「暇だね」
「暇だねえ」と配偶者は答えた。
じゃあどこか行こうかということになったのだけど、埼玉のぱっと思いつくようなところはすでに訪問済みの場所が多く、どこに行けばいいのか分からなかった。
「湖でも行く?」僕はGoogleマップで適当にスワップを続けていた。
「涼しげでいいね。そうしようか」
ということで、タイムズカーシェアの車に乗り込み、Googleマップで見つけた、比較的近くにある鎌北湖なる湖に行ってみることにした。
湖だった。
「湖だね」
「そうだね」という会話をした。あまり深く調べもせずに、とりあえず来てみたら、結果、特に大した特徴もない、言葉の通りのただの湖だった。
とりあえず、写真を何枚か撮り、伸びをして、少し散歩して、事足りてしまった。
猫は気持ちよさそうに眠っていた。
当座の目的は達成された。やや不完全燃焼の感は否めないが、まあ他にすることもないし帰るかと車に乗ってしばらく走っていると、道端に、「武者小路実篤の作った、新しき村」というようなことが書いてある看板が立っていた。看板から、ちょっとした観光スポットであるような雰囲気が感じられた。
「あれ、あの新しき村ってなんだっけな」と配偶者は何かが頭に引っかかっているような顔で言った。
「えーと、なんだっけなあ」といって配偶者はスマホをいじり始めた。
「あ、そうだ! 最初、宮崎でやっていて埼玉に移ってきたコミューンっぽいやつだ。今も残っているって聞いたことがあったけど、こんなところにあるんだね」配偶者は、文学部出身で、近代文学の作家について詳しいところがあった。
「なにそれ、なんの村なの」
「武者小路実篤が100年くらい前に理想の共同体を作ろうと言って始めた社会主義っぽい雰囲気の村なんだよ」
なんでも、一定の労働をすると衣食住が保障される共同体を目指し武者小路実篤によりつくられた村であるらしい。
「気になるな、行ってみようよ」
ということで、僕たちは、湖帰りに、新しき村なるところに、ちょっと寄り道をしてみることにした。細い道を5分ほど走っていくと、二本の柱が立っているのが見えた。
「なんだろう、あれ。ちょっと降りてみよう」と僕は車を停めた。
”この門に入るものは自己と他人の生命を尊重しなければならない”
「おお、これは、なかなか、迫力があるね」と僕は写真を撮りながら言った。
「理想郷を作ろうとしたわけだからね」
我々は、基本的に、自分も他人も生命を尊重しなくてはならない存在ではあると思うのだが、こうして結界のようにして柱が立っていると、通常時の20倍ほど、生命を尊重しなくてはならないのではないかという意識が芽生えてくる。
足元をよく見ると、新しき村と書いてあった。どうやら、僕たちは、新しき村に着いたらしい。
「結構、鬱蒼とした感じなんだね」と配偶者は言った。夏のことだったので、木々が深く生い茂っていた。
「そうだね。ネット情報によると村には、現在、3人くらいしか住人がいないらしいよ」
新しき村の旗がはためいていた。
上の写真だとよく見えないが、これが、その旗の模様だ。
あたりを見回す、ほかにも車が一台停まっていたが、人気はなかった。少し歩くと、地図があった。茶畑、梅、鶏舎などがあるらしい。
武者小路実篤の言葉が刻まれている。
美はどこにでも。
「全然、人いないね」と言って、僕は奥のほうへの道を歩いて行った。
「そうだね、まあ、埼玉の中でもそもそも人があまりいないエリアだしね」
三角の形をした建物があった。確か、最も初期に宮崎で村を作ったときに建てられた小屋を再現したものというような説明が書いてあった記憶がある。今から見れば、これは小さすぎる.....崇高な理念があっても厳しいぞ.....という感じだが、100年前ということであれば、そんなにすごい劣悪な環境ということでもなかったということなのだろうか。
村の精神が書き起こされていた。現代社会は、近代化して、すでにかなりの年月が経っていて、自分たちが住む共同体のあり方についてゼロから考えよう!なんてしようものなら、とんでもない変な奴として煙たがられそうなものである。こういうのを見ていると、自分の思想が真に力を持つことがありうるのだと真正面から信じられる強さを感じる。
「たしか、この村の中に、美術館があるんだよね」と配偶者は言った。
「あ、あれかな」
それらしき建物のほうに向かった。こんにちは~と言って中に入ると、館長らしき人が奥から出てきた。ついに村人と出会うことができた。作務衣のようなものを着ていてなんとなく仙人のようないでたちだ。理想の共同体を追い求めているのだから、風貌もちょっと浮世離れした雰囲気だ。入館料は確か、200円だった。
館長が軽く説明をしてくれる。問題は行ったのが一年ほど前なので、どんな話をしてくれたのか全く覚えていないということである。
箴言が書き連ねられていた。
僕達は武者小路実篤から次々と投げられる箴言をしげしげと眺めた。近くに住んでいても、知らないものはたくさんあるものだなあと思った。
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しばらくたち、近所の本屋に行った。この間、新しき村に行ったのだという話をした。店主は、偶然にも同じく少し前に新しき村に行っていたらしく、最近、「代わりに読む人」という雑誌に、エッセイを書き、新しき村についてもかいているのだと教えてくれた。とんでもない偶然である。
その雑誌を買って、読んでみた。
後藤明生という作家をきっかけに、新しき村に住んでいる人に偶然出会い、新しき村を訪れてみるという内容のようだった。埼玉に住んでいるある種の人々は、新しき村を訪問してしまう磁場があるようだ。
新しき村の美術館の展示は、坂戸にあるひやま書店という古本屋の店主が、管理をしており、その古本屋を訪ねてみたが、古本屋は残念なことに閉まっていたとエッセイに書いてあった。
僕は、勝手にそのエッセイを引き取って、坂戸のひやま書店に行ってみることにした。
何か月か経って、やたらと暑い、ぎりぎりと太陽光が降り注ぐ日に、坂戸に向かった。古本屋までの道のりが暑すぎて、くらくらした。歩いて20分弱で到着した。ひやま書店は、残念なことに、エッセイと同じような結末で開店していないように見えた。
僕は、こんな暑い中やってきたというのになんということだと、汗をダラダラと流しながら、一人嘆いていたのだけど、入り口から中を軽くのぞいてみると、奥のほうで、テレビがついているような気配があるのを感じた。
あれ、もしかしてやっているのか?と戸をそっと開けてみる。
「こんにちは~お店やっていますか」
「はい、やってますよ」と声がした。電灯がぱちぱちとつけられていった。
入るいきなり、武者小路実篤の書いた絵が飾られていた。どうやら、このお店の店主が、美術館の展示を管理しているのは本当らしい。
写真を撮ってもいいですかと聞いたところ快諾をいただいたので、何枚か写真を撮った。
いくつか本を見繕った。
「新しき村にかかわられているんですか」と聞いてみた。
「昔のことですよ。最近は知っている人たちも少なくなってしまったものですから」と古本屋の店主は言った。
僕はなんとなくそれ以上聞かないほうがいいのかなと思い会計を済ませた。近くに住んでいるとはいえ、何も知らなかったら、絶対に通り過ぎていたと思う。歴史はいかなるところにも、不意に潜んでいるものだ。
宮崎で始まったプロジェクトは100年を経て埼玉で細々と存続したが、ともしびは弱々しくなってきているようだ。とはいえ、何かの社会運動のようなものが100年続くことのほうがむしろまれなことなのだろうと思う。
本屋から出ると、なんてことのない埼玉の平坦な道が続いていた。ふたたび汗をダラダラ流しながら家路をたどった。