ドアを開けると、老婆が新聞に目を落としながら煙草を吸っていた。すみませんと申し訳なさそうな声色で話しかけると、こちらへ顔を向けた。よく来たねとにやりと笑った。そこ座ってと入り口わきの席へ座るよう促された。その椅子のマット部分は盛大に破れていた。客は自分以外に誰もいなかった。
ピラフとかね、その辺がおすすめだからねと言って、くちゃくちゃになったメニューを差し出してきた。この老婆、なんだか強そうだなと思った。おすすめを軽快に無視して、コーヒーフロートを頼んだ。喫茶店といえば、フロートかケーキセット、これに決まっているのだ。
老婆はスタッフにコーヒーフロートと告げると、これまたタバコを吸いながらぼおっとしていたおばちゃんがだるそうに準備を始めた。老婆は椅子に座ってまた新聞を読み始めた。とにかくやる気がないのがいいなと思った。
光のあまり入ってこない赤茶色くくすんだ喫茶店は時が止まっているような気がした。テレビはおいしいメロンパン屋特集をながしていた。芸能人が、目をひん剥いて、これはうまい!!!と雄叫びを上げていた。芸能人がうまいうまい言うたびに、老婆は脊髄の反射に任せるように、ばかだね、メロンパンは浅草が一番うまいに決まってると何回もぶつぶつ呟いていた。迫真の表情は目元に強力な力をため込んでいた。
喫茶店のメロンパン老婆は何もかも知り尽くして浅草のメロンパンが一番うまいと言っているような自信も感じさせたし、浅草のメロンパンしか食べたことないような偏屈さも感じさせた。実際のところはどうなのかはわからないが、メロンパン老婆の浅草メロンパン推しはほとんど機械的な反応といってよかった。
おばちゃんがコーヒーフロートを持ってきてくれた。芝居じみたテレビ内芸能人とメロンパン老婆に挟まれ、肩身せまく、コーヒーフロートを食べた。甘いアイスに、少しだけ表情が弛緩した。しばらくすると、30歳主婦といった様子の女性が喫茶店に入ってきた。彼女は室内の雰囲気になじめなかったのか、10分ほどで出ていった。
コーヒーフロートのアイスの部分だけ食べ、本をしばし読んでいた。20ページくらい読んだところで、また女性が入ってきた。40代くらいに見えた。僕の目の前の席に腰かけた。注文をするとたれたカーテンの隙間から外を眺め始めた。道行く車のナンバーを読み上げはじめた。品川、練馬…大宮……
ふん、と鼻で笑った。大宮か、田舎者だね、と。
カラ元気な芸能人は、今度はラーメンを食べ始めた。メロンパン老婆はラーメンには興味はないのか、脊髄反射をやめ、薄く目を開きながらタバコをおいしそうにすった。ナンバー批判を繰り返す女性は、外を眺め続けていた。この人が店の常連で、毎日この席に座って、道行く車を批判しているとしたら、なかなか滑稽で楽しいなと思った。
ABC包囲網さながらの強固な陣形にとらわれていると、スマホが震えた。短歌が趣味の友達が、一首よんだと言ってLINEで送り付けてきたようだった。夜空をうったたものだった。なんとなく、そろそろ店を出るかという気分になった。
ドアを開け店を出た。メロンパン老婆は、興味もなさそうに、また来てねと言った。街は高い密度でせわしなくうごいていた。