店を出る。中央広場で、すこし休憩する。ライダーの集会があるのか、屈強な男たちが広場に集結していた。はっはっはっは的な高らかな笑い声をあげ、多くの男たちが威圧的な雰囲気を放出していた。雲はかなりはけて、青空が見えてきた。
欧米文化圏にはたくさん広場があっていいなあと思う。何をするでもなく、広場でゆっくりするというのは、すばらしい有閑のふるまいなのだ。なんで日本には広場がないんだろうなあ。ハロウィンとかサッカーの後とか広場がないから、渋谷のスクランブル交差点が大変なことになってしまうのだろうなあ。やはり東京にはただっぴろい広場が必要、そうは思いませんか!?
中央広場横のバス停から、ぼろぼろのバスに乗り込む。浦塩本願寺跡なるものがあるらしいので、向かってみることにした。
ウラジオストクのバスはとてもやすい。たったの23ルーブルである。40円くらいだろうか。市内には鉄道がほとんど走っていないので、移動にはバスを使いこなせるととても楽になる。
安かろう悪かろうで、バスはだいぶ古い型で、運転も荒く、ガタンガタンと動いては止まる。秋に染まりはじめた街を眺めながら、バスに揺られる。15分ほどで、浦塩本願寺跡の近くにつく。
立派な教会があったので見学していく。ポクロフスキー教会というらしい。ウラジオストクで見た教会の中では一番きれいな教会だった。屋根がポップな色をしていてかわいい。
ポクロフスキー教会の中では撮影禁止だったので、写真を撮れなかったのだけど、ロシア正教の教会はカトリックのそれとは全然ちがう。質素で、全体的にのっぺりしているような気がする。
近くにもういっこあった。こちらはこじんまりとした教会。
教会を後にして、浦潮本願寺跡へ。うろうろするもなかなか見つからない。普通のマンションがたっているだけの場所なのだ。5分くらいさまよっていると、木々に隠れるようにしてぽつんと石碑があるのを見つけた。
うらに回ってみると説明書きがあった。1886年に西本願寺がウラジオストクに進出しようとして寺をたてたらしい。1937年に取り壊された模様。日露の友好を祈願する意味合いも込めて、ここに記念碑をのこしているらしい。
こういうのをみると、やっぱりウラジオストクは日本と近い距離にあるんだなあと思う。1886年、ノルマントン号事件がおこっていたりしていた時代だ。昔の仏教寺院は、精力的だったんだなあ。