今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何か考察するブログ

一泊二日、ホーチミンを食べる。伊勢うどんに影響を受けたベトナム麺料理 カオラウとは 前

 

フランスパンにパテを塗って朝食を

高さ30センチほどだろうか、プラスチックの赤い簡素な椅子に腰掛けた。ベトナムホーチミンにやってきたのだ。気怠そうな店員がフランスパンを持ってきてくれた。腕くらいの大きさがある。なんとも堂々としたフランスパンだ。それにしても、空気がじとっと、ねとっとしている。日本も大概であるが、やはり東南アジアの雨季というのはこれぞ本場の湿気という感じがある。

 

パンの次に、野菜とパテがやってきた。

 

「お、いいですね」と言って、大学時代の後輩、加藤がパンをかじり始めた。

 

真夜中の飛行機の予定だったのだけど、結果数時間フライトが遅延し、飛び立ったのはほとんど早朝の午前4時頃であった。そこから、飛行機でかーっと寝て、起きてバスに乗り、うつろな目で街を歩き、ついにこの路上の店までやってきたのだ。マーガリンだかバターだかわからない白い油と肉のパテをフランスパンに塗る。パンと目玉焼きとベーコンと豆腐ときゅうりとパテなので、まあ、想像通りの味といえばそうなのだが、口にそれらを思いっきり詰め込めば、移動がやっと終わったことの開放感から、これがやたらとうまい。フランスパンはふわふわである。

 

 

Bánh Mì Hòa Mãという11時までしかやっていない朝食専門のバインミー屋でホーチミンで60年以上営業をしているという老舗であるらしい。

 

 

バインミーというのはもともとパンの意味らしいので、必ずしもサンドイッチスタイルを指しているということでもないらしい。フランスパンにパテを塗り、卵焼きに醤油をたらす。一気に日本の味に近づいた感じがある。猛烈に食べ、胃が満たされていく。

 

路上に座っているので、真横を犬を抱えた女性がバイクが駆け抜けて行ったりする。比較的人気のある店らしく、人がどんどんやってきて、みなパンをかじっていた。騒がしい感じが心地よかった。

 

 

「東南アジアで半熟卵って珍しいですね」と言って加藤は醤油を垂らした。

 

「確かにそう言われてみればそうかも」

 

「大丈夫ですかね」

 

「さあ、まあ、大丈夫なんじゃないの。こんなに大勢食べてる人いるし...たぶん......」

 

結果的にいえば、ホーチミンで腹を壊すことはなかった。

 

 

加藤はムシャとフランスパンをかじり「今回のホーチミンはどうしますかね」と言った。今回の旅行はぼくが誘ったのだが、何か目的であるということでもなく、なんとなくどこか行こうと誘って、飛行機代が安い!ということで、ホーチミンになったのだ。

 

伊勢うどんがルーツという噂、カオラウを食べる

 

Twitterを見ていたらさ、昔々に、貿易などの関係で伊勢うどんに影響を受けて、ベトナムで発達したカオラウという麺料理があるというのを見たんだよ。それ食べてみたいなと思っている」

 

「なるほど、それって、ホーチミンにもあるんですか」

 

「もともとはホイアンの料理らしいけど、ホーチミンにもあるらしいよ」

 

加藤はスマホでカオラウを調べ始めた。

 

「結構近いところに店ありますね。行ってみますか!」

 

「でも僕たちは、今、朝ごはんを食べたところであるという説もあるよ」

 

まあまあでかいフランスパンを食べたので、そこそこお腹も満たされていたのだ。

 

「まあ、まあ、大丈夫ですよ!僕は全然行けます」と加藤は完全に乗り気でつづけてこんなことも言った

 

「ついでにいえば、当然フォーとかも食べたいですよね」

 

「そうね、あとバインセオとかも」

 

「食い倒れの旅ですね!」

 

今回は食べ尽くしの旅となることが決まった。

 

 

ということで、まさに今、朝ごはんを食べたばかりであるにもかかわらず、早速カオラウを食べにいくことになった。舗装が剥がれまくっている道を歩いていく。野生なのか飼われているのかわからないが、道にはシャモのような鳥が体を機敏に揺らし歩いていた。しげしげと眺め、写真を撮った。

 

 

 

近くの大きな道に出て、加藤がGrabという配車アプリで車を呼んだ。圧倒的便利さだ。外国で発生しがちなメーターを使わないタクシーやぼったくりタクシーに遭遇する可能性もない。便利な世の中になったものだ...…

 

カオラウ店に到着した。伊勢うどんがルーツの可能性がある料理、一体どんなものなのだろう。

 

 

 

Cô ba Ân - Cao lầu Hội An

 

店は、入り口から細い道を抜けたところにあった。薄暗い通りを歩いていく。

 

 

暗い道からは想像できない、なんだか少し、おしゃれな感じのパラソルが立っていた。隣ではベトナムの若者たちが、例のその伊勢うどん的食べ物カオラウを食べていた。そして、それは、お腹いっぱいであるにも関わらず、大変に魅力的に美味しそうであった。

 

 

僕はそれを横目に見ながら「加藤くん、あれ見て、めっちゃ美味しそうじゃん」と言った。

 

「そうですね...... あれ、食べたいですね」

 

メニューをもらって、それがどれなのかを検討する。

 

「これ、xa xiuって書いてありますね。もしかしてこれチャーシューなんじゃないですか。隣の人たちのカオラウに肉いっぱい乗ってるし、これ頼めば、あれ来るんじゃないですか」

 

「おお、絶対これだよ。チャーシューのカオラウに違いないね」

 

ということで、そのカオラウ・シア・シューを注文した。

 

床では、ぽっちゃりした猫が二匹のそのそと動き、心地よいところを見つけたのか、すやすや眠っていた。隣の若者たちが眠りこける猫を撫で、笑い合っていた。

 

確かにかわいいのである。しかし、僕と加藤は、狂犬病のワクチン接種をしていないので、現地の動物にはややビビっていて、猫を遠目に眺めそのなまけもの然とした姿を愛でた。

 

 

猫にビビりつつ、しかし、癒されていると、伊勢うどんをルーツに持つらしい、謎のベトナム麺料理カオラウがやってきた。匂いは特にしない。麺は見るからにうどんである。チャーシューがどどんと載っていて、別皿で醤油だれがついてくる。

 

 

スタッフが、手を動かし、醤油だれをかけて、混ぜて食べるんだ、分かったか?というようなことをジェスチャーで示してくれた。我々は、言われるがままに、タレを回しかけ、カオラウをぐるぐるとかきませた。うどんの下にはかいわれが潜んでいた。

 

 

「ん!」と加藤が言った。

 

僕も「お!」と言った。

 

そうカオラウは大変美味しいものであったのだ。麺はかなりうどんだった。wikipediaによると、中国の乾麺が由来とする説もあるらしいのだが、正直、食べた後の第一感ではこれは間違いなくうどんだと言わざるを得ない感じだった。

 

ただ、あの、伊勢うどんのぽわぽわな麺とは少し違う印象でどちらかというとコシが感じられた。ベトナムの麺というと、柔らかい米麺の印象が強いので意外だった。もしこのややコシのあるカオラウ麺が古い形の伊勢うどんの形だったりするのであれば、なかなか面白いことだ。

 

オニオンチップと、豚の皮のパリパリのやつ?がジャンキーである。しかし、かいわれが爽やかで、全体としては、わりとさっぱり食べられて、なんか、よくできているな...などと思った。

 

「うまいね、これ」

 

「うまいですね」

 

「たしかに、これは間違いなくうどんの影響を感じるね」

 

僕は、机においてあった食べるラー油のようなものを散らして入れた。

 

「そうですね、ただ、味付けはちょっと中華っぽい感じもしますね」

 

「醤油がちょっと甘い感じがあるもんね。中国の南の方の影響なのかな」

 

朝ごはんのフランスパンでまあまあお腹いっぱいだったのだが、普通に美味しく食べることができた。たしかに、伊勢うどんがルーツと言われるとその影響関係を信じてしまう。

 

しょっぱなから、かなりいい出だしだね。この後どうしようか」

 

「これはかなりのあたりでしたね。どうしますかね......特に予定もないですからね」

 

二人で、グーグルマップを眺める。

 

「あ、ベトナム戦争証跡博物館が近くにあるから、それ行ってみようよ」

 

ということで、ちょっと腹ごなしに歩くかと店を出た。

 

ベトナム戦争では日本人記者が活躍していたらしい

 

 

店を出て、100メートルほど歩くと、雨がポツリポツリと降ってきた。もう10メートルくらい歩くと、雨は様相を変え、いわゆるスコールになり、とても歩ける感じではなくなってしまった。軒下に避難し、雨を凌ぐことにした。スコールのパワーは強く、もやっとした東南アジアの熱気を一気に洗い流していった。

 

 

「これは、ちょっと、歩きで移動は無理っぽいですね」

 

「そうだね、これはすごいね」と、僕は、大変困ったものだというような顔をして、どうしたものかと考えているようなふりをしていたのが、実際には、加藤は交通オタクなので、勝手に移動手段を検討してくれるに違いなと思い、顔だけ作って、街を洗い流していくスコールを眺めることに徹した。

 

やはり、加藤は、すぐに移動手段を検討し「じゃあ、Grabで車呼びますか」と言って、スマホでぱっと車を捕まえてくれた。僕は「お、じゃあそれで行こう」と、ついさっきまでこちらでも検討をおこなっていたのだというような雰囲気を出し、やはり、土砂降りのスコールを眺めた。

 

数分したら、車がやってきた。日本でもライドシェアを解禁すべきだ!というような話が時々ニュースになっていたりするが、確かにこれは便利である。

 

運転手は謎の水を飲んでいた。

 

ベトナム戦争証跡博物館に着いたらちょうど雨が上がった。

 

 

ごっつい戦闘機が展示されている。

 

 

街中を歩いていてもそんなに欧米系の観光客には出会わないのだが、この博物館は欧米系と思われる客が非常に多かった。

 

 

意外だったのは、日本に関連する展示が色々あったことだ。特に戦争写真特集では、石川文洋氏と中村梧郎氏の写真が常設展に組み込まれており、かなりのスペースをとっていた。中村氏の枯葉剤でぼろぼろになった枯れ木の群れの中で裸の男児が一人で立っている、この世のものとは思えないような写真を見るとただ、絶句するしかなく、アメリカはとんでもないことをやったのだな...と深刻な気持ちになってしまった。

 

こちらのHPに写真がある。

中村梧郎‐GORO NAKAMURA OFFICIAL WEBSITE

 

ベトナム戦争自由主義軍営が自由であることの証明として従軍記者が取材することを奨励したところがあると聞いたことがある。日本人ジャーナリストも実際こうしてかなり活躍していたらしい。ウクライナ戦争では、TBSとかは結構取材に行っていた印象があるけれど、全体的には日本のジャーナリズムはどんどん先細っている印象がある。これから新聞社なんかもどんどん潰れるのだろうし、どうなっていくのだろう。

 

その後、近くにあった統一会堂へ行ってみることにした。

 

紳士的ココナッツジュース詐欺

 

スコールで少し涼しくなったのだけど、また気温が上がってきて、へばり付くような湿度が、呼吸を阻み、容赦無く肌を濡らし、不快指数は天井知らずだった。

 

 

大通りを渡るために、道の端で待っていたのだが、全く交通の流れがきれることがなかった。「あっつい、あっつい。これはあまりにも暑いよ」と息も絶え絶えに嘆いていると、流しの商人のおっちゃんが近づいてきた。

 

いいか、俺について来いというジェスチャーをして、僕たちを先導し、車がとびかう道をさながらモーセのようにして進んでいった。

 

二人で、道を渡りながら「これもしかして、渡りきったら、なんか買わされるんじゃないの」などと訝しみながら後をついて行った。

 

 

大きな道を渡り終えた。おっちゃんはどこへ行くんだ?というので統一会堂というところに行くのだというと、ああ、それはこっちだよと子供っぽい笑顔で道を教えてくれた。

 

「あれ、別に押し売りされなかったね」

 

「そうですね、ただのいいおっちゃんでしたね」

 

僕たちは、先入観を持っておっちゃんについての判断をしたことを後悔した。人を疑うのはよくないことだ。統一会堂のほうに向かって一緒に100メートルくらい歩くと、おっちゃんは突然クーラーボックスからココナッツを取り出した。

 

それを束の間僕たちに見せると、なんの許可もなく鉈を振り下ろしてココナッツの頭の部分を切り落とした。ものの5秒ほどの出来事であった。

 

 

僕たちは、見事な手捌きで、あっというまにココナッツを購入させられた。

 

「やっぱり、押し上りでしたね」と加藤は笑っていた。

 

僕も笑わずを得なかった。「でも、そんなに高くなかったね。良心的な押し売りというのもいるんだね」

 

「そうですね、まあちょうど暑かったですしね!」

 

僕たちは、押売られた冷たいココナッツジュースを飲み、再び歩き出した。

 

そんなこんなで、やっと統一会堂についたわけだが、この頃には信じがたい湿度と、嫌らしい気温の上昇により、僕は、やや限界的状況に突入していた。

 

「暑すぎない?」

 

「いや、マジで暑いですね」

 

「でも多分、あの中はクーラーかかってるよね」

 

「そりゃ国の威信をかけて冷やされているでしょう」

 

 

 

中に入ると、そこは全くクーラーのない空間であった。確かに歴史を感じさせる内装で、ここで、あの会談がおこなわれたのだ!どうだ!というような説明があったりもするのだが、しかし、もう暑くて説明は何一つ頭に入ってこないのだった。

 

 

「まじで無理だ、暑い、出よう」と言って、数分見学して統一会堂を飛び出した......

 

 

共産主義の意匠をまとった共産カフェでベトナムコーヒーを


限界まで不快指数が上昇していたため、いったん休憩をしようということになった。ベトナムでは、最近cong cafe というかつてのベトナム戦争北ベトナム共産主義意匠をまとったcong=共産 カフェとでも呼ぶべきものが流行っているらしく、そこへ行ってみようという話になった。

 

共産カフェへの道中、また、流しのココナッツ売りが現れた。積極的に話しかけられたが、学習した僕たちは、動じずにその勧誘をいなすことに成功した。

 

共産カフェは大変賑わっていた。

 

たしかに、そこは、擬似的に古めかしくなっているだけではあるのだが、かつてのベトナムを思わせる(といって、かつてのベトナムに詳しいわけでもないのだが)ような感じがあった。

 

 

ベトナム戦争の写真を見た後にここに来ると、なんかテーマパーク感があるね」

 

「そうですね。何はともあれ、涼しいですね!」

 

そう、共産カフェは、かつてのベトナムを思わせても、きちんと適切に涼しいのだ。

 

 

ココナッツコーヒーがおすすめです!と言われたのだけど、さっき目一杯ココナッツジュースを飲んだところだったので、アイスコーヒーを注文した。

 

 

「韓国でもニュートロとかいって、レトロなものが流行ったりしてるけど、ベトナムも似た感じなんだね」

 

「たしかに、そうですね。ベトナムももうそんな感じのフェーズなんですね...なんか早いですね」

 

 

苦しいくらいのどろどろの湿気た暑さだったので、アイスコーヒーを飲むととてつもない気持ち良さで体がふるえた。

 

 

「この後どうしましょうか」

 

我々は何も計画していないので、常にこの問いが立ち現れるのだ。

 

「そうだな、とりあえず、一回ホテルにチェックインしない」

 

「結構歩きましたしね、じゃあホテル行きましょうか」

 

 

僕たちは、バスでホテルに向かうことにした。ホーチミンは歴史的経緯で色々な建物が混在しているので、歩いているだけでもいろいろ見応えがある。

 

 

ホーチミンに行くにあたり、開高健の『輝ける闇』というベトナム戦争小説を読んでいたのだが、ベトナムではシエスタの習慣があり、人々は皆昼寝をする。戦争中であってもそれは変わりなく、昼を少しすぎた頃に、決まって数時間戦争が止まるのだというような記載があった。

 

戦争中だって寝るのだ。ホーチミンの街をあるいていると、ベンチで、バイクで、街の隙間の謎の段差で昼寝をしている人がたくさんいた。どこでも人々が寝ているのをみると、これはとても尊い文化だなと思う。

 

 

さあ、思いっきりバスを叩け!

 

バスに乗り込む。チケットを配るスタッフの人が同乗しているので、その人に金を払う。

 

 

バスの中ではなかなかの音量でHIPHOPが流れていた。運転手が個人的にスピーカーを持ち込んでいるらしい。がんがんHIPHOPが流れてくるスピーカーの上には仏像が置いてあったりして、それはなんとも不思議な光景だった。

 

 

バスがホテルの前に着いた。僕たちはいそいそと降り口の前まで行って立っていたのだが、バスが止まっても戸がいつまで立っても開かなかった。

 

チケット配りをするスタッフがつかつかとやってきて、自分のサンダルを脱いでこちらを見て薄く笑った。謎である。なんだ、僕たちも靴を脱ぐ必要でもあるのか?などと思っていたら、その女性はサンダル持って思いっきり手を振り上げ、以下写真の右下にある20センチ四方くらいの機械をその手のサンダルでバコンバコン叩き始めたのである。

 

 

思いっきり振り下ろされたサンダルによって機械が複数回無慈悲に叩かれると、一体どういう仕組みになっているのか、バスの戸はぎぎぎぎぎと開いたのだった。僕たちはその女性のあまりに激しいスリッパさばきに、にわかに感動していた。すごいものを見た。女性はやはり薄く笑って、前の方へと戻っていった。二人で謎の感動を胸に抱え、ホテルへと向かった。

 

 

戦争取材の拠点、マジェスティック・ホテルへ

 

今回泊まるのはマジェスティック・ホテルというサイゴン川沿いにあるホテルだ。上述の開高健ベトナム戦争の取材中に泊まっていたホテルで、その時の部屋を見てみたいという僕の希望で宿泊先に決まった。

 

 

ホーチミンの辺りではなかなか歴史がありそうな立派なホテルである。二人で16000円くらいだったので、比較的お手頃な価格で止まることができた。

 

 

「そういえば、この間、ブログにコメントがついていて、アイスを食べ始たいなといセリフで、今回は加藤じゃないなって分かったというようなことが書いてあったよ。加藤くんはブログの読者にめっちゃ認知されてるよ」

 

「いやいや、僕だってアイスくらい食べますからね。今日だってこうして素晴らしいホテルに泊まっていて、限界行動みたいなことばかりしてるわけじゃないですから!」

 

「僕のブログは配偶者と、加藤くんで8割くらいになりつつあるからね」

 

 

ベッドに花が載せられていた。こんなちゃんとしたホテルに泊まるのは久しぶりである。

 

 

早速、開高健ベトナム戦争の取材に使ったという部屋を見に行く。

 

 

部屋の横に日本語と英語で説明が入っていた。博物館ではない生の歴史だ。つい先ほどまで小説を読んでいたので、開高健が汗だくでベッドに倒れ込むのが目に浮かぶようであった。

 

 

 

 

ベンタン市場に行って、チェーを食べる

 

加藤がお土産を買うというので近くの市場に行くことになった。

 

 

普通に街を歩いているだけだとベトナム社会主義国なのだという実感はあまり湧いてこないのだけど、時々、看板が現れ社会主義をアピールしてくる。

 

 

ベンタン市場にやってきた。

 

 

人、人、人という感じでもうものすごい人だかりだ。観光客向けのマーケットで色々な国の人がいたが、日本人はほとんど出会わなかった。最近は航空券も安くなってきて、東京からベトナムは、東京から大阪に新幹線に乗ってい行くより安いような価格なのだが、まだ、日本人の海外旅行客は戻ってきていないように感じる。

 

 

「何買うの?」

 

「ペン立てですよ。妻が欲しいって言ってたんですよ」

 

「ペン立てがほしいの?渋いね……」

 

超大混雑のマーケットで、僕たちはペン立てを捜索した。これはちょっと、これは高いなど一定の吟味があり、ペン立てが購入された。

 

「ここ、たしかチェーがうまい店があるんですよ」と加藤が言うので、今度はチェー探しが始まった。

 

 

チェー屋はわりと端の方にあった。けっこう人気らしく、店の周りに人が溜まっていた。

 

 

けっこう歩いたので、甘いものでも食べたい気分だった。

 

 

扇風機が生暖かい風邪を送ってくる。早く決めろとちらちら見てくる店員のおばちゃんを前にうーん、そうだなとじっくり悩み、緑色のずんだみたいな何かを注文した。

 

もちもちして美味しかった。無料で茶がついてきて、これも爽やかな後味でなかなか良いものであった。

 

 

もう一箇所マーケットに行っていいですか、と加藤が言うので移動をした。なんでもドライフルーツの有名な店があるらしい。ここはそこまで混んでおらずわりと快適に買い物ができそうであった。

 

 

 

たしかに、なかなか美味しそうなドライフルーツだ。マンゴーなど肉厚でぷっくりしていて、甘酸っぱさがその形だけで伝わってくるようだった。

 

 

「いいですか、きくちさん、お土産というのは一つではだめなんですね。プラスアルファが重要なんです。相手の期待を上回らなくてはなりませんからね」と加藤は、お土産論を話しながら、ドライフルーツをぱくぱく試食していた。

 

そのエリアは一体が乾き物が多く、ちらほらハエが飛んでいた。このハエ達はなんの労力も入らずに、いいものを食べることができる。ずいぶん良い生活をしているハエである。

 

 

ジャコウネココーヒーを飲み、いたく感動する

 

市場を出た。今にもスコールが始まりそうな重たい空模様だった。

 

「この後、どうしようかね」

 

幾度目かの問いが始まった。

 

「そうですね、一回帰りますかね」

 

「結構、いろいろ食べてお腹も減ってないしね」

 

加藤が、道の向いを少し渡ったところを指差し「あ、あそこにカフェがあると思うんですけど、チュングエンコーヒーって言って、コーヒーめちゃくちゃ美味いことで有名なんですよ」と言った。

 

 

「へえ、なにか、そんなに特別なことあるの」

 

「なんと、1杯1000円くらいするんですよ。でも、これがなかなか美味いんですよ」

 

「それはすごいね、じゃあ、行ってみよう」

 

店に入り、とりあえず、一番すごそうなレジェンドコーヒーというのを注文した。

 

二階にのぼる。掃除が行き届いた綺麗な空間で、Macbookを持った経営者然としたおっちゃんが一人で何か作業をしていた。バイクが道を右へ左へ間断なく過ぎ去っていくのが見える。外と中で別世界のようだ。

 

「いやあ、これ美味いんですよ」と加藤が言った。

 

僕は、コーヒー自体は好きなのだが、あまりコーヒーの味の良さというものがよく分かってところがあり、苦い、酸っぱい、さっぱり、余韻があるとかそういうことについては感じ取るのだが、では、この酸っぱさがこれくらいで、濃さがこれくらいで、香りがこのようであった場合に、そのコーヒーがどれほど良いものであるのかということは皆目分からないに近かった。

 

ちょっとすると、コーヒーがやってきた。レジェンドのコーヒーである。

 

 

液がぽたぽたと落ちるのをじっと待つ。

 

「このおっちゃん誰だ、なんかイーロンマスクに似てるな」

 

ヘミングウェイって書いてありますよ、イーロンだったら謎すぎますよ」と加藤がこいつとんちんかんなこと言ってるなという顔をした。

 

僕はこの時、ヘミングェイとイーロンマスクの顔が少し似ていることを知ったのだった。

 

まずは、コーヒーをそのまま冷やさずに飲んだ。飲む前も、確かに香りは華やかに広がっていたのだが、そこまでレジェンドっていうほど特別な感じがしたわけではなかった。しかし、これが、飲んでみたら、コーヒーの豆の美味しさがまろやかにひろがっていくのが感じられて、ちょっとびっくりするほど美味しかったのだ。

 

「なにこれ、めちゃくちゃ美味しいじゃん」

 

口の中にはストレートなのに甘みさえ残っていた。

 

「でしょ、ここのコーヒーはマジで美味しいんですよ」

 

「今まで、飲んだことないよこれ。コーヒーなんだけど、いわゆる苦味がないわけではないのだけど、少し控えめで、豆の旨味とうまく混じった美味しさがあって、すこしココアのような香りの印象もあるね。これはまじでうまいわ」

 

僕は一口飲むごとに「うまい」「これはうまい」と言って無性に感動していた。あとから調べてみると、このコーヒーはジャコウネコに食べさせてそのフンからタネを採取してコーヒー豆として炒るというプロセスを行っているコーヒーであるらしい。

 

半分くらいホットで飲んで、残りをアイスに注ぐ。

 

 

冷たくすると、甘みの部分は少し薄くなった感じがあり、すっきりした印象だ。香りもむやみやたらと強いということでもなく、香量としては適度に、質としてはやはりなんだか感動してしまうような調和のあるしっかりとした香りが残るのだ。

 

ベトナムはすごい!」

 

僕は、ベトナムという国のちょっと適当な感じと、街中にこんなうまいコーヒー屋がある洗練された感じの混在したありようが、一気に好きになっていった。

 

「そうです、ベトナムはいいですよ」ホーチミンにもう10回くらい来ているらしい加藤は余裕の表情を浮かべ、コーヒーを飲むのだった。

 

外をみるとスコールが降り始めた。しばし、静かにコーヒーを飲んだ。ホーチミンは十年ぶりくらいにきたのだけど、僕のホーチミンの印象は完全に刷新されたのだった。

 

 

ベトナムのスコールの洗礼

 

スコールの切れ間に、店をさっと出て、バスに飛び乗った。一回ホテルに戻って、夕飯時まではゆっくりしようということになったのだ。天気の悪い街はぐんぐん暗くなっていく。行き交う車やバイクのライトが灯った。乗り換えをするバス停の近くになると、スコールが黒い空からどっと降り落ちてきた。

 

僕たちは、しかし、バス停についてしまえば、もう降りるしかないので、バスを降りた。悲劇的なことが判明した。ベトナムは雨季も長いので、雨宿りができるところがいい感じにあったりするのだが、僕たちの降りたところは周辺100メートルくらいまったく雨を避けるものがない場所だったのである。

 

先行して降りた加藤は「やば」と言い放ちばーっと走り去っていった。僕もそちらのほうに向かって豪雨の中を走った。折りたたみ傘を持っていたことを思い出し、途中で差したはは差したのだが、なんの遠慮もないその雨は、四方八方飛んでくるので、実質的に防げたのは30%ほどであった。

 

加藤が雨宿りをしていた銀行に着いた。びしょびしょの加藤は「傘持っていたんですか!入れてくださいよ!」となんということだ、といった感じで嘆いていた。

 

「いや、加藤くん走っていっちゃうからさ...... しかも傘があったところでびしょ濡れだよ」

 

「まあそれはそうなのかもしれないですけど......」

 

僕たちは、ぐっしょり濡れて、ベトナムなので寒くはないのだけど、かと言って暖かくもなくて、徐々になんとなく体力が削られていった。

 

「もう、Grab呼びましょうか」と加藤が言って、間も無く車が走って来た。

 

という事件もあって靴まで完璧に濡れてしまったわけだが、なんとかホテルまで帰ってきた。

 

僕は雨を吸って重たくなったTシャツを脱ぎ、ふとんを被った。夜中の飛行機に乗って朝ついて、全力で街をまわっていたことに加え、雨にふられたことで、体がぐっと重くなってしまった。

 

 

「当たり前だけど、疲れたね。人間雨に濡れると体力奪われるんだね」

 

ホーチミンのスコールは、単に雨であることを超えた激しさがあった。

 

「確かにそうですね、ちょっと休みましょうか」とか言いながら加藤はそこそこまだ元気そうであった。

 

僕はとても疲れてしまっていて、ふとんに潜り込み、しばし眠るでもなく虚空を見つめ時を過ごした。やはり、いいホテルというのはいいものである。なにせ、ベッドがいいのである。僕は普段、アマゾンで買った数千円のマットレスに実家に転がっていた煎餅布団を敷くことで睡眠態勢を構築しているので、きちんとしたバネの入った質の良いベッドに転がるとなんとも言えない心地よさがあるのだった。

 

僕はもう、このまま一日が終わって良いような気がしてきていた。

 

「いやあ、疲れたね」

 

「何時に出ますか」と加藤は時計を見た。

 

「そうだね、30分後とかそれくらいかな」

 

30分はあっという間に経過した。

 

「じゃあ、そろそろ出て、夕飯食べますか」

 

「まあ、そういう説もあるよね。ただ、まあ、もう少しゆっくりするということも考えられるし、なんだったら、このままということもありうるのかもしれないよね」

 

「いやいや、なにいってるんですか!15分後に出ましょう」

 

「でも、どこに出るかも決まっていないわけで、もう少し落ち着く必要もあるんじゃないかな」

 

などとゴネて、時間を引き延ばし、僕は心地よいさらさらのシーツの上で再び夢見心地となったのであった。

 

ベトナムといえばフォー、ハーブを乗せて食べる

 

しかし、流石に、このまま一日が終わるというのももったいないので「そろそろ行きましょう、10分後に」というので「まあ、そうだね。うん、そうだね。そろそろね...」と言いつつ、ぐしょぐしょの靴に足を通してホテルを出る準備をした。開高健なんて、戦地から帰ってきてこのベッドに倒れ込んでいたわけだから、僕の比ではないくらいに疲れていたのだろう。ここでゴロゴロしているわけにはいかないのだ。

 

そして、やはり雨が降るホーチミンの街に再び繰り出した。ベトナムに来たらフォーは食べておく必要があるだろうということで、フォー屋へ向かった。

 

再びバスに乗る。

 

Pho Quynhという加藤のおすすめの店に着いた。

 

maps.app.goo.gl

 

小雨くらいになっていて。湿気にともなう甘い空気が街に満ちていた。指を立てて二人であるアピールをすると、ちょうど二席分くらい席の空きがあった。機嫌の良さそうなおばちゃんが勢いよく机に残る雨粒をふいてくれた。テラス席というかなんというか、路上に椅子が置いてあるような感じだったので、座るとちょろちょろと雨が飛んできた。

 

フォーに加えて、ビーフシチューのフォーなるものがあったので注文してみた。

 

 

最初にハーブの山がやってきた。そのハーブの生き生きとした青さに、僕はベッドにへばりつきたい気持ちを抑え、ホテルを出てきたことが正解であることを理解した。

 

 

フォーが来た。牛肉が少し赤身がかっていてよい感じである。スープを飲む。これがおいしい。米麺の甘みに塩っ気のあるスープがよく合う。

 

 

ハーブをちぎって入れる。検索してみるとオリエンタルバジルというやつであるように思われる。これを入れると、清涼感のある香りが加わって、塩気に甘み、そして出汁がより活きるように思った。日本でフォーを食べる時もハーブを置いてほしい。

 

 

「やっぱり、現地で食べるフォー は美味いね」

 

「日本で食べるフォーより圧倒的に美味いですよね」

 

ビーフシチューの方も食べてみた。これもなかなか美味しかった。フランス料理の影響が多少あったりするのだろうか。ただ、こちらよりもオーソドックスなフォーの方がハーブとの相性がよく、味わいが複雑で楽しいように思った。





僕は、フォーを食べどんどん元気になってきていた。

 

「いやあ、加藤くん、まじで出てきてよかったよ」

 

「なら、よかったです」と言って加藤は笑った。

 

「こういうの食べると濡れた体があったまるし、そもそもエネルギーが補充されるね」

 

「じゃあ、この夜はがんがん行きましょう!」

 

 

ベトナム生ビールビアホイを飲む、ベトナムのエネルギーを知る

 

僕がもともと飲みたいと思っていたビアホイの店に行くことにした。ビアホイというのはベトナムの生ビールのことをいうらしい。これがお手頃価格で、さっぱりとした東南アジアの酒!という感じでなかなかいいらしいのだ。

 

 

雨が降ってるのに、傘もささずに裸足で電子タバコを吸っている、どこか美しさすら感じるほど清々しい男性スタッフに、ビアホイ!と言うと氷水につけられたボンベに入っているビアホイがすぐさまやってきた。

 


 

ボンベをバケツから上げ、コップに注ぐ。しとしとと降る雨は容赦なくビールに入り込み、ビールを飲みつつ、雨がつまみのような、チェイサーのような、割り材のような状況であった。

 

ビアホイはさっぱりとしていくらでも飲めそうな味だった。

 

わりとお腹いっぱいだったので、お勧めされるがまま、シーマッシュルームの炒め物なるなんだかよくわからないものだけ一品注文した。レモングラスとにんにくの香りをまとったシーマッシュルームなるものがコリコリとした食感でなかなか酒に合う、通な食べ物だなと思った。

 

 

店にいる人々は雨などいっこだにせず激しい盛り上がりを見せていた。僕と加藤は、「これはすごい」「これが平均年齢33歳の国のパワーか……」と二人でひっそり酒を飲むしかなかった。

 

僕たちの前では例の裸足の男性スタッフが全身に雨を浴びながら、やはり電子タバコを吸い、時折、雨の溜まった前髪をかきあげ、やはり裸足の別の男性スタッフとにこやかな笑顔で談笑を続けているのだった。

 

僕はその果てしないエネルギーにベトナムはすごい国だ!とおののいてしまったのだった。

 

ベトナムの平均年齢が若いことによる圧倒的エネルギーを前に、一抹の敗北感を抱えつつ、僕たちはホテルに帰った。ちょっと濡れたら、ああつかれたとベッドに潜り込むとは、こんなのではベトナムでは、生き残れないな……と思った。

 

 

カイコー・タケシ・マティーニで夜は更けて

 

マジェスティック・ホテルのバーには開高健の名を冠したマティーニがあるという情報をネットで見たので行ってみることにした。

 

バーは全く静かで、僕たち以外には韓国人の旅行客が一組いるだけだった。僕たちはオープン席の隅に座った。ホーチミンの煌めく夜景が遠くに広がっているのが見えた。きっと開高健がみた景色とは全く違う景色になっているんだろうと思った。

 

 

メニューを見たのだが、僕達が探していたカイコー・タケシ・マティーニが見つからなかった。マティーニ自体はやたらとたくさん種類があったのだが、何ページめくっても見当たらないのだ。スタッフにカイコー・タケシ・マティーニで!と手慣れた風を装って注文をしてみた。

 

スタッフはKAIKO?といった感じで、何がなんだかよく分かっていないようだった。

 

発音を変えて、カイコーと言い直してみるも伝わらなかった。

 

加藤がネットに上がっていた昔のメニュー表の写真を見せた。スタッフはちょっとまっててと裏へと去っていった。

 

少しして、スタッフはカイコー・マティーニと言って、マティーニを持ってきてくれた。そう、カイコー・タケシ・マティーニはコロナで全然日本人が来なくなってしまったことが原因なのか、メニュー表から消え、なんだったら、スタッフの間でもやや忘れられていたのである。

 

何はともあれ、カイコー・マティーニがやって来た。

 

 

開高健によれば、美しく磨き上げられたマティーニということだったのだが、僕にはカクテルの磨き上げられ度が精緻に分かるということもないので、キリッと美味しいマティーニだなというくらいの感想だった。男性のスタッフはゴードンで作っているということを説明してくれた。

 

加藤が「開高健マティーニのグラスに、無数の霜の粒ができたって書いてありますよ」とネットで何かを見て言った。グラスを見てみると、たしかに、グラスはそれはもうたっぷりと汗をかいていた。そうか、時代は代わり、開高健が愛したマティーニと味が同じである保証もないのだけど、たしかに同じマティーニを飲んだのだろうなと思った。

 

グラスが空になった。

 

 

「僕たち、いつまでこんなことできるんでしょうね」と加藤が言った。

 

僕は「別に一泊二日で出かけるくらいいつでもできるでしょ」と答えた。心のなかでは、同じように、何かのうっすらとした喪失感のようなものを感じていた。30代に突入すると、油断をすると、すぐ、失われるものへの感傷が忍びこんで来るのだ。

 

くたくたに疲れ、ベッドに転がり、たちまち眠りに落ちた。

 

 

二日目へ続く......