今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何か考察するブログ

さらば、ツイッターと過ごした13年

大学に入学し早々にTwitterのアカウントを作った。mixiは3日でやめ、instagramも一週間続かず、Facebookは永年停止気味なのだが、Twitterだけは、何年も使い続けてきた。

 

大学生活とTwitterの相性は悪魔的である。午前中に可能な限り授業を入れないことで、朝4時就寝、11時起床という生活をしていた。大学にはそんな感じの夜行性人たちがたくさんいた。昼夜逆転である。

 

授業を受けても、見た目では逆転組か正転組かの判別は難しい。しかし、Twitterを見ていると、逆転組は寄り添うようにして自然と互いをフォローし合い、実際に会ったり、友人になったりする人もいた。10年続く友人になった人もいた。

 

そんな友人と、大学から歩いて帰っていたら、信じられないくらいの大雨が降ってきたことがあった。軒下で雨宿りをしていたら、道は川になり、上からの雨は防ぐが、足は水浸しになっているという滑稽な状況になった。二人で、何を話すでもなく、道という名の川に足を浸し、Twitterを見て時間を潰したことが強く記憶に残っている。一体全体どれだけの時間をTwitterで潰してきたのか。

 

東日本大震災が起こった。一般的には、この辺りで、ユーザー数ががっと増えて、雰囲気が変わったと言われているらしい。特に気にせず、Twitterをずっと使っていた。個人的にTLが一番変わったと思ったのは、就職してしばらくのタイミングだと思う。友人たちは、皆、徐々に呟かなくなっていった。遠くで燃える火を見ているような独特の寂しさがあった。

 

しかし、また別の観点で人をフォローしたりして、変わったなりのTLを楽しんでいた。先日も、ブログを更新したら、ちょっとバズって、ずっと読んでいた作家の方が、偶然目にしたらしく、Twitterでブログについてコメントをもらったりして、おいまじかTwitterも捨てたものではないなあ、と思ったりした。

 

ツイート=つぶやくというのは特別な響きがあった。つながりたいけど、つながりたくないけど、しかし、やっぱりつながりたいというような微妙な温度感があった。そんな温度は、冷たいのか暖かいのかもよくわからないが、Xになったらしい。Xである。そう、Xなのだ。もう何も言うまい。はてなはだいじょうぶか?ふたをあけたらYとかになっていないように祈る。