三重県は、桑名駅で下車すると、ニッカポッカを履いた男がシャカシャカと歯を磨いていた。線路敷設の夜勤でもしていたのだろうか。その手のリズムたるやなかなかのもので、 健やかな青空の下、なんとも気持ち良さそうである。僕も、金曜の労働を終え、晴々とした気持ちで家を出てここまでやってきたので、精神的連帯を感じた。
年末、少しまとまった休みが取れたので、紀伊半島でもまわり、途中で三重に住む友人に会い、酒でも飲もうという計画で家を出てきた。友人は三重県南部に住んでいた。友人の名は中西と言った。以下の記事で出てきたやつだ。
坂と酒の街、神楽坂で過ごしたうたかたの日々 - SUUMOタウン
数年前のことだ。新宿3丁目の路上で、中西は僕を「お前は劣るんだよ!」と怒鳴りつけ(中西の口癖は”劣る”である)、僕は僕でなんだこいつと缶の底2センチほど残っていたストロングゼロ和梨味を彼にぶちまけた。僕はその頃、ストロングゼロの和梨味に大変こっていたのだ。
ストロングゼロに濡れた彼は、往来の激しい交差点で、背後から僕の背中をどすんと殴りつけた。なんとも滑稽な、新宿的離別とでも呼ぶべき別れが訪れたのだった。人間は、新宿においてまれに見かける上記のような光景を、多くの場合、おろかしい他人事として捉えているだろう。僕もそう思ってきた。しかし、突然、自らが新宿的光景となる日が来ることを知るのだ
新宿で喧嘩する属性の奴らがいるのではなく、誰もが皆、ある瞬間には、新宿的人間と化すということなのである。
新宿での絶縁後、数年して、何が契機となったかも定かではないのだが、また普通に会話するような仲に戻った。人間関係というのはわからないものである......
話は戻って、三重である。三重県北部の桑名を発ち、電車でだらだらと南下を続けた。四日市で一泊した。街中に怪しい笑みを浮かべる岡田克也のポスターが並んでいた。すこし中心を離れると、工業の街である。沿岸部は、煙突がたちならび、シュコーシュコーと白煙を立ち上げていた。
働く者たちの飯、トンテキを食べるため、駅前の居酒屋に入った。四日市のトンテキはにんにくと甘い醤油だれが強かに絡み合い、大量のビールを呼び込む垂涎の味であった。ニンニクも丸々なかなかの数、入っている。三重県のパワーを感じる。写真だと大きさがよく分からないが、一皿で他に何もいらなくなるくらい、腹が満たされた。
翌日、ニンニクを漂わせながら、電車でだらだらと、相賀駅という駅まで降ってきた。伊勢や志摩を通り過ぎ、さらに紀伊半島を南下したところの駅だ。知り合いでも住んでいなければ、なかなか来ることもないような場所である。友人は車で迎えに来てくれた。
ひさしぶりという挨拶もそこそこに、新宿で僕を殴った男、中西は「居酒屋を予約したけど、時間まで少しあるからね、須賀利でも見に行こうか。にほんの里100選に選ばれているんだよ」と言った。「そこ、行ってみたかったんだよ。結構町並みがいい感じなんでしょ」とストロングゼロをぶちまけた僕は言った。
「リアス式海岸にへばりついた変わった町だよ。とはいえまあ、この辺は全部そんな感じといえばそんな感じなんだけどね」
普段、関東の平野のど真ん中で過ごしているので、なんでも楽しそうな気がした。
車で10分ちょっと走った。「すごい辺鄙なところにあるんだね」と言うと「元々、ここは道も通っていなくて、完全な陸の孤島だったんだよ。船でしか来ることができなかったんだから」と教えてくれた。蛇行する山あいの道を抜けると、一気に視界が開けた。気怠さが溶け出したような小さな湾があり、低くなりつつある太陽が色づき始めていた。
車を適当に留め、その辺を散歩することにした。
海に沿って家が密集していて、その隙間を路地が縫うように伸びている。住んでいる人の多くは高齢者のようで、街は、静かで眠たげであった。歩いていると、家の窓のあちこちに、白紙が貼り付けてあるのに気がついた。路地を挟むようにして建つ家の窓に、べたべたと数多貼り付けられているのであるのだからなかなかのインパクトだ。その白紙には墨の手形がどどん押されており、なんとも大変呪術的なのである。
「これなんなの、すごいね」僕はそれらをしげしげと眺めながら言った。
「ああ、それは、長寿の祝いか何かで、手形を窓に貼り付けておくという文化があるんだよ」
「そうなんだ、これは知らないとなかなか怖い感じがするね」
こんなかんじ↓
尾鷲の須賀利での光景
— 月史 (@Tsukushi_olaf) 2017年3月19日
あっちこっちで見かける
紙に米寿と書いてあるから、米寿迎えた人の手形なんだろうね。
めでたい事なんだろうけど、知らないとちょっとしたホラー pic.twitter.com/FZJBjSuapM
「須賀利はよく来るの?」
「たまにだよ、2年前くらいに散歩しに来た以来かな。ここの上が神社なんだよ」
「登ってみようか」
100段近くありそうな細い階段を登っていく。
家を超えて海が見えてきた。普段運動しないので、階段をのぼるたびに、息が早くなり、ジャケットが暑苦しくなる。
「中西は最近どうなの」
「大変だよ。生きることは苦しいことが当たり前、辛いことが当たり前だよ。本当にこれは、認識しても認識し足ることはない。そうやって、一生言ってるだろうなと思うよ」
中西は、労働にまつわる大きな困難を抱えていた。
「あまりにも辛くて、家を飛び出て、なにもできず寒くてどうにもならなくて、ただ散歩して帰ってきたりということがときどきあるよ」
「少しは気を休めることをしたほうがいいよ」
階段も半ばまで上がってきただろうか。
「君の言う通り、計画的な保養が必要なんだよ。マネジメントだね。最近はね、動物のYoutubeばかり見ているよ。猫はいいね」
「猫動画、また意外なものを……」
「おすすめの猫を教えてあげるよ」
神社まで上がると、パズルのように瓦屋根が連なる須賀利の景色が一面に見えた。たしかに山にへばりつくように家が並んでいる。長い時間をかけて風土と溶け合うようにして街が形成されたのだなあ。高齢化もぐんぐん進んでいるようだ、いつまでこの風景が残るのかも分からない。何百年と続いたこうした集落が日本全国で急速に消えようとしている。
須賀利を後にして、予約してた相賀駅近くの一富士という店にやってきた。牡蠣がおいしい店らしい。
この頃は、コロナは落ち着いていたのだけれど、店内には他の客はいなかった。明るい店内ががらんとしているのは寂しいものだ。
「地元だけど、こんな店があるの知らなかったよ」
「相賀駅について調べていたら、渡利牡蠣と言うのが有名だと出てきて、それならば、牡蠣食べたいなあと思って調べてたらでてきたんだよ」
「近くに白石湖という汽水湖があるんだよ。真水と海水が混ざってることで、臭みが少ないものができるらしいね」
牡蠣豆腐。出汁がやわらかく、体が温まる。
キスの天ぷら。
カマスのバッテラ。「この辺ではこう言うのをよく食べるんだよ」と中西は言った。これはまあまあかなという感じだった。
渡利牡蠣の寿司。まだ季節的に早かったので身がかなり小ぶりだったけれど、確かに牡蠣独特のえぐみがなく、それ自体の味が感じられた。シャリは、単なる酢飯ではなく、洋辛子がまぜてあるらしくハイカラは感じがした。シャリから独特の旨味成分が感じられ、かといって少しツンとしていることでくどくもなく、それが煮込まれた牡蠣のしょっぱさによくあった。
「これ、ちょっと凝った感じでいいね。生の牡蠣と米だとあまり合わないだろうしね。あんまりこういう寿司見たことないけど、うまいもんだね」
「そうだね、これはいいものだよ。近くに住んでても気がつかないものだね。これから友人が近くに来たりしたら、この店を使えそうだよ」
「明日は新宮の方に行こうと思うんだよ。あの辺は何かあるかい、見とくべきものとか」
「特にないよ。この辺は本当に何もない。強いて言えばめはり寿司は食べた方がいいと思うよ。あれはこの辺の郷土料理の中では一番いいと思うよ」
「そろそろ、お腹いっぱいだね。出ようか」と中西は言った。
少し歩くかねと声をかけて歩き出した。雲間に月が浮かぶ夜だった。街灯は少なく、下界はやたらと暗かった。店からほんの少し行ったところが、渡利牡蠣が作られている白石湖だった。車もめったに通らないような場所なので吸い込まれそうなくらいに、静かだった。
「きくちくん、腹が減ったね」
「え、腹減った?さっき食べたばかりで、お腹いっぱいって言ってたじゃん」
「あそこで食べると金もかかるしね。あと、まあ、自律神経がおかしくなっているんだろうね、たぶん」
近くにあるスーパーに向かった。道端には、人気のないスナックがひっそりと営業していた。夜空を見上げると、星が綺麗だった、ということにしておきたかったけれど、実際は、埼玉とあまりかわらないようなくすんだ光だった。
「そう言えば、佐々木くんは最近何しているの?」
佐々木とは共通の知人だ。
「ああ、彼ね。彼は、最近、反出生主義に目覚めたらしいよ。僕の周りでは、最近反出生主義が増えてきているよ」
中西はおにぎりを2つ買って、スーパーから出てきた。中西は一つ目のおにぎりを一分かからずに食べた。寒空の下、人が無心に何かを食べているのを見るというのも、なんとも不思議な気分になるものである。自らの意思でそれを食べているようにも見えるし、意思など関係なく、何かの力によってそれを食べさせられているようにも見えた。
「外山さんも反出生主義だって言ってたね」
「いいことだよ。生きるのが困難な人間は何も持たないのが一番だからね」
中西は二つ目のおにぎりを食べ始めた。酒でも買ってこようかと思ったけどやめた。よく分からないけれど、祈るような気分になった。旅行はようやく三分の一を過ぎたところだった。