみることにした。

 

 

さて、酒の残る体に茶を流し込む。美味しい。なんとなく番茶っぽいかんじの味わいである。飲んだ後に最適だ。車の乱雑な運転が店先に見える。ゆったり茶を飲んでいるとちょっと落ち着けよと思ってしまう。小さなフランスパン的なものをかじり、卵焼きをくずして食べる。


 

なにか特別美味しいということではない。正直、ひき肉と卵の見たまんまの味である。しかし、地元のおっちゃんたちに混じって、往来を眺めつつ茶をすすると、もう今日はここでずっとだらだらしていよう、それがいいに違いないという気持ちが膨らんできた。

 

 

本当かどうかは知らないが、ネットの情報では1952年にオープンしたというようなことが書いてある。とすれば、もう創業70年である。

 

 

1時間ほどだらだらして、せっかくタイまで来たのに、ここで時間を使いすぎるのも流石にまずいのではないか、という至極当たり前な意識が芽生えてきて、店を出ることにした。

 

しかし、何回かすでにきているタイであえてここに行きたいなというところもあまりない状態だった。うーむと思いながら、とりあえず、近くにもう一軒喫茶店があるらしいのではしごしてみることにした。

 

歩いて15分くらいだった。店内を覗いてみるも誰もいなかった。ハローと言いながら店に入ってみると、店主が出て来てくれた。店主はなかなか高齢のようで、やべ客が来た、はあ、めんどくさ、働かねばならないという感情を隠さない表情で、メニューを持って来てくれた。正直であることはよいことである。

 

 

客がおらず静かにしていたところに急に来てすまぬと、申し訳なさそうなポーズを作り、メニューを見る。トーストセットがあった。さっきモーニングを食べたばかりだなと思ったのだけど、やはり、喫茶店と言えば、トーストを食べるというのが王道であるよなという思いもあり、2度目の朝食に突入することに決めた。

 

椅子や机はよく使い込まれ、時の流れを感じさせた。

 

高齢の店主は奥の方に戻って行って、一人店の中に取り残された。スマホを置いて、じっと待つ。日本にいると、まず文字情報が入ってくるし、文字がなかったとしても、あれのメーカーは何だとか、そういえばそのメーカーは最近どうだとか、勝手に連想がつながっていき、考えなくてもいいことをついつい考えてしまったりするが、外国にくると、そういう勝手な連想のようなものが生成しないので、ぼーっとしている時には本当にぼーっとすることができる。

 

 

トーストセットが来た。店主は隣の机に座り、ああ、一仕事終えたという感じでダルそうに座っていた。僕は結構なデカさのアイスコーヒーのコップを手に取り暑さ凌ぎにぐぐぐっと吸い込んだ。入っているミルクが少し変わったやつなのか、のっぺりした感じの風味だった。6つに切られたトーストを一つ手に取りにカヤジャムをつける。ココナッツの香りが広がる。東南アジアスタイルだ。

 

 

朝食というのはどこでも大変素朴なものである。それがゆえに、その国の基礎のなる部分を感じられるような気がする。のっぺりしたコーヒーをすすり、だんだんと、体から酒が抜けて来ているのを感じた。

 

 

街の中心地に出てみることにした。タクシーに乗って、バンコク芸術文化センターに向かった。途中、道が混み始め、タクシーのおっちゃんがキレ始めたので、まだ、目的地まで1キロくらいあったのだけど、OKOKと言って、途中でおろしてもらった。バンコクのタクシーのおっちゃんはやや気が短い人が多い気がする。

 

 

タイの民族衣装の展示を見たりした。

 

 

昨日の疲れが急に出て来て、ああ、眠い、少し休憩しようと、ショッピングモールに入った。入り口のところにふかふかのソファがあったので、おお、まさに休憩所だなと、腰掛けたら、一瞬で泥のように眠り、気がついたら昼になっていた。

 

 

起きると頭が痛かった。昨日のダメージの深さを感じた。二日酔いというほどではないのだけど、とにかくだるさがあった。とりあえず味が濃いものを食べたかったので、事前に調べていたマッサマンカレーの店に行ってみることにした。酒を飲んだ次の日にカレーというのは鉄板であるように思われる。

 

なんと美味しいマッサマンカレー

 

セブンイレブンで水を買い、電車に乗り込んだ。気絶していたように寝ていたな、今日はすこしゆっくりしたほうがよさそうだなと思った。電車はとても綺麗で皆しずかに電車に乗っている。あと、結構マスク率が高いなと思った。今年の9月のことなので、今がどうなのかは知らないが、タイでは特に接客系の仕事をしている人はまだ結構マスクの着用率が高そうだった。

 

店名が日本語でも書かれている。

 

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夏の時点ではあまり日本の観光客が戻って来ていなかったのか、バンコクに来ても、全然日本人に会わないなと思っていたのだけど、ここの客は3割くらいが日本人だった。どうやら日本人から愛される店であるらしい。3つくらいのカレーの種類があったのだけど、当初予定通り、マッサマンカレーを注文した。

 

すぐにカレーがやって来た。拳くらいありそうな、どでかい鶏肉がカレーのなかに沈んでいた。すこし甘そうな匂いがした。大変に美味しそうだ。

 

 

カレーの器から、でか鳥をスプーンで掻き出して米にかける。どれどれと食べてみた。口に入った瞬間に理解した。これはめちゃくちゃおいしいやつだ。

 

辛さは控えめで、甘みと旨味がドンと口の中に広がった。このカレーにいかなるものが溶け込んでいるのか全くわからなかったのだけど、とにかく、ドンとひろがる旨味がすごかった。後からじりっと辛味が感じられた。米とも抜群に合うし、この甘さと旨味の強さは日本人の好みど真ん中だろうな、そりゃ、日本人が集まってくるわと思った。

 

鶏肉もやわらかく、主張の強いカレーの味に負けないようなパンチがあり、この大きさには必然性があったのだなと理解した。

 

おいしいというより、うまい!という感じだ。なんというか直感的なうまさがある。今年食べたカレーで一番うまいのではないかと思った。

 

僕は、タイ料理はやはりすごい、こんなうまいものを隠していたのか!と自らの不明を恥じながら、9月のバンコクのしつこい暑さも忘れ、一気にカレーを掻き込んだのだった。

 

 

疲れ果て、眠りこけ、頭痛に襲われ、一気にカレーを食べたら、急に血糖値が上昇したのか、だるさと眠気が体中に広がり、もう無理という感じになった。忙しい身体である。

 

僕は、カレー屋から100メートルくらい歩いたところに、マッサージ屋があるのを見つけた。Googleで評判を見てみると、悪くなさそうな雰囲気だったので、ひと眠りがてらマッサージに突入した。

 

 

体重100キロ近くありそうな、物凄い太さの腕を持った女性が大変な力強さでマッサージしてくれた。やはり、泥のように眠ってしまった。

 

流石に疲労も抜けて来て、意識が明瞭になってきた。軽く散歩でもするかと中華街を見て回った。大麻ティーなるものが売っていた。(買っていない)

 

 

仏像がこちらを見ていた。

 

 

半分くらい寝ていたものの、1日出歩いていたので、一度ホテルに戻ることにした。トゥクトゥクに乗り込んだ。やや死を感じさせる速度でトゥクトゥクバンコクの街中を走り抜けて行った。

 

 

僕はこの日の夜に、ラジャダムナンスタジアムでムエタイをみようと思っていたのだけど、何と油断していたら、チケットが売り切れていた...

 

バンコクの次にクアラルンプールへ向かう予定となっていたので、ホテルを探し、市内への生き方などを一通り調べていたりしたら、夜だった。

 

夕飯を食べに外に出た。猫が集会をしていた。

 

トゥクトゥクでは男が気持ちよさそうに眠りこけていた。

 

 

ここに行ってみようと思って歩いていた店は、ちょうど5分前がラストオーダーだったようで、入ることができなかった。

 

 

食堂のファストガパオ

 

仕方ないので、近くにあったすこしファストフードっぽい感じの食堂っぽい店に適当に入った。いろいろなタイ料理を食べていくという方向もあるけれど、ガパオライスがやはり食べたいんだよな......という気持ちが膨らんできてしまい、ガパオライスを注文した。

 

ここのガパオライスは、日本でもよく見かける豚のガパオで、王道の味だった。店主が、スパイシーOK?と聞いてくるので、一体どれほどの辛さなのかビビっていたのだけど、日本のカレーの中辛より少し辛いかな?くらいで全然問題ない範囲だった。こんなものが数百円でぱっと食べられるのはとてもよいことだなあと思った。ただ、最初のガパオよりはガパオのハーブとしての香りは少なめであった。

 

 

そのガパオライスでは腹7分目くらいにしかならないという問題があった。腹8分目程度食べられれば、まあ、今日はこれで終わりにするかという気にもなるのだけど、その微妙なラインにほんの少し届いていない絶妙な空腹が残ってしまったのである。

 

ホテルまで帰っている途中、細い路地にガスコンロがぼんと置いてあるのが見えた。チラッと横目にみつつ通り過ぎてみた。ガスコンロの奥は8畳くらいの部屋で、一面に布団が敷かれており、その上で子供たちがきゃっきゃと騒いでいた。

 

路端でお母さんが鍋一つで作る、野良ガパオライス

 

 

壁にメニューらしきものがはってあるのが見えた。僕は、食べるべきかを思案した。すでに1杯ガパオライスを食べているところではあるけれど、しかし、なんというかこのガスコンロとでか鍋だけで営業している野良のタイ料理屋が気になって仕方なかった。

 

僕は引き返し、子供たちのお母さんに、ハイ!というと、お母さんは子供を呼びに行った。長女っぽい中学生くらいの女の子が、英語でメニューを説明してくれた。豚のガパオライスを注文した。小さな子供がテレビを見て走り回っているのが見えた。

 

お母さんは、OK、OKとコンロを着火した。

 

でか鍋に油を注ぐ。パックに入っていたにんにくと唐辛子が刻まれたものを投下する。油の中でそれらが踊り、にんにくの香りがたちあがってきた。

 

 

香りを出したところで、ひき肉が投下された。かっかっかとお母さんの手捌きはリズミカルである。僕はこの際、せっかくなので、どのように作るのか覚えてやろうと、その鍋捌きをじっと見つめた。お母さんはまあ見とけよなといった感じで、塩や砂糖と思われる調味料を入れて、フライ返しでひき肉をぱっと攪拌した。

 

 

ひき肉に火が通ったら、オイスターソースが投入された。続いて、たっぷりのガパオがふぁさっと落とされた。

 

 

あとは気持ち程度に炒めて終了だ。

 

 

エッグ?と聞かれたので、オフコースというと、やはりたっぷりの油に卵をおとして揚げ焼きにしてくれた。フライ返しで油をたまごにかけて火を通していた。

 

 

女の子が奥から出て来て会計をしてくれた。お母さんにサンキューと告げた。お母さんはお安い御用といった感じでニコッと笑いガパオを僕に手渡した。

 

ビールを買い、ホテルに戻った。ガパオライスが入った箱を空けると、にんにくとオイスターソースの濃い匂いがぶわっと香った。

 

 

ビールで喉を潤す。軽い飲み口でおいしい。とにかくにんにくの匂いがすごい。正直、ガパオの香りはかなり消えてしまっているのだけど、食べるとオイスターソースがアクセントになっているひき肉丼というかんじでこれはこれでなかなか美味しかった。まさに家庭的な味だなあという感じで、あの子供たちも実際これ食べているだろうなと思った。つまみにちょうどよく、ビールが快調に消費されていった。

 

やはりタイ王国は何にせよガパオだ!3杯も食べたというより、3杯しか食べていないという気持ちになった。それほどの魅力があった。

二日があっという間に過ぎていった。眠りに落ちた。三日目へ続くかも...