今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何か考察するブログ

一泊二日、伊勢を食べる。極左泥酔の巻。

 

隣に座っている金髪で細身の男がバッグを漁り始めた。かちゃかちゃと高い音が響き、なんなんだと、そろっと横目に見てみると、韓国の酒、ソジュがボストンバッグの中に7〜8本入っていた。金髪男は、緑瓶のそれを取り出し、金属の蓋をひねって開けて、一口二口飲み、瓶をバッグにしまった。朝日を背に男は眠りについた。

 

そんな電車を乗り継いて、名古屋から数時間、伊勢に到着した。赤福の看板が迎えてくれた。友人と小旅行にやって来たのだ。

 

 

現地集合だったので、友人は別ルートから大手を振って威勢よく歩いてやって来た。その様は何かを威嚇するかのようであった。

 

伊勢といえば伊勢うどんだ。とりあえず、朝ご飯にいっぱつ、伊勢うどんを食べないかと提案した。もともと三重県出身の友人は心の底から全く興味なさそうに「伊勢うどんなんて別に美味いものじゃないよ、かまわないけどね」と言った。僕は、まあまあ、せっかくね、来たわけだしねと友人をなだめて、グーグルマップで朝に伊勢うどんを食べられそうな店を探した。

 

近くにあった駒鳥食堂に行ってみることにした。

 

モーニング伊勢肉うどん −駒鳥食堂

 

開店すぐに入ったので、店内にはだれもいなかった。伊勢肉うどんなるものを注文した。松阪牛がのっているらしい。朝から食べるには過ぎたものの気がしたが、旅行一発目なので、景気良くいくことにした。友人は「伊勢うどんは美味しくないとうちの父親も言っていたよ」と気を削ぐようなことを付け加えた。旅行に来て、その土地出身の人から地のものを否定されると反応がしづらい。余計なことは考えるのを止め、静かに待った。しばらくすると伊勢肉うどんがやって来た。

 

肉の油の香ばしい匂いがする。あらためてめちゃくちゃに腹が減っていることに気がついた。朝5時起きだったのだから、もう5時間何も食べてないのだ。

 

肉で包んで麺をすする。肉がうまい。噛むとうどんがうまい。小麦ってうまいなあと思う。伊勢うどんはこの小麦感がよい。ずずずっとすする。やはりうまい。これが美味くないというのはいったいどういう了見なのだと思い友人を見た。

 

 

友人は「ちょっと待って、これおいしいじゃん」と言った。

 

「ついさっき美味しくないって言ってたじゃん」

 

「僕の食べたことのある伊勢うどんというのは、ドライブインのやつだけだからね」

 

「それで美味しくないって言ってたの。かなりの横暴さだな......」僕は思わず笑いそうになった。

 

「まあ、地元でも、意外と食べたりしないんだよ。これはうまいね。大成功だよ」

 

僕たちは閑散とした店でもくもくとうどんを食べた。

 

ラーメン、固め、濃いめ、油多め!とおなじような感じで、近年の讃岐うどんの大攻勢によってつるつる!コシ!はごたえ!といった価値観がうどん界隈で広がっているように思われるが、この伊勢うどんのなんともいえないぼやんとした食感は、まあまあちょっと落ち着けよといった感じの悠々とした感じがして大変よいものだ。朝からお腹いっぱいになった。

 

 

満足感を全身に感じ、店を出た。到着してたちまち、伊勢は大変に良いところであるような気がしてきた。何事も出だしが重要である。

 

右翼と左翼の伊勢神宮

伊勢に来たからには当然伊勢神宮だろうと、外宮に行くことにした。歩いて10分くらいのようだった。

 

伊勢神宮は、平日なのでかなり空いていて、散歩にちょうどよい感じだった。ちらほらと一般観光客に混ざって、あきらかに右翼団体だろうという人たちが歩いてくる。皆一様に気合の入った真っ黒な格好をしていて、異様な雰囲気を放っていた。右翼団体の正装というのは、黒スーツに黒コートなのだろうか。

 

 

友人は反対にかなりの左翼だったので、伊勢神宮を歩きながら、やはり天皇制というのは打倒されるべきなのではないかとぶつぶつと呟いていた。僕は、友人の独り言が右翼団体に聞かれないかヒヤヒヤしていた。インターネットでは本来交わらないものが交わることがあるが、現実世界ではこんなに近距離でも、交わらないものは交わらない。

 

 

敷地内にあったせんぐう館に向かった。友人は極端な左翼なので「僕が総理になったら宗教施設は全て廃止を検討したい」などという発言などを放ってきた。人が少なくて本当に良かったと思った。

 

せんぐう館は綺麗な施設で、遷宮についての資料が展示されていた。極端に左翼の友人は「しかし、宗教の是非は別として、文化財保護の観点から言って、この施設はなかなかよくできている」と評価していた。池をゆっくり眺めるのもいいものだ。

 

 

喫茶ロマン、トマトジュースがぶ飲み

外宮を出て、少し歩き疲れたので、喫茶店に入ることにした。

 

 

トマトジュースをがぶ飲みした。元気が少し回復した。地元紙の伊勢新聞には赤福が天気を知らせる広告を出していた。流石、銘菓である。

 

 

散策舎という本屋によって、旅行中に本を買うというやや愚かなことをした。しかもハードカバーである。友人が勧めるウクライナの人が書いた小説だ。リュックに本を詰めた。昼ごはんを食べに移動することにした。いってみたい店があったので場所を調べ歩きはじめた。

 

伊勢の商店街は閑散としていて、静かだった。

 

 

一月家、湯豆腐、特濃お茶割り

一月家は、伊勢の名居酒屋として知られ、昼から酒を飲むことができるらしい。たしかに店構えからして、ちゃんとした手仕事の美味いものができそうな威厳がある。ワクワクしながら、戸を開けた。

 

 

真昼間であるにもかかわらず、先客が一人いた。地元のおっちゃんが一人で背を丸めてうまそうにビールを飲んでいた。これがなんとも絵になるのだ。ビールを置くと、呪文のように注文をおこない。また、ビールに口をつけていた。その流れるような手つきに僕は感動した。

 


調べたところによると、この店は、焼酎のお茶割りが名物だとということだったので注文してみた。あかるい女将がはいよ〜と注文を受けてくれる。これまた、流れるような手つきで、とことことこと焼酎がグラスに注がれていく。奥の席から見ると外光を背にかかえた女将の酒を注ぐ様は、なにか神妙な気持ちにさせられた。

 

焼酎は美しく注がれたわけだが、それは甚だしい量だった。通常の焼酎割りの倍くらいの焼酎が入っているように思われた。

 

女将が作ってくれたお茶割りを厳かな気持ちで飲む。うまい。そして、濃い...

 

これは胃に何もないと、速攻で泥酔するなと思ったので、とりあえずいろいろ注文することにした。

 

「お客さんどこから来たの」と女将が聞いて来た。

 

「埼玉から来たんですよ」

 

「あらそうなの、じゃあ、名物の湯豆腐と、あとはふくだめとか、このわたとかをたべるといいよ」と教えてくれた。

 

ということで湯豆腐だ。出汁のなかにぷかぷかういているのかなと思ったのだけどそういうわけではないらしい。箸をいれるとぽろっとくずれ、噛むと適度な暖かさで大豆の香りが良い感じに広がり、シンプルながらも、たしかになかなか美味しかった

 

 

牛すじの煮込みは安定してうまい。このわたも滋味深く酒がすすむ味わいだ。

 

 

ここでもう、一月家はすぐれた居酒屋であることが間違いないということがわかった。

 

 

「埼玉ってことは今日は泊まり?」

 

「そうです、伊勢市内で止まって明日伊勢を出る予定です」

 

「そうか、じゃあ、たくさん飲んでってな」と女将はニヤッと笑った。女将は女将概念の具現化のような女将だった。

 

「あ、伊勢に来たらふくだめも食べていってな」

 

ふくだめというのが、なんなのか全くわからないがとりあえず言われるがまま頼んでみることにした。ふくだめは貝だった。大変肉厚で、貝独特のふかみのある旨味がある。これも酒が飲みたくなる味だ。

 

「ふくだめというのは聞いたことはあるけど、こういうものなんだね、美味しいね」

友人もどうやら満足しているようだった。

 


「水いる?」と女将が言った。

友人は「大丈夫です」と答えた。女将は、兄ちゃんたち酒強いねと言って、まあ飲んどきなとウイスキーが入っていたと思われるボトルに入った水をぼんと置いてくれた。ハードボイルドなかんじで良いではないか。

 

 

「あのよこわっていうの、なんなの」

 

「さあ、聞いたことないね」

 

とかなんとか話をしていると女将が、「よこわ、おいしいのが入ってるよ」というので、であれば食べるしかないだろうと頼んでみた。そして大変美味しかった、よこわというのはクロマグロの幼魚らしい。あまい油がのっていて、濃厚である。新鮮で臭みもない。

 

 

「なんか、新鮮な刺身って中国茶みたいな匂いしない?」

 

「いや、全然しないよ」

 

「そうか、これは自分だけの錯覚なんだな」

 

「数字に色がついて見える的な共感覚みたいなものなんじゃないの」

 

「そうなのかな...」

 

僕は、うまい刺身を食べると、良い中国茶を飲んだときのような香りを感じることがあるのだが、理解をされたことがない、というかこれは、たしかに共感覚的な脳の錯覚なのかもしれない。

 

アナゴのフライに、車海老の塩焼きを食べる。どちらも、びっちり身がつまっていた。

 

 

途中で隣に常連客がやって来た。「埼玉から!まあ遠くからこんなところに」と言って、おっちゃんは、伊勢周辺の開発の歴史のようなものを教えてくれた気がするのだが、得濃お茶割りのパワーによってなんの話をしたのか全てを忘れてしまった。友人は友人で「近代的な思考は一部存在が」とか「努力というのは畢竟自己否定でそれはつまり」とかそんな感じのことを熱く喋っていた。畢竟って現実世界で使う人いるんだなという感想だけが頭に残った。

 

締めにカレーを食べて、店を出た。

 

一月家は噂に違わぬ名店であった。どの料理も美味しく、酒は濃く、快活な女将の接客も楽しく、いい居酒屋とはこういうものだなあという感じだった。

 

ひとつ問題だったのは、まだ昼間であるあるにもかかわらず、かなり酔ってしまったということであった。女将が水を飲めと言っていた意味が分かった。僕たちが酒に強いのではなく、僕たちが単に無知だったのだ。友人はしゃっくりが止まらなくなっていた。

 

頭痛を抱え内宮へ

酔った頭で、伊勢神宮の内宮に向かう方法を検索した。バスに乗り込む。ふう、あとはとりあえず、乗っていればつくか〜と一瞬油断したら、僕たちは二人で爆睡して、その間、バスは快調に進み続け、気がつけば、伊勢神宮を遥かに通り過ぎていた。

 

は!と起きると隣で友人は寝息を立てていた。急いで起こすと、そこは山間のコンビニの前であった。伊勢神宮のバス停を20分くらい過ぎたところだった。

 

友人は「頭が痛い、頭が痛い」と言っていた。お茶割りはなかなかの威力であった。幸運にも?バスは30分後に来るらしく、ここで陽がくれるというような残念な結果にはならなそうだった。

 

無の時間だった。外はまだそこそこ寒かった。酔い覚ましに水を買って飲んだ。友人は「劣ったことを言ってもいいかい、僕はシュークリームを食べるよ」と言って、ムシャムシャとシュークリームを食べていた。駐車場で無言でバスを待った。

 

そんなことがあり、伊勢神宮ちかくのバス停についたのは17時20分ころであった。そして伊勢神宮は18時に閉まるらしかった。帰る人たちはちらほらいるものの、伊勢神宮に向かう人は皆無であった。

 

陽がほぼ落ちてしまっていた。広大な空間に、僕たち以外にはほとんど人がいなかった。

 

酔っ払い過ぎて、不覚にも、ぎりぎりの到着になったが、これはこれでなかなかよいと思った。暗い空間にぽつんぽつんと明かりが灯っているなかを歩く。人がいない伊勢神宮というのは開放感がすごい。棚からぼた餅システムによって、よい体験をすることができた。

 

 

餃子に、あじ塩おにぎり−餃子の美鈴

我々は、バス泥酔事件を乗り越え、無事、伊勢の中心地に戻って来た。夕飯の時間だったので、「餃子の美鈴」にいってみることにした。

 

 

たしかに美味しいのだが、僕はぎょうざの満洲を食べ始めてからというもの、どうもそれが口に合うらしく、いまいち旅行先で餃子を喜べなくなってしまった。脳裏で勝手に満洲の餃子と比べてしまうのである。悲しいことだ。

 

 

おにぎりはあじ塩が効いていてジャンクなかんじがおいしかった。久しぶりに伊勢に帰って来たらしい若者達が、酒を飲み、鋭い冗談を放ち、スタッフの人たちと盛り上がっていて、地元に愛される店なのだなと思った。

 

 

旅館の明かりをつまみとし伊勢角ビールをすすり飲む

なんだかんだ一日動き、疲れた体で旅館に向かった。今回は星出館という旅館に泊まることになっていた。昭和元年創業で、渡り廊下が印象的な木造二階建てである。歩くとぎしぎしと床が軋む。

 

これは大変な旅情がある。二階の部屋だった。窓越しに中庭を見た。古い建物なので、どこかでドライヤーをかけている音がかすかに聞こえてきた。

 

 

しばらくして、「きくちくん銭湯に行こうか」と友人が言った。調べると一番近い銭湯は定休日だったのだけど、二番目に近い銭湯は開店しているようだった。

 

旅館を出たらしゃっくりが出た。僕も酒の影響が出たのかもしれない。ひっひっといいながら川辺を歩いて行く。風がここちよく、良い季節だった。

 

 

この旭湯は、昔の人々が伊勢神宮に参拝する前に海水で身を清めたという伝統に則って、海水を溜めた湯があった。ひりひりしたり肌がカピカピになったりするかと思ったが、意外と悪くない感じであった。

 

帰り道、気づいたら、しゃっくりは止まっていた。

 

 

コンビニで、伊勢角ビールを買って帰った。クラフトビール系ではわりと聞いたことがある銘柄である。ほろ苦くて美味しかった。

 

友人がスマホを凝視していた。どうしたのと聞くと、「コーギー犬Youtuberだよと」彼は言った。コーギー犬?と聞き返すと、「癒しはこれくらいしかないんだよ」と言って友人は、あぐらでじっとスマホを見続けていた。

 

 

朝、チェックアウトに近い時間に起床した。朝の旅館の景色もまた雰囲気が変わってよい感じである。

 

 

とりあえず歯を磨く。「この旅行は、なかなかいいよ」と友人は言った。「なんか、いい意味でも悪い意味でもゆったりしていて、西洋人のバカンスのようだよ」と妥当性があるのかないのか分からないことを付け加えた。

 

 

「とりあえず、朝ごはん食べるか。うどんでいいかな」

 

「そうだね、近いところにしよう」

 

 

ふたたび、朝に伊勢うどん −まめや

 

旅館の近くにあったまめやという店が朝から営業しているようだったので、いってみることにした。今回は、たまごうどんを注文した。立ち上る湯気を見る。朝うどんというのはなかなかよいものだ。

 

 

薬味をのせて、もそもそと食べる。卵で味はまったり目で、麺はかなりやわらかく、スープと一体化しかけていた。やはりうまい。

 

 

また、適当にその辺にある神社を見学する。友人のコートをよく見ると、着過ぎたのか尻の部分が破れかけていた。

 

「コート破けそうだよ」というと「ゴーゴリの外套のようだろ?」と友人は言った。教養のパワーである。事態は何も変わっていないのだがゴーゴリ風であるということを装うことで、そのコートはあくまであえて破けているかのような気がして来た。僕も服に興味がないので、服に穴が空いてもそのまま着ていたりして、配偶者から白い目で見られることがあるので似た者同士だ。今までは、これはSDGSだからと言っていたが、これからはゴーゴリのオマージュだからということにしようと思った。

 

 

極端に左翼な友人はやはりここでも、「天皇制は打倒されなくてはならない」とぶつぶつ呟いていた。長い付き合いなので慣れてしまったが、木漏れ日の中を歩くには似つかわしくないBGMである。

 

 

神宮徴古館なるところをまわる。私立博物館らしく、展示品は少なめだった。閑散としていたが、ここでもやはり、十人くらいの右翼団体と思われる強面のおっちゃん集団が真っ黒のコートに身を包み、しげしげと展示を眺めていた。

 

隣にあった農業館という方にも行ってみたのだが、こちらはさらに人がいなく、というより、受付にすら人がいなく、もぬけの殻になっていた。伊勢神宮に来てもこういうところには人はあまり来ないらしい。

 

 

そんなこんなで昼だった。伊勢には、ソウルフードと呼ばれるものがいくつかあるらしいのだが、そのひとつ、ドライカツカレーを出す店が農業館から比較的近かったので歩いて行くことにした。歩いて15分くらいだった。

 

冷めたドライカツカレー  −キッチンクック

 

 

店に入ると、店主が、でか中華鍋を両手でぐわんと振ってギャクのような量のドライカレーを作っていた。中華鍋がいっぱいになるような量で、それは本当にギャグのような量だったので、中華鍋がコンロに着地すると、ガチンガチンと大きな金属音を放った。

 

ちょうどふた席分だけカウンターが空いていたので席についた。いろいろメニューはあるようだったが、とりあえずソウルフードたるドライカツカレーを頼んだ。

 

 

なんというか、ドライカツカレーは予想通りの問題を孕んでいた。そう、鍋がでかすぎて、ドライカレーがぜんぜん温まってないのである。なので微妙にやや冷めたカレー混ぜご飯にカツカレーが載っている状態となっている。まあ、しかし、ソウルフードというのはよそ者がひょろっと来ていちゃもんをつけるタイプのものではないのだ。このガチンガチン鍋の音が鳴り響くほの暗い空間で腹一杯食べるという経験の全てがソウルフードなのだと思う。

 

 

はやいことに、そろそろ一泊二日も終わりだ。労働者の休日は儚く短い。もくもくと食べた。友人もうまいともまずいとも言わず、もくもくと食べていた。友人が突然「がんばろうね」と言った。何がいったいどういう文脈なのか全く分からないが、僕は冷めたドライカツカレーを食べながら、とりあえず「そうだね」と言った。

 

お土産