生きていると、鳥のフンが無慈悲に天から舞い落ちて、体、および荷物などにばちんと当たったりする。まさに青天の霹靂とでもいうような出来事である。
同様に、ふと、思いがけず、何の気なしに立ち寄った街で、桃源郷のような居酒屋に出会ってしまうことがある。別府でそんな、居酒屋に出会ってしまったのである。
その名も変天来林(へんてこりん)である。看板の日焼けがまた良いではないか。
知らない街の居酒屋に入るのはなかなか勇気のいることである。心を落ち着けてドアを引くと、なんだなんだといった感じでお客さんたちがこちらを見た。なるほど、これはきっと常連が集うタイプの居酒屋なのだなと思った。
いそいそとテーブルにつくと、店員さんが注文を聞きにきてくれた。とりあえずビールを頼んだ。ビールは巨大なグラスでキンキンに冷えたものがやってきた。一口飲むと、適切な温度と泡であった。ビールが適切に美味い店というのはその時点で9割の確率で料理も美味いことが約束されている。
「うちメニューがないんですよ、この辺見て適当にオーダーしてください」
店主のおじさんはそう言って、カウンター上の横長の冷蔵器具(あれはいったいなんという器具なのだろう、寿司屋にいくとよくあるやつのことである)を指差した。冷蔵器具の上には惣菜が並べられていた。
店長に、とりあえず刺身くださいと告げた。
寒ブリと帆立がやってきた。きれいな色をしていた。食べてみれば、なんといっても口溶けである。優れた刺身は口溶けが良いのである。温度も冷た過ぎずぬる過ぎず完璧である。
うまいですねともりあがっていると、恰幅の良い常連さんが「ちょっと、店長、あそこの人たちに、あの汁あげてよ」と言った。
店長はこちらを見て、いい?というような目配せをした。僕たちは、汁とは……?と思いながら是非ください!と言った。うまいうまいと食べていたのが良かったのかもしれない。
少しすると、なんだかよくわからないけれど、とてもおいしい汁物ががやってきた。スッキリしただしで、鳥、椎茸、ゆずなどの香りがする。野菜も甘い。寒くなってきた季節にこれを飲み、キンキンのビールを流し込む。幸福である。
「これ、めちゃくちゃおいしいですね!」と言うと「でしょ?ここさ、いい店なんだよ」と少し自慢げに常連のおじさんは言った。
「君たち県内の人?」
「いや、ちょっと旅行で立ち寄ったんです」
「へえ、よくこの店を見つけたね。ここは近所の連中がよく来る店なんだけど、あんまり若い人たちには知られてない店でね。若い人たちがくるのは珍しいよ」
「いい店に入れました。よく来られるんですか?」
「私は隣の県でね、出張がてらよく来るんだよ」
すこし顔を赤らめて、常連さんはうまそうに酒を飲んだ。
「手羽先があるけど、食べる?」
店長が言った。
「いいですね。ください!」
「どうやって食べる?揚げでいい?」
「じゃあ、それでお願いします!」
会話の中で、メニューが決まっていくのがとても楽しい。
手羽先も、もちろんおいしい。
「君たちはどこ出身なの?」
常連さんが聞いてきた。
「僕は埼玉です」
「ああ、埼玉なの。店長も埼玉で昔店やってたんだよね」
「若い時はね、大宮で店をやってたんですよ」
「へえ、あの辺は昔はどんな感じだったんですか」
「昔は、やっぱり田舎だったよね。今とは全然違うよね」
店長は僕の横にやってきて、焼酎のようなものをくいっと飲んだ。
埼玉トークでひとしきり盛り上がると、今度は牡蠣フライが出てきた。
何を食べても手堅くおいしい。こんな店が近所に会ったらなんと良いことだろうと思う。しめになにかもらえますか?と聞くと、じゃあ、漬け丼でいいかね?と言って店長はカウンターに戻っていった。
また、はずさない、ばっちりの丼を出してくれた。漬け込まれた刺身はねっとりと旨味があった。ビールを飲んで、漬け丼をかき込んで、これだけがあればよいのだ。常連さんも、店長も、僕たちを歓待してくれた。別府は観光の街だから、よそ者にも寛容なのかもしれない。別府の夜は最高に楽しかった。